2014/12/18

子育てよりも自分のことのほうが大好きです

少子化対策について意見を述べているブログを読みました。
そこに、印象深いフレーズがありました。

日本の少子化の根本的な問題点とは…
若い男女が、子育てよりも自分のことの方が大好きだ、ということなんです

本ブログのなかでは、子供が好きな人は往々にして家庭的であり、家庭的な人は専業主婦になって子育てに集中するので、こうした立場の人を優遇したほうがいい。といったことがかいてありました。

この考えは嫌いです。
なんていうか、女性にとって子供を持つということは、自分のことを差し置いて子供を優先させる。という程度の気分でチャラにできないことがたくさんあるとおもいます。

私は子供がふたりいます。かわいいです。
でも、自分のことをさしおいて子供のことを優先的にどうこう考えたことはないです。
むしろ自分のことで頭がいっぱいです。
自分にとって子供は、自分が大人として成長するための先生であり、ひとりでは味わえない冒険をもたらしてくれる魔法です。その魔法を手に入れたかった。
その魔法に翻弄されながら私はいろいろな経験がしたいんです。
そういう自分にとっての大きなメリットがあるから、

毎日吸い付かれてだらしなく伸びてしまった薄黒い乳首も
大きく膨れ上がって皮がみにくく裂けたお腹も
赤ん坊を守っていたせいで広がりっぱなしになった骨盤も
母乳に栄養が行って薄くなった髪の毛も

ぜんぶ肯定できます。

まだあります。
産後、おならを我慢するのが難しいことがよくあります。
出産時に会陰と一緒に肛門括約筋を損傷したせいです。
この損傷は将来必ず便失禁の原因になります。
便失禁は出産を経験した女性の多くに見られる症状です。相談し辛いことでしょうから、誰にも言えずに生活している人を含めると相当数いるはずです。手術で治せるそうです。
もしこのままこのことを忘れてなんとなく過ごしてしまったら、私は将来必ずウンコを漏らすでしょう。
私の場合、肛門括約筋の損傷と出産の相関関係を調べたので知識がありますが、今も原因がわからないままウンコを漏らしている女性はたくさんいるとおもいます。
人前で便意が我慢できないという、人間の尊厳にも傷がつくであろう状況を将来に控えて

子供が好きだから

で済むか?
うんこ漏らしても子供好きなら笑って耐えられると思うか?
んなわけねえだろ。そのころはもう子供なんかとっくに親から離れて、自分の物語を心から楽しんでいるはずなの。
そうなってもらわないと困るし。

遊びたい、合コンしたい、キャリアだいじ、自分の物語だいじでいいじゃん。
自分で自分を楽しませる方法を知ってる自分大好きな人間だからこそ、うんこ漏らしても、自分の人生やりたい放題やって楽しかったなー。って思える可能性でてくるんじゃないの?
お前、バカだろ。
と、下品にも思ったのでした。

2014/12/16

CSS Nite LP38 「Webデザイン行く年来る年(Shift8)」でした

ご参加くださったかたおつかれさまでした!
回を重ねるごとにそれぞれのセッション担当者が「今年はつまらなかったと言われたくない病」が重篤化し、内容が濃すぎて参加中は非常に疲れるんじゃないかと心配しています。
で、けっこう苦行的ながら、終わってから数日たつとおや不思議。自然と頭のなかで情報が淘汰されて(というかいいかんじに忘れて)今の自分に本当に必要な知識だけが残るんですね。
なので3日後くらいに思い出すことをおすすめします。

私なりにまとめると、
コーディング
・従来のセマンティクス重視といったHTML自体の知識ニーズは減り、開発環境のトレンドに追随することが課題ということがはっきりしてきた
・コーディングの質がそのままマーケティングの効率に影響することがはっきりしてきた(つまりいままでは僕ってデザイナーなの?コーダーなの?という単純な問いに悩めばよかったけど、これからはそれにマーケティング担当なの?という軸が加わり現場の職域がますますあいまいになった)

アクセシビリティ (追記)
・動画にキャプションとかテキストを音声にとか、1つのメディアを複数の形式に対応させるのはウェアラブルとか車載とか考えるとコンテンツの質にとってアドバンテージになる。やっとアクセシビリティで儲かりそうな気配がしてきたね
※本セッション中ちょっと中座していたので、このまとめは舞台袖で山本和泉ちゃんと話していた内容です。すみません!

ツール
・作業の効率化を極めたツールの勝ち
・私はこれじゃなきゃダメという道具に対するこだわりがあるとダメな気がした。トレンドに合わせて選んでダメになったら捨てることの繰り返しができる人間になりたい

スマホ
・コンテンツ > PageSpeed > インタラクション > 画面フロー > スタイリング

デザイントレンド
・トップページの意義が薄れているが、むしろそこでどうブランディングできるか、実験できるかがキモなきがする
・リファレンスとするに足る情報がないサイトは不良債権化しそう

で、なにげに今回感じ入ったのは長谷川恭久氏による

基調講演:Webのスーパーヒーローになる方法

でした。
スキルの変化とそれに追随する体力と根性が問われ続ける「Web」というメディアの制作現場(IT全般に言えるかな?)ですが、「本当にこうやってずっと変化に翻弄され続けなきゃいけないの?」と疑問を抱く人も少なくないでしょう。
長谷川氏の講演には「翻弄されることが仕事じゃない」というメッセージが隠れていたとおもいます。この話は「ノブレス・オブリージュ」という考え方をわかりやすく、かつ、Web制作に寄せて解説しなおしたものですね。そのような「態度」に対する理解こそ、翻弄されないためには重要だと考えます。

ある日私のボスに言われたことがあります。
ボスはエンジニアからキャリアをスタートして、名だたるグローバル大企業を経てきたビジネスの鬼のような5ヶ国語くらい話せるおっさんです。その人が

「Skill(技術)が高い人材、Philosophy(哲学)のある人材、どちらが質の高い人材かわかるか?議論の余地なくPhilosophyのあるほうだ。Skillはあとから、いくつになっても、いくらでも学べる。しかしPhilosophyは人間性に関わることなので学ぶことが難しい。採用は、Skill中心に考えてはいけない。」

そうなんですね。
言われてみればあたりまえですが、現場ではよくここを取り違えます。目先の利便を優先させがちだからです。
技術なんかぼちぼち追っかけても追いつくもんです。それが難しいように感じてしまうのは、それを教えることを生業にしている人間が食いっぱぐれないようにする呪いみたいなもんです。必要があればだれでもなんでも、自分の必要とする範囲で覚えていけるんです。あきらめなければ。

と、いうことを、ヤッシー(長谷川恭久)の話を聴きながら考えていました。

また来年皆さんにお会いできるのが今から楽しみです。


2014/11/24

元アニメーター監督のもったいない点

今更ですが「おおかみこどもの雨と雪」絵が綺麗で素晴らしかったです。
とくに雪あそびのシーンでは雪原の透明感と、冬の晴天が持つ独特の青がまるで気温まで伝わってくるようでした。地平線の青はもうインターナショナル・クラインブルーですよ。雪原をおおかみが走っている。というだけのシーンにこれだけ饒舌な感覚をにじませるとは、やはりアニメーター出身の監督は絵作りに対する執念が違う。

と、非常に感激したせいで、物語が痩せてるところがすごく気になってしまいました。
痩せてるというのは、おそらく本作のテーマであろう「成長」という点で、お母さん役の性格づけが薄かったせいで、最初と最後ではどの程度成長したのかという実感があんまり持てなかったからなんじゃないかと思います。

一度愛した対象へ無条件に愛を注ぎ込みまくる母性本能あふれまくったけなげな女性。という設定って「日本のアニメ界の絵の上手な人が描きがちなパターン」におもえるんですよ...。

つまり、あのお母さんのありように「アニメっぽいキャラ設定」とか「日本のアニメの受け手と作り手とで共有している暗黙知みたいなものに寄った作り」を感じてしまって、それほど洗練されたアニメの受け手でないわたしが冷めてしまった。

私は映画というものが娯楽を超えて、人生を学ぶ題材になり得るほどの芸術であると考えているので、なんか、「アニメっぽい設定」みたいのがみえてしまうと、その作品が一気に「映画」に到達しないで単なる「アニメどまり」になってしまうように感じます。それがもったいない。
ディズニー映画が「ディズニーアニメ」でなく「映画」なのは、そのストーリーの厚さ、太さにあるんじゃないかと思っていて、シーンのリアルさとか技工の凄さとかはそれを支える必須前提条件にすぎないと作り手側が理解しているからだと私は信じているのですが、どうでしょう。

サマーウォーズも物語が薄すぎて、良い絵がいっぱいあったけど「ああアニメだなあ」で終わってしまった。

細田守監督!アニメもそれなりに好きな映画ファンのために、次回作ではストーリーづくりにもっと興味持ってください!(土下座)あの絵に太い物語が付いてたら世界がひれ伏しますよ!絶対!!



2014/11/20

小学生なりの、リストラ目的における人事評価

息子:ねえママ。あっちこっち探して、とても苦労をして新しく採用した人と、
ずっと前から一緒にはたらいていて、いままで結果だしていないけど、慣れ親しんでいる人。どっちかをかならずクビにしないといけないとき、ママならどっちをクビにする?

母:えー。それはとてもむずかしい。新しく採用した苦労もムダにしたくないし、一緒に働いてこれたことにも、意味はあるとおもうから...。

でも....。ママなら前からいる人をクビにするとおもう。
その人は結果を出さなかったという結果を出しているけど、新しい人はまだ、どういう結果になるかわからないから、そっちの可能性にかけるかな。つらいけどね。

息子:そっか!!じつは僕もそう思うんだよ!
ずっと、ただそこにいるだけになってたんだ。
使えないから使う回数も減っていってね。
でも、僕、クビにするの初めてだから、かなりかなしかった。さっき、ロケットにつけて飛ばしたんだ...。ほんとにいいですか?はい。って。

そしたら、いつもそこにいたのに、いないんだ。当たり前だけど。いないってことになれないから、すごく悲しかった。ちょっと泣いた。好きだったなあ。あの毛色。柄。
それでもしょうがないんだ。アイテムボックスいっぱいになっちゃったから...。

でもこういう決断をした以上、クビにしたアイルーのためにも僕こそがんばって狩りで結果を出していきたいです。

母:wwwwwモンハンの話かよ


2014/10/27

おれは寝かしつけという習慣をやめるぞーッジョジョ~!

最近、育児情報を少し参照し、乳児の夜泣きを減らす施策を試しています。
まず
フランスの子どもは夜泣きをしない パリ発「子育て」の秘密
という書籍を読み、ここから「赤ちゃんは扱い次第で自力で寝ることができる」という話をはあく。長男を育てた経験上、乳児や幼児が自力で寝るという発想がなかったため新鮮です。
しかし、この書籍には「どうすれば寝るようになるのか」という具体的な手法については一切触れられていません。泣いていてもすぐに手を出さず、様子を見る。としか説明されていないのです。
で、自力で寝る。乳児。のようなキーワードで検索したところ
ジーナ式スケジュール
というコンテンツがいくつかでてきました。
これは決まったスケジュールにそって授乳と昼寝、就寝時間を設定し、乳児をそのとおりに生活させることで夜泣きが軽減できるというメソッドだとか。
UK発祥らしいですが、HOWTOがはっきりしているためかかなりのフォロワーがいるようです。
ためしにネットに上がっていたスケジュールを参考にやってみました。

参考にしたスケジュールはこちら
北カリフォルニアの暮らしの風景 赤ちゃんがしっかり寝てくれる魔法のスケジュール①

で、結果は、夜泣きが軽減できました。

現時点で月齢1ヶ月半。やっと授乳間隔が3時間になった頃です。
これまで夜に起きてしまい、朝まで眠らずに泣き続け、おっぱいをあげようがゆすろうが効果なし。ということがよくあったのでありがたいかぎりです。

が、このスケジュール、なかなか詳細すぎて、子供と一緒に出かけたり、来客があったりすると簡単に台無しです。
そこでこのメソッドの勘所はどこか、自分なりに勝手に解釈してアレンジできないかと模索しました。フランス式の子育て本の内容(おもに態度というか意識の部分)も参考にしています。

メソッドの勘所(たぶん)
・2時間以上連続で昼寝をさせない
・昼に授乳機会を増やし、夜に減らす
・夜寝る時間と朝起きる時間はできるだけずらさない
・泣いたら授乳するという細切れ授乳をやめて、授乳と就寝を区別する

これで「夜は寝るもの」「昼間は起きるもの」という区別を付けてもらえたら、夜になれば(暗くなれば)自然に寝るのではないか。

で、現在実施して5日くらいですが、暗くなったら寝る。という行動の習慣付けには成功したようです。
逆に昼ぐっすり寝なくなったため昼に手が掛かるようにはなりますが、夜に大泣きすることはいまのところさほどないです。
2回ほど深夜に数分泣きましたが、試しにそっとしておいたところ自然に寝入りました。

以下が難しい点。課題です
・泣いたら授乳の習慣をやめるのは難しい
このメソッドを考えたジーナさんはベビーシッターだそうで、業務上の経験からこのスケジュールをあみだしたそうです。つまり、自分のおっぱいを使っていないのと、扱っていたのは他人の子供。とういう点で私と条件が異なります。
私の場合、娘がウンウン泣いているのをスルーして、おっぱいをあげたくなる気持ちを抑えるのはちょっとむずかしいです。あまり細切れ授乳にならないよう心がけてはいますが、大泣きしているときは基本、あげています。

・体格により低月齢の乳児に適用するのは難しい
よく乳児は3時間ごとに授乳といいますが、そこまで持つのは2ヶ月以降くらいです。生まれたてから約1ヶ月のうちはほぼ1~2時間おきに泣くものなので、低月齢では難しいと思います。

・おそらく6ヶ月ごろは通用しない。その前の訓練で習慣づける必要があるかも
過去の経験上、一度寝るようになっても6ヶ月ごろ猛烈に夜泣きするようになりますが、これはなにか精神的な成長に起因するものと思われるため、このタイミングで習慣づけようとするのは親の精神衛生的にも難しいのではないか…と考えます。

いろいろ難しいところがありますが、乳児のうちに自発的に就寝できるようになれば、この先数年続く「寝かしつけ」という習慣から開放されるかもしれません。
長男では3歳くらいまで、歌ったり揺すったりしないと眠らず、この工程に2時間はかかっていたためかなり自分の時間を削られていました。

寝るかなあ。寝たらラッキーくらいに思ってトライしてみたいです。
あんまりメソッド通りに実行することにこだわると、娘独自の都合がわからなくなりそうなので気をつけようと思います。


2014/09/25

育児の常識、更新のお知らせ

11年ぶり2回目の出産にあたり、子育ての常識が微妙に変わっていたのでメモ。

・乳児の服を家族と分けて洗う必要はない
・風呂あがりに白湯を飲ませる必要はない
・抱き癖などという癖はない
・授乳のたびに乳首を洗浄する必要はない
・ベビーパウダーとかベビーオイルとかをつける必要はない

・乳児の服を家族と分けて洗う必要はない
家庭内に存在する「常在菌」は、基本的に人体に無害であり乳児に対しても同じなのだそうです。今でも育児雑誌で乳児の服を分けて洗う手順なんかを説明しているのをみかけたことがありますが、とくに意味ないそうです。
また、購入したばかりの乳児の服などを「水通し」といってすすぐ習慣もあるようですが、これも「タオルの風合いを良くしたい」といった目的がない限り、新品の服に付着しているかもしれない菌とか何とか物質とかで乳児がどうにかなってしまうことは考えにくいそうです。また、服の素材的にOKであれば乾燥機の使用も問題なし。我が家はしっかり乾燥させると縮みそうなので、やや生乾き程度で乳児用品を取り出して室内干ししています。乾燥機を使ったほうが短時間で乾くし、取り込みや天候調査の手間が省けるのでかなり家事が効率化できます。

ただし、問題は菌とかでなく家庭で使用している「洗剤」のほうだとか。
年々除菌効果とか真っ白効果とか芳香機能などが加わっているせいで敏感肌の人間にはアレルギーなどを引き起こす可能性があるそうで、菌なんかよりそちらのほうが懸念されるため、家族の服と一緒に洗うときは赤ちゃん向けとか敏感肌用の洗剤の使用をオススメします。
と、助産婦さんのアドバイスでした。

・風呂あがりに白湯を飲ませる必要はない
昔は沐浴の最後の1手間として紹介されていた「白湯をあげる」でしたが、ミルクや母乳で十分足りているのであえて与える必要はないそうです。
10年前長男にはあげていましたが、めったに飲まずストレスになっていたので気が楽になりました。

・抱き癖などという癖はない
ないそうです。

・授乳のたびに乳首を洗浄する必要はない
これ。10年前は母乳を与える前に洗浄綿という商品で乳首を綺麗にしてから与えること。とされていたのですが、やらなくていいそうです。えー。私の汗と子の唾液でドロドロになっている状態でいい感じに発酵したりしないのかしら。と思いましたが、拭かない状態の匂いが乳児にとっては飲む気持ちの刺激になるそうで、良いんだとか。

で、それに関連して哺乳瓶は毎度殺菌する必要はあるのだろうか。という点がきになるところです。産院では現在も哺乳瓶の殺菌処理はおすすめしていましたが、米国のリソースでは「必要なし」になっていたので参考までに。

Should You Sterilize Your Baby's Bottles?

水道水と洗剤で十分菌は取れるんだそうです。
殺菌処理の必要性は浄水技術が脆弱だった頃の話だとか。それよりいくら殺菌したところで乳首に手を触れたり、ミルクを作る工程でいくらでも菌はつきますよ。ということです。
ちなみに我が家では1日1回程度気が向いた時に電子レンジでチンします。日本の電子レンジ滅菌グッズは5分を要しますが、米国指南では90秒。と書いてあるコンテンツがあって笑いました。

・ベビーパウダーとかベビーオイルとかをつける必要はない
昔はオムツを替えたり風呂に入れるごとにムレ防止でベビーパウダーをおしりやシワの部分につけたものです。
しかしベビーパウダーは乳児の汗腺を塞いでしまい肌にあまり良くないという研究結果があるんだそうで(助産婦さん談)オススメしないとか。また、オイルなどの保湿成分もカッサカサになった場合以外は付けなくて良いんだそうです。

その他日米での違い
・新生児を毎日風呂に入れる必要はない

Bathing your baby

によると、新生児は1周間に2,3回程度、台所のシンクでちょっと洗うくらいで良い。とのことです。理由はそんなに汚れないから。顔やおしりをちょくちょく拭いてやれば問題ないとか。
また、水が硬水の地域では乳児をしょっちゅう水に漬けることで肌の感想を招くので注意が必要だそうです。

まじですか。産院では「乳児は時期にかかわらず毎日お風呂(沐浴)に入れること」と指導されるのでこれは意外でしたが、そんなに洗わなくていいんですね。40過ぎた福山雅治もあんまり洗ってないくらいですから、赤ちゃんを毎日泡だらけにする必要がないのはうなずける気がします。
月齢が6ヶ月くらいに上がると、入眠儀式の1つとして毎日お風呂にいれてやったほうがいい。というのは大人と同じことですね。

いろいろテンプレ化していて疑いもしないことが多いですが、「ほんとに必要なのそれ?」という工程に関しては調べてみるといろいろ別視点による意見が出てくるので面白いものです。


2014/09/15

娘をリリース

9月11日の夜、寝る前に息子がお腹の中の妹に「明日生まれてくれなきゃ困るんだよ。土曜日から三連休でしょう?明日産まれたら俺は留守番だから学校を休めるの。四連休。小学生の四連休は夏休みよりいいものなんだ。わかるか」とかいうので、ご都合主義かwと突っ込んだら「兄よりすぐれた妹など存在しねえ」とか変顔でジャギの真似をしたのがツボってゲラゲラ笑っていました。すると

ばっつん

とお腹ですごい破裂音が。
ちょwww破水したwwと、まだ笑っていたら、息子は無言で自室で寝ていた夫を起こしに行き、いろいろ準備して病院へ。
「猫の世話は任せて。いってらっしゃい」と笑う息子の笑顔には「夜どうしyoutubeを見まくり、モンハンをやりまくるぞ」という意思に溢れていました。

病院についても陣痛があるわけでもなく、夫とニヤニヤ話をしていました。
そのまま入院になって、診察したら子宮口も開いていないと。このままでは翌日の昼すぎ産まれるかどうかだなあと、私は後に分娩台となる椅子の上で、夫はその後ろにある普通の肘掛椅子でデスマーチ中の下っ端開発者のように背中を折り曲げて寝ていました。

小一時間すると痛いなという感じがしてきて、ナースコールしたらもう4センチくらい開いていると言われました。
しかし出産までにはあと6センチもたりない。ここからが厳しい戦いになるんだよなあ。4、5時間くらいかかるんだよなあ。と、思っていたら2時間あまりで9センチに。うそーん。
時間が短縮されるのはほんとにうれしいのですが、こころの準備が追いつきません。もう会話も成り立たない。唸ることしかできない例のあの、地獄の時間がどのタイミングなのかまるで読めない。
わたしはけっこうパニック状態でしたが、それまで夜に弱く、眠気で冬眠明けのヤマネのようだった夫に急にスイッチが入りました。

ストレスモニター(陣痛の襲来を数値と波形で示す機械)を見ながら「はい、次の波来ます。深呼吸。吸って。はい、長くはく細くはいて」
このオペレーションのおかげで短期的なこころの準備ができてとても気が楽になりました。

そして、モニターチェックしながらも冷静にビデオを回し、「只今○○時○○分...」と、必ずはさむ姿に、藤村忠寿か。と、思いました。

唸る時間から子宮口全開の「叫ぶ時間」に移行し、鈍痛が鋭利な痛みに変わってくると、パニックどころか人間性も失われてきます。もうこれはだめかもわからんね。という気分になっていましたが、あいかわらず夫が横で
(私が叫ぶのでちょっと声のボリュームを上げて)「はい吸って。はいて。はい次くるよ。あご引いて。目つぶらない。目を開けて。息吸って、はい。いきむ。いいね。うまい。」と、また淡々とオペレーションをしていました。そのトーンを聞いて、NASAか。と、思いました。

しかしおかげでいきむタイミングでこころの準備ができ、絶望しなくてすみました。夫の商売は技術開発ですが、事業内容に助産師を加えてもいいんじゃないかと思います。

病院スタッフや夫、何より自分の力でどんどん這い出してきた娘のおかげ(あ、楽しく留守番してくれた息子もね)で陣痛スタートからわずか3時間半程度という超安産で出産を終えることができました。
終わったあといつのまにか医者側の立ち位置で興味深そうに後処理を見つめていた夫が「それはなんですか?」とか「胎盤は意外と大きいですね」などと病院スタッフに話しかけまくっているのを聞いて、インターンか。と、思いました。

久しぶりに赤んぼの世話に集中します。
また仕事に戻る日が来るのもたのしみです。

2014/09/05

「女性活躍担当相」の余計なお世話感

女性活躍担当相って何さ。
ネットで調べたのですが、よく分りませんでした...。
一人歩きしているこの単語ズバリでぐぐってみたのですが、さすがのGoogle先生も変なニュース記事を拾うばかりで内閣府の解説ページ的なコンテンツがまったく検出されません。
そもそもオフィシャルな解説は自民党のサイトにも無いようです。

わらにもすがる思いでWikipediaに行き

第二次安倍内閣(改造)

を参照しました。
ようするにこのポストは内閣府特命担当大臣のことであり、以下の3つのプロジェクトをリードすることが仕事のようです。

  • 消費者及び食品安全担当
  • 少子化対策担当
  • 男女共同参画担当

仕事多いですね。
で、それでもよくわからないのでなんとか女性の活躍促進とかで内閣府のサイトをあさってみたら、やっと内閣府男女共同参画局というのがひっかかって

女性の活躍促進

というのが出てきました。
ここに輝く女性のなんたるかが集約されているようです。

そのうちの1つ。

ポジティブ・アクション

をみてみました。
”ポジティブ・アクションについて、一義的に定義することは困難ですが、一般的には、社会的・構造的な差別によって不利益を被っている者に対して、一定の範囲で特別の機会を提供することなどにより、実質的な機会均等を実現することを目的として講じる暫定的な措置のことをいいます”
だそうです。管理職クラスの女性を30%増やそうという数値目標はありますが、この説明がちょっと難解で共感するのが難しい気がします。

ちなみにポジティブ・アクションのアクションそのものは厚生労働省管轄のようで、サイトもありました

ポジティブ・アクション(公式サイト?)

しかし、雇用者向けと被雇用者向けコンテンツが明確に分けられておらず、誰の課題を解決する場所であるのかが分かりにくい構成なのと、抽象論が多くて時間をかけて閲覧すると会社をクビになったり子育ての合間の大切な時間を無駄に取られてしまいそうです。

チャレンジサイト

単なるリンク集です。
コアコンテンツであるはずの「チャレンジしたい→働く」に遷移すると、いろいろな支援団体的なところに単にリンクを張ってあるのですが、上から2つが9月5日現在リンク切れしていて、切実な思いでクリックした人はさぞがっかりするでしょう。運用しろよ。

私は常日頃から女性も仕事を持つことで経済的に自立し、自由意志を発揮してあくまで自分の幸せのために子供をもうけたり、家族や社会と良い関係を築いたりすると素敵だと考えています。しかしながら「女性も経済活動に加担しよう」というメッセージがプロパガンダになると凄い違和感を感じます。
そのうち専業主婦がいる家を嗅ぎ付けた鉢巻きおばさんが「お国のためにあなたも社会に出て働くべきです」とかいってビラまいてったりしないだろうな。とか、優雅な専業主婦の理想的な生活を描く雑誌のVERYあたりが「代官山におしゃれバギーでお散歩ついでにランチですって!この非国民が!」なんて廃刊に追い込まれたりする社会は嫌だ。とか思う訳ですよ...。しないと思うけど...。

そもそも国策として「子供を産め」って他人に指図すること自体、大手を振って基本的人権の尊重を毀損することですし。
そもそも心底ではやりたくもないことをやらされるハメになった人ほど、その苦しみを他人様にも与えたいと思いがち。あたしだって大変な思いをしていままでやってきたんだからアンタもやりなさいよ病の人間が増えては困ります。
そういう意味で「女性活躍担当相」ってのは余計なお世話感がプンプンするなあ。と、思いました。

文句ばっかり言って申し訳ないです。



これぞまさに自由。ひげを生やして家事にいそしみ、全身タイツでロケットジャンプ。
生まれたからにはこうやって生きたいものですね。

2014/08/29

専門的な職場で愛され系40代になる難しさ

仕事関係やなんや(私はIT系のデザイナーで周りもだいたいIT関連)で、「現場にこういう人がいて困る」という話を訊くのですが、現場の主力を困らす人の共通点を見出してしまいました。

だいたい40代 (∩´∀`)∩ワーイ

私も40歳なのでちょっと立ち止まってこの問題を掘り下げようと思います。
40代への苦情、お問い合わせに出てくる3つの傾向

  • 人の話をきかない
  • 企画力はあるが実行力がない
  • やたらと批判的
この3つが合体してひとつの人格を形成したとき嫌われてしまうようなのです…。
では1つ1つどういうことか考えてみます。

人の話をきかない

メタファーじゃなくて文字通りの意味です。打ち合わせとか会議のとき、その人だけがワンマンショー状態でしゃべりまくって終わるという現象。
議題の解決につながるのならいざしらず、論点がズレてもお構いなしだったり、予定の時間を超過することもいとわないので周囲をびっくりさせてしまいます。
相談しようと声をかけたにもかかわらず、相談ごとさえ伝える間もなくしゃべり倒されたというケースも。

なんでそうなるのか

人材育成の経験がない人に多い現象なんじゃないかな..。
30過ぎくらいでプロジェクトチームとか同じ組織といった「同一の目標に向かうものたち」のなかで指導者的立場を任されると「マネジメントとはまず相手の課題を訊き出すことである」というメソッドが自然に身につきます。
しかしそういう経験がない場合、自分自身の経験論にこそ、教育的価値があるのだと思い込むのです。結果、相手が求めていようといるまいと(そんなんわかりっこないですだって相手の課題を知らないんだもの)オレはわたしはこうやってうまくやってきたぜ!という話をとうとうとすることになります。なんか中途半端な成功体験並べたりして。
当然50代にもそういうリスクはありますが、40代の場合年齢的に「もうそろそろオレのターン」的になっていることも手伝い、勢い3割増しでしゃべりまくってしまうという…。
これは怖い。正直自分もこっちのほうが相手より多くモノを知ってる、というアドバンテージにそそのかされ、無駄に知見を披露してしまった記憶あります。でも、よく考えると相手の課題とマッチしていなければ、相手にとってはただの時間のムダである。ということを常に意識しておく必要があるのですね…。

企画力はあるが実行力がない

自分の思考力と知見を持ってすれば、これこれこういう企画は10種類くらいすぐに思いつくよ。キミさえ良ければ手伝わせてあげてもいいけど、どうする?
的なもの言いをされて、びっくり…。という報告を聞くことが有ります。
現場の主力である優秀な20代、30代は決まってこう言います。

自分で、やれば…?と。

なんでそうなるのか

普通に現場力が衰えているせいですね。
40代になると体力も集中力も普通に衰えます。そのせいで現場での実行力が衰えるため、つい「人を使う」ことをまず考えてしまうのです。現場経験の浅い若手が「どうすればこの業界で食っていけるんでしょう。いろいろ構想だけは有ります!」なんて相談してきた日には偉そうに「そりゃキミ手ぶらで門を叩いちゃダメ。とにかくここまでやってみたっていう努力と自分なりの成果を持って臨まなきゃ」なんて言ってたくせに。いざ自分の手が動きにくくなったら手ぶらで現場の門を叩きまくるという始末です。そんなの総ツッコミを食らうにきまっているのに、なぜか自分にはその権利があると思い込んで疑わない。
疑わない理由もちゃんとあります。それは時間をかけて業界で築いてきた「人脈」が協力者のインセンティブになると信じているからなんですね。

なりませんお。

今や企画やアイデアなんかあったって実行に移せなければ単なるヨタ話と言われるグルメ時代。
企画力と人脈をチラつかせたって実行部隊には「パワポ上手な人」にしか見えていないのです。わーん。だから40代でも「おれはここまでやってみた。お願いだからこっからちょっと、手伝ってください!」と頭を下げるか、あるいはビンス・マクマホンのような圧倒的な現役感をもって相手を巻き込むかの2択しかないんです。
うーん。ビンスがいいなあ。やれるかなあ。

やたらと批判的

そういうやりかたもあるにはあるけどさ。経験上、そういうのうまくいくためしないよ。とか、ああ、全然わかってないみたいだけどそれ的外れだよ。とか、キミそういうの向いてないよね?そもそも無理でしょう?とか、なにかにつけて相手をつぶしにかかるというか、他者を手放しで褒めているところを見たことがない。そしてSNSでシェアする記事も「ほげほげするべき」とか「ダメな人の3つの習慣」みたいな叱り系記事ばかり…。という人が40代であることは珍しくないです。

なんでそうなるのか

自分が変われなくなっているので人を変えようとしちゃうんですね…。
他人を自分の都合のいい方向に仕向けようとしている人は、必ず批判的なものいいをして他者を脅します。もともと頭がよくてものごとの設計能力に長けた人が、自分のスタンスを変えるコストを下げるためにこれをやっちゃってる感じがします。
わたしもいっとき「この手は使えるかもしれん」と思いましたが、相手の先読み力のほうが上手なことが多く、うまくいかないのでやめました。
よく考えてるとそんな批判ばっかりしてたら周りの人だって面白いわけないですよね。また、いくつになったって自分なりの具体的な目標を持って生活していればその目標に応じて自分を変えていけるはずなのに。現役でいるってことは、いつでも目標を具体的に持てるってことなんじゃないかなーと最近思いますよ。

長く現場で愛され系になるためには、これらのポイントを克服せねばなりますまい。
あー。言ってるだけじゃなくて実行ですわなあ。



ビンス65歳のときのトレーニング風景wwwww

2014/08/28

臨月それは修行

どうせ1週間か長くて2週間で終わることなのでがまんできますが、臨月けっこう修行です。一人目より二人目以降のほうが骨格の緩み方が急激なせいで痛みも強いらしい。

以下修行項目

骨盤痛
これすごいです。骨は痛点がないので、骨を支えている靭帯が伸びて痛むんだと思います。今赤ん坊は発射準備のため次第に下に降りてきて、骨盤の位置にはまろうとしています。そのせいで、空間を確保するため骨の継ぎ目が緩くなっているんですね。でも人間そんなに急に骨格変えたり普段しないので、靭帯がその変化についてこれない。それで痛みが生じるんですね。
どういう痛みかとういうと、腰痛に似てますが、通常局所的に起こる腰痛が前後左右胴回り一周全部に起こっている。という感じです。
痛みの程度は、痛くて眠れないくらいです。もう1時間連続で睡眠とかできないです。

陣痛っぽい痛み
これもすごいです。
とくに夜1時間に1回程度の頻度でお腹が石のように硬くなって、生理痛に似た痛みを伴います。初めての出産だったら「これはまさか!」と焦るレベルで痛いです。私は一度経験しているので、子宮口付近の腰の中心由来の痛みでなく、腹の表面由来なことがわかるため「あ、なんちゃって陣痛だな」と判断できます。なんちゃってだとしても、けっこう痛いです。どれくらいかというと、寝ていても目が覚める程度です。

膀胱痛
赤ん坊はこの頃子宮にみっちみちになっているので、あまり動かないと本とかウェブページには書いてありますが、それなりに動きます。1時間に1回程度「ぐいーん」と伸びたりしたとたん、膀胱の位置が動いて、多分内臓と骨格をつなげている靭帯とか筋肉につながっている神経に触っているんだと思います。この痛さはほっぺたを激しくつねられてるのと同じ感じです。内蔵ですけども。ついでに猛烈な尿意に襲われるのでこの頻度でトイレに行くことになります。
膀胱攻撃、陣痛風の痛さ、骨盤痛のコンボで来るのでほとんど30分おきくらいに目が覚めてしまう状態に…。

吐き気
ホルモンのしわざらしいですが、巨大化した赤ん坊を入れておくスキマを作るため暴飲暴食ストッパーが発動します。常になんとなくムカムカした状態になります。

腹の皮の痛み
もう限界..という程度にお腹の皮がビンビンに張っているので、掃除機のノズルがちょこっとあたったり、通りざまに避けきらなかった椅子の背もたれなんかが「つん」と当たっただけでむちゃくちゃ痛いです。痛さはヒリヒリするかんじ。スネに大きい擦り傷を作ったときの感じに似ています。9ヶ月くらいまでクリームの効果でさほど発生しなかった妊娠線も、臨月まで来ると残念ながらビシビシ出てきてしまいますね。

というわけで、陣痛くるまで痛みに慣れさせるつもりかこの野郎。というほど痛い思いのオンパレードです!
でもこの頃の痛みは陣痛の凄まじさで一蹴されるため、出産が終わったらすべて忘れてしまうことでしょう。
にしても、ホント出産っていろいろ痛いわ消耗するわ、タフな行為ですよ。長男のときも思ったけど、こういう渦中でふと思い出すのは昔観た「ランボー」のワンシーン。スタローンが大きく切れた自分の腕を麻酔ナシで自分で縫合しながら「グリーンベレーは羊のゲロでも食って生き延びる..」と独白するところですね。なぜかわからんけどそれくらいタフな感じがしますよ。
何気なく一緒に暮らしている女は実はグリーンベレー級の忍耐力を持ってるわけですよ。

夫は守ってもらうといいとおもいます。

ランボー怒りの...なんだっけ。とおもってググったら、「ランボー怒りの画像検索」になっていてちょっと和みました。


2014/08/26

凶悪 - 物質に依存して膝をついたとたんイナゴが食いに来る。というエコシステム。

「凶悪 - ある死刑囚の告発」 は新潮社のノンフィクション小説です。

この、凶悪というお話は、土地ブローカーと元暴力団の死刑囚が地権者を殺害して保険金を取ったり権利を略取したりして、土地を転売する手口の詳細が書かれています。死刑囚は別件で数々の殺人を犯していて、死刑が確定しているのですが、土地がらみの犯罪の共犯者である通称「先生」に恨みを持っていて、その罪を暴露しようと獄中から記者に事の顛末の記事化を要請する。というお話です。
死刑囚がどうやって獄中から外の人間を記者を使って追い込むことができたか、記者がどうやってムラのある供述から事実を拾ったか。といった興味深いトピックがリアルに描かれています。異常な人間とプロの記者の冷静なやりとりからは日本でもまだジャーナリストがちゃんと仕事をしているんだなあ。という感慨も感じられますし、親から継いだ土地という権利に乗っかってだらだら暮らすことのとんでもないリスクをまざまざとみせつけられます。

本作で私が興味を惹かれたのは、殺した側の異常さよりもむしろ殺される側のコンディションです。
地権者という立場にあぐらをかいたのか、単に商売に不向きだったのかわかりませんが、みな酒、ギャンブル、借金に苛まれて生活がたちゆかなくなっています。
依存癖を持つ人間をコントロールする。というのはヤクザの常套手段ですが、最初から依存癖のある人間に照準をあてればあえて薬漬けにする手間も省けるというものでしょう。

で、私は依存癖が怖いです。あまりの怖さに勝手に「依存の臭い」を自分の中に決めていて、その臭いに近づかないよう、あるいは自分で発しないよう気をつけています。

私の考えた依存臭
・タバコとアルコールと乾き物の混ざった臭い
・悪臭のするトイレ
・下水の臭いなど、湿気が伴う悪臭

以下理由

・タバコとアルコールと乾き物の混ざった臭い
酔うために飲むセットメニューですね。特にアルコールの臭いが強く出る安い甲類焼酎とか残酷な商品は凶器認定してもいいんじゃないでしょうか。パチンコ店の臭いの成分にもこれらが絶対含まれてます。

・悪臭のするトイレ
これは子供の頃、覚せい剤所持の逮捕者が出たご家庭の家に遊びに行ったとき印象強かったのが理由です。普通に掃除する人がいないというか、家庭の大人が家族の健康に気を払わない。こういうことに頓着しない、という空間に漂うすさまじい無気力さが、今思えばもう人生を自分の意思でコントロールできていないという証拠のように思います。薬でトイレが掃除できなくなったというより、勝手な想像ですが、もともと酒とかに軽い依存傾向があって、トイレ掃除とかの習慣を簡単に手放せる素質があったんじゃないかと思っています。

・下水の臭いなど、湿気が伴う悪臭
これもトイレに似たことですが、自分自身とか家庭を清潔に、健康に保って大切にする。というちょっとした努力ができなくなるのは、何かに気力を奪われやすい証拠…。特に台所のゴミ受けにずっと生ごみをためていたり、風呂場の排水口に髪の毛を詰めたままにしていることが臭いでわかる空間や、それらを強烈な消臭剤で上書きしている空間は怖いな。不吉だな。と感じます。

その他、臭いじゃないけど要らないものを買ってしまう消費依存とかも依存癖の1つとしてありますね。100均の商品がやたら転がっている家とかはすごい不安になります。

でも何が怖いって、暴力団関係者は普段エンカウントする機会が少ないかもしれないけどですよ。こうした臭いの発生源は常にすぐそばにあるじゃないですか。安酒やタバコ、100均なんか田舎でも車で5分のところに必ずある。
人を依存に陥れるパチンコなんかは病院の数より多いんじゃないですか?
被害者を生きたまま穴に埋めたり、刻んで焼却炉で燃やしたり、暴力ふるって強い酒で潰し殺したりする犯罪者より、ずっとこういう依存源のほうが恐ろしい。何が凶悪ってそういう依存物質それ自体がずっと凶悪だわ。
私はこのドキュメンタリーを読んでそうした依存と臭いのことを思い出していました。

とにかく自分の意思を曖昧にするようなモノに溺れちゃいかんですよ。
物質に依存して身を持ち崩し、膝をついたとたんイナゴが食いに来る。というエコシステムがよくわかる教育的コンテンツ。それが「凶悪」という作品である。と言っていよいでしょう。中学生の課題図書にしてもいいと思いますよ。

ところでついでに映画も観ました。
こっちはエンターテイメント作品として取っ付き易くするためか、小説の醍醐味だったやりとりの詳細が省かれていて食い足りない感じでした。
あと、死刑囚役のピエール瀧がいい感じで鬼のような表情を見せるんですけど「ああ、ピエール、鬼みたい」と感じるたび、電気グルーヴの「カフェ・ド・鬼」を想起してしまい「ああ、ピエール、(カフェ・ド)鬼みたい…」(人を襲って命を奪い〜生き血をすすってえびす顔〜♪)と、歌詞まで出る始末。
全然集中できませんでした。でも、いい役者だと思います。



オレは背骨の無い男〜
ブルセラ通いの潔癖症
女はシビレて感電死
ウンジャラハゲジャラ食べちょろげだんちょね〜
というアホみたいな歌詞が書けるピエール瀧があんなに凄い役者になると誰が想像したでしょうか。

2014/08/14

ワーキングママと腹帯

妊娠8ヶ月以上になるとお腹がけっこうでてくるので、腹帯という、骨盤を締めてお腹を上に上げるためのアイテムをつけるとラクだと妊婦お役立ち情報には書いてあります。
しかし、オフィスで働くおかーさんにはちょっと不便です。

腹帯を期待した通りに活用するためには、ちゃんと装着する必要があるからです。

腹帯をするためにはまずお腹の中身を胸の方向にあげておき、そのあと骨盤を締める。という手順が要ります。
中身を上げる方法は、床とかベッドに仰向けに横になって、腰を浮かします。このとき自然に中身が上にあがります。そのタイミングで骨盤を腹帯でキュッと締めるのです。そうすれば中身が下がってこない。というわけです。

この腹帯。オフィスワーカーの場合お手洗いに行ったタイミングとか、デスクワークが長引いた時などちょっと外すことがあります。
しかし、再装着する際、寝っ転がる場所が無いために、テキトーに付け直すことが多いです。すると、下がってきた中身と骨盤を一緒に締めることになるので、かえってお腹が張ったり、血流が悪くなったりして逆効果だとか。

ガーン。

というわけで私はほとんど腹帯をしないで臨月になりました。
しかし、やっぱりしてるときのほうがラクかも。
オフィスワーカー妊婦にはおもわぬところに落とし穴がある。というお話でした。




2014/08/10

自分自身を変えずに世界を変えようとする者は政治を司る。 自分自身を変えようとする者は芸術に携わる。

映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキー代表作「エル・トポ(もぐら)」2010年リリースのデジタルリマスター版観た。画家でもあるアレハンドロの独自の色彩感覚が満喫できる美しさです。デジタル技術すばらしい。

あらすじはあっちこっちに書いてるのでそちらで
で、いつも思うんだけど「カルト映画」っていう分類って必要かい?私はどうも映画マニアが映画を語る権利を守ろうとしてる感がして嫌いです。あるいは「正常なもの」と「異常、逸脱したもの」といった区別につながってる気がする。わざわざ警戒させようとしてないか?エル・トポは万人が解釈可能な普遍的な美と真理のある作品ですよ。

カルトの定義は暴力やセックス、冒涜など文化的なタブーを破る表現が用いられていることのように説明されます(wikipedia)。興行的成功が求められる作品は表現が制限される現実があるので、そのカウンターとして明示的に分類する必然性は理解できるのですが、特に映画をビジネスとしてとらえる必要がない立場からすると、分けることで視聴機会を失ってる人もいる気がして不満です。

だいたい隣人愛に溢れ思慮深く、弱いものに手を差し伸べたりする正義漢を「人間」の理想として描いてるのを観て「そうそうそれそれ。それがやっぱり理想よね。自戒を込めて。」なんて不健康な話だと私は思ってます。
もしそんなアホみたいな価値観がブロックバスター的映画によってまんべんなく世界に額面通り受け入れられているとしたら、他人の国を爆撃したり自衛権を増強したり食料を奪い合ったり子供や老人が虐待されるなんてことはないでしょう。

逆にそういう「人間はきっとすばらしい」という妄想を良いトシして抱き続けているがゆえに本来の人間の持つ卑劣さを認めないせいで、自分の精神をそこから逃がすための具体的な努力を怠りまくって調子に乗ってんじゃないのか。
自分以外のまわりの人間が。じゃなくて自分自身がだ。

アレハンドロのファンサイトかな?で、彼にインタビューした記事が掲載されていて、その一節に

自分自身を変えずに世界を変えようとする者は政治を司る。
自分自身を変えようとする者は芸術に携わる。

という発言があります。

引用
アレハンドロ・ホドロフスキー 日本語オフィシャルサイト
インタヴュー : もちしゃ・えるがと。
2007年11月7日、パリ。

全く、ご本人の現状認識をそのままに、エル・トポの主人公はクソみたいな設定のなかで最後まで凄く美しい。上っ面の善悪識別欲求にまみれて美を感じる器官が鈍ったら、定期的に観ます。



2014/08/03

ゴキブリを怖いと感じる私なりの理由

私は北海道で生まれ育ったためゴキブリの本物を初めて見たのは大学2年生の時です。
一人暮らしを始めた古いアパートに引っ越したその日に台所の床を「たーっ」と走ってきて、分解した状態の掃除機のホースの中に「さっ」と入ったのを見てびっくりしました。
初めて見たにもかかわらず、すでに怖かったです。
よく「ゴキブリの怖さはDNAに刷り込まれている」などと言いますが、私は後天的に「これはあかん」と感じたちゃんとした理由があります。

中学生だった私は、今思うとよく親が心配しなかったな、と不思議に思うほど熱狂的なホラー映画ファンでした。
当時からゾンビ映画に心酔し「The night of the living dead」をはじめとしたジョージ・A・ロメロ監督作品やサム・ライミの「死霊のはらわた」なんかを喜んで観たものです。

で、1986年映画「クリープショー(The Creepshow)」というのが大変話題になりました。5話のオムニバス形式で、監督はジョージ・A・ロメロ先生。脚本が偉大なホラー小説家のスティーブン・キングという豪華な顔ぶれ(USでは1982年に公開されていたのですが、日本上陸はちょっと遅れました)。これは観るしか無いでしょう。ということで観ました。

嫁と浮気相手を殺害したら両方ともゾンビ化して復讐されるかわいそうなオッサンの話とか、隕石に触った農夫(スティーブン・キングが熱演)から草が生えてきて観葉植物みたいになって死ぬ話とか、ホラー映画のコアエッセンスである「なんでやねん」と突っ込みたくなるお笑い要素も満載です。

そのシリーズの第5話が、私にゴキブリの恐ろしさを刷り込んだ
「They're Creeping Up On You」でした。
筋は、生活感の無いマンションで在宅勤務する冷酷かつ潔癖症の男の前に、ぽつり、ぽつりとゴキブリが出てきます。そのたび殺虫剤で駆逐するのですが、最終的には手に負えないほど増える。というものです。
最初のうちは白い床をサッと横切る1匹とか、家で虫が出る平凡な光景だったのが、次第に「シリアルの箱にぎっしり」とか「排水口からどっさり」とか「虫が湧くシチュエーションとしては最悪」の状況へとエスカレートします。それも、実写で。
そう。1982年に3DCGなどありません。何が凄いって実写なのです。どっからどうやって集めてきたか知りませんが、ワモンやクロが湯水のごとく画面狭しと大暴れ。
それを観て私が思ったことは「ゴキブリって、群れるんだ」でした。
今思えば常識ですが、当時私はゴキブリをみたこともありませんし、その生態についても興味がありませんでした。しかし、その映画によって「1匹出たら、どっかに凄いたくさん居る」ということを衝撃を持って理解、信じるに至りました。

大学生になって初めて殺虫剤でゴキブリを殺したとき、死に際で腹を上にしたのを見て「映画と一緒だ..」と、あたかも惨事の前触れのように捉えて怯えたことを思い出します。
今でも部屋でゴキブリを見かけると、あの映画のようにならないためにはどうすればよいかと考えてしまいますね。

じゃあ、アリンコパニックの「黒い絨毯」でアリが怖くならないのか?という気もしますが、アリはもともと群れることを知ってましたし、どっちかっつうとイナゴのほうが怖い。と思っていたのであれは子供心にたいした怖く感じませんでしたね。

これを読んでちょっと興味でた。というかたは是非フルレングスでアップされていたので御覧ください。

They're Creeping Up On You(自己責任w)

今見ると、「日本にはブラックキャップという強烈な駆除剤があってね..」と紹介してあげたくなりますね。
あと、黒い絨毯のマラブンタには「アリメツ」という強力駆逐剤が効果的だと思います。

2014/07/26

出産はそんなに計画的にいかなくていい気がするわー

両親学級に参加してみました。
陣痛から出産までのプロセスの説明とか、院内の施設説明、出産後の生活の基礎知識習得といった学習内容で、夫婦とかパートナー同士が二人揃って参加します。長男のときもお母さんを対象に沐浴指導とかはありましたが(11年前w)、夫同伴が参加条件とは世の中も変わったもんですなー。
夫立ち会い出産希望者はできるだけ受講してください。とのことだったので、講習内容にも立ち会いを前提とした内容が盛り込まれています。
例えば、むくみやすい妊婦の足を夫がマッサージする方法とか、陣痛が始まったとき、夫に腰をさすってもらうときの位置とか、子宮口が開いたものの、まだいきんではいけない段階で夫がやるとよい行動(呼吸に合わせてテニスボールを子宮口めがけて突っ込むのですよ)とか、寸劇形式で出産間近の状況で夫が妻に声をかけるときのシミュレーションとか。

そして終了時にはひとこと「出産はパートナーの助けがないと乗りきれません。積極的にサポートしてくださいね」と釘をさされます。

しかしながらこの陣痛という現象。自然分娩を選択した以上いつくるのかは医者でも全く読めません。予定日なんぞ単なる目安ですし。陣痛スタートの時点から夫がそばに控えていられるかどうかは運です。なんだかんだで産院に駆けつけてみたら生まれてた。というのは、当たり前にあり得ることでしょう。

客先に行った時うっかり携帯を忘れる。ということだってありえますし、完全に消音、移動中で電波が届かない。ということもあるでしょう。
そればかりか、出張中だった。という可能性も否定できません。
もっと言えば自然分娩で行けるかどうかも不確実です。直前で帝王切開に切り替わる可能性だってありますし、とにかく計画通り、練習通りにいってラッキー、いかなきゃまあしゃあないよね〜。程度のゆるさは欲しいです。

だがしかし。両親学級では相当夫のプレゼンスを強調します。立ち会いを自ら希望している男性の気分を盛り上げるためによかれとおもって追い込んできてるのかしら。という気もしますが「夫の手がないと乗り切れない」とまで言い切られた妊婦が、几帳面な性格で初産だったとしたら…。彼女が計画通りの動きをたまたましなかった夫を「一生許さん」と思ってしまうってことはないのだろうか..と心配です。

そもそも妊娠出産という現象に、男性なんか蚊帳の外なのです。女性は日々刻々といやおうなしに体の様子が変わり、複数の障害を乗り切りながら脳内麻薬物質の力を借りて大きなカタルシスにたどり着きます。
その時なかば自動的に「おかあさん」にトランスフォームしたあと、額に汗して興奮気味に仰ぎ見た夫が10ヶ月前のただの男と何も変わらないという。それが現実です。
そのギャップを少しでも縮めようというのが両親学級かもわかりませんが、わかんないもんはわかんないのでしょうがないというあきらめというか、そういう現実の受け入れも女性側には必要なんじゃないかという気もします。

子育てに参加しろ。もっと妊婦の気持ちを理解しろ。と、言われたところで産院では男性側の心理的な不安や相談事をサポートするメニューは、私の知るところありませんし。そろそろそういうのあってもいいかもしれませんね。
家族が増えて仕事にプレッシャーを感じつつ、グチも言わずに子供やよめさんに気を使い続けることが「求められるイクメンの姿」だとしたら、自分に出来るかなあー。できないだろうなあー。なんか今の男の人ってタイヘンだねえ。と、思いましたよ。

2014/07/23

女性器単体の立体造形はわいせつじゃないですよ

法的な意味におけるわいせつとは、いたずらに人の性欲を刺激し、正常な羞恥心を害して善良な性的道徳観念に反することだそうですね。

よく芸術作品とわいせつ物との線引きって難しいよね。という話がありますが、人がどんなビジュアルによっていたずらに性欲を刺激されるのかは「趣味」という名の主観、感性によりけりですので杓子定規では判断できないので当然です。
ただ1つ、わかりやすい判断基準を示すとするなら「性行為をストレートに表現したビジュアルかどうか」があげられるでしょう。
あるいは、そのものズバリでなくとも性行為を容易に想起させるビジュアルかどうか。も、基準としてはアリな気がします。

ところで芸術作品としての男性ヌードは珍しいものではありませんし、男性器が写っていたとしてもわいせつ物としてとがめられるケースは少なかろうと考えます。
しかし一方でわいせつ指定されてしまう作品もあります。レスリー・キーが2011年に開催した展示会で展示したForever Youngというタイトルの男性ヌード写真です。この写真では男性モデルは勃起してます。
おそらく、勃起していることが「性行為の準備が整っている」と見なされて、わいせつ認定されてしまったのでしょう。本作品の芸術性や評価についてはほかに専門性の高いかたがしていらっしゃるので触れませんが、小役人の杓子定規だと「勃起=わいせつ→逮捕」で仕事が成立すれば動く。ということだったのでしょう。

逆にいうと男性器の場合、勃起さえしていなければ、それはわいせつではないと言えます。
存在感のある男性器が印象的なダビデ像も、メープルソープのヌードに写る巨大な男性器も、わいせつではないのです。

ところで女性器の描写は男性のそれよりわいせつと言われやすいのはなぜでしょう。たしかに、これまでの芸術作品において女性器を客観的に描画したビジュアルは、わたしからみてもだいたいわいせつです。

なぜかというと、女性器は普通にしていると、見えないからです。
わたしは自分で持っているので知っていますが、女性器って全裸になるだけなら全然見えないんですね。観察者に向かって両足をかなり広げないと見えない。この構造上の都合から、女性器を描写した作品は、それの持ち主である女性を「性行為の準備が整っている状態」としてあわせて描写している状態になります。
そのような意味で、エゴン・シーレとか会田誠とか葛飾北斎らが描いた女性器(とその持ち主)は相当わいせつです。ただ、そのときどきの文化的な背景などがあって作品で逮捕されることはどのかたもなかったと思いますが。

では、部品としての女性器とか、セルフポートレートとしての女性器はどうでしょう。
わたしはおもうに、これって勃起してない男性器と同じ解釈ができるんじゃないかと思います。女性器を見せている対象が作品中に存在しない。つまり、女性器の持ち主が誰かに向かって足を開いてない。女性に「性行為に及ぶ気がない」という意味で、全然わいせつじゃないだろうと。
3Dプリンターで自分の性器をデータ化したことで咎められたかたがいらっしゃいましたが、スキャナーに向かって足開いただけですから。

ただ、出来上がった立体造形が正常な羞恥心を害するか?という点については確かに女性器は男性器よりも「見えにくく」「見慣れない」ものであるがゆえに鑑賞者をはっとさせるモチーフではあるでしょう。
しかし、田舎の露天風呂の脇にある巨大な男性器の像に比べれば破壊力は小さいというか、女性器もその辺に陳列できる世の中になれば、そのうち見慣れることもあるかもしれません。

というわけで、わたしは女性器そのものの立体造形はわいせつとは言えないんじゃないの派です。
と、同時に、部品としての女性器単体でわいせつ感を醸し出せる彫刻なり、立体造形があったとしたら、ぜひ見てみたいです。それはすごい表現力というか、芸術作品として相当の価値があるんじゃないかと想像しています。

2014/06/17

若いときと高齢とで妊娠した場合のメリットデメリット

わたしには最初の妊娠と11年の開きがあり、当時(29歳)と現在(40歳)とで比較すると個人的なメリット/デメリットを感じます。思い出として整理しておきます。

・身体能力に関して
若い頃は、筋力や代謝、循環器の能力が高かったことからトラブルが少なかった印象です。
まとまった距離を歩いても足が痛んだり、血の巡りが悪くなる、静脈瘤が出るといったことはまずありませんでした。静脈瘤を指摘されたのは40代。ふくらはぎ付近の血管が増大した血液量を循環させられず、そのままその付近の静脈にとどこおって血管ごとコブになるという症状です。コブにはならないまでも、血管がうまく機能せず、お風呂に入ってあったまったりすると一気に血管内の血液が通って針の山に寝たのかというくらい痛む症状になやまされました。弾性ストッキングという静脈瘤対策のアイテムで改善(下肢に血が多く回らないようにして循環効率をあげる作戦)しましたが、一時は痛くて風呂に入れませんでした。
また、年齢があがると大なり小なり子宮筋腫ができるリスクもあがります。私は子宮の奥のほうに3cmくらいのがありますが、そのおかげで胎盤の位置が下がってしまってます。胎盤が下がっているせいで絨毛血腫になり、妊娠初期で出血して4日間入院したこともあります。また、胎盤が子宮口に近いことから、7ヶ月時点で帝王切開の可能性も残っています。
やっぱし母体は若いほうがなにかとメリットが大きいかなあ。と改めて思います。
ただし、つわりの度合いとか骨盤周辺の痛みなんかは若い頃とたいしてかわらないです。年を取ってガタがきやすい部分が素直にデメリットになる。といったかんじです。

・経済面
この点については40代のほうがずっとアドバンテージあります。妙齢のワーキング妊婦最大のメリットはこの経済力と言ってもよいでしょう。
わたしの場合専門的な仕事を激しく続けてきたおかげでそれなりに蓄えもあり、診察や出産にかかる費用に対する不安は感じずにすんでいます。しかしそれでもかなりの出費であることに間違いはありません。私が住む区では妊婦検診にかかる費用の半分ほどを区が肩代わりしてくれます。とはいえ超音波とか血液検査などは一万円を超えることもざらです。分娩予約として数十万先に支払わなければならなかったりもして、若い当時は貯金のほとんどを出産準備で使い果たしていました。若さゆえの無神経さで乗り切りましたが、いくら体がベストな状態といえども20代前半で妊娠したら凄く金に困りそうな気がします。

・仕事
なぜ40代のほうがお金に余裕があるかというと、それは当然仕事の責任が重いからであります。そして妊婦は激しい仕事のしかたができません。疲れやすいし、ストレスに弱い。わたしの場合、40代での妊娠のほうが周囲にかける迷惑度が正直かなーりでかいです。若い頃は今よりずっと取り替えの効く立場といいますか(一介の若いフリーランスであったので)仕事を中断することのデメリットは自分の収入を手放すことくらいで、周囲の影響度は低かった気がします。
自分自身のデメリットというよりも、周囲のデメリットは40代のほうが大きいんじゃないだろうか。と、その反面、チームメンバーが「おめでたいじゃないですか!」と、全力でサポートしてくれる様子に感謝感激を禁じ得ない。という点では生きててよかった。と思うところであります。
経済力が40代のアドバンテージ。とは言っておきながらも、それは非常に自己中心的な観点であるわけですね..。

・その他、確率論など
40代で妊娠することの最大のデメリットがこれです。
1つは高い確立で流産する。と、言い渡されること。そして、胎児の異常に関する確立についていやおうなしに考えさせられることです。
身体能力云々というよりも、卵子のコンディションがどうこう。という話題に必ず直面させられる。しかも、確率論で。
40代の妊娠初期における流産の確立は40%である。とか、40代の子供がダウン症である確立は88分の1である。とか。とにかく「だったらどうしろっていうのか」という数字だけを渡されて数週間ビクビク過ごしました。
出生前診断のトピックは別途書くつもりですが、40代の妊娠初期、これらの話題は不可避です。
そもそも10年前は出生前診断自体メニューとしてなかったので、これは凄い世の中になってしまったなあ。という気持ちです。

でも、精神面では昔の自分よりずっと強くなっていますから、いろんな都合はあるにしてもやっぱり今の自分が自己ベスト。と、思っています。

2014/06/11

ワーキング妊婦のためのストレス発散のご提案

仕事をしていると、タスクの内容や時間制限などよくも悪くも緊張感とかストレスを感じますね。
過去私にとってそういうプレッシャー的なものは「カタルシスを増大させるエンジン」程度であり、基本ウェルカムでした。
たとえば「今週はいろいろ大変だったから金曜日の夜には1800円くらいのハーフボトルの赤ワインのんじゃうんだー。」とか「車借りて強行スケジュールで温泉いっちゃうんだー」とか酔ったり無茶したりしてウサをはらすにはストレスがなければつまらないわけです。

しかし妊婦となった今、ストレスはあれど発散する方法がまったくなくなりました。

もう一度言います。ストレス発散方法がまったくなくなりました。

・無計画な移動
・暴飲暴食
・アルコール
・激しい運動
・夜更かし
・アロマとかマッサージ的なリラクゼーション(妊婦には時期ごとにいろいろ禁忌がある)

こうした一切の発散行為に頼れなくなるのです。

とはいえ、仕事にストレスはつきものですから仕事している以上ストレスはあります。どうすんのこれww

妊婦さんでもマタニティスイミングとかヨガとか適度に体を動かして、ストレスを上手に発散する方法があるわよ♡みたいな記事などを見かけます。
そんな暇ねえよww

上に子供がいると夜にそういうところへ通うわけにもいきませんし、仕事もふつうに忙しいのでそもそも無理です。

でも、ストレスは生まれてくる赤ちゃんにもよくないわ。子供のことを考えてストレスはできるだけ生活から排除して、ゆったりのんびり過ごして!といった記事なども見かけます。
余計なお世話だww

なにが出生率の向上と女性の社会参加の促進の両立だwww
主婦は不良債権とか言ったやつ出てこいwww
妊娠してみろこのビチグソがー(ポルナレフ)
ブーン(((っ・ω・)っ
(☝ ՞ਊ ՞)☝ウェーイwww

しかし子供も仕事も大好きですから悪態をついているだけではいけません。何かソリューションを見つけて。小さいことでも「これでストレスが発散できる」と思い込んだほうがおとくです。

そこで!がんばって禁忌に関するリスクもなく、時間もとらず、金もかからないストレス発散方法を開拓しました。それは...

足の裏にサロンパスを貼って寝る。です。

単に足のむくみがとれるだけですが、体の血行がよくなる気がするのと、貼らないよりは気持ちがいいです。
あと、肩とか腰に貼ると臭いとか貼った跡が気になりますが、足の裏だと気になりません。
「これでつかれとむくみとストレスが全部とれるんだぜ〜」と、思い込みながら貼り、翌日はがしながら「とれたぜ〜」とさらに思い込むとよいです。

なお、痛みに効く成分のインドメタシンは妊婦にとっては禁忌です。胎児の循環器に重篤な障害を与える報告があります。
妊娠中でも使用できるのは第三類医薬品に該当するふつうのサロンパスとかに限られるので注意しましょう。

こんなちっこいことでもけっこうカタルシスになりますよ。嫁さんが妊婦という男性はぜひ嫁さんの足の裏に貼ってみてください。翌日剥がすときは水で濡らしてからはがすなど工夫してあげるとなおよろこばれます。

2014/06/07

妊婦の食事制限

食べるなリストがいつのまにかけっこう増えていたのでびっくり。
10年前の長男のときはマグロくらいでした。妊娠3ヶ月目で栄養士面接うけたときに言い渡されたリストにあったのは以下。

■量を制限する必要のある食べ物

昆布
※(ヨウ素)の過剰摂取で子供の甲状腺機能が低下する。

目安
1週間で5cm四方くらいが上限。とろろ昆布のおつゆは1週間に1パイ程度。昆布だしにもヨウ素は含まれるため麺類のつゆを飲むなどは控えること。みそ汁のだしはカツオだしにするなど工夫する。

これ凄い困りました。とろろ昆布、おでんの昆布とかつわり時期にけっこう食べれた食材だったので。あと、塩昆布を調味料代わりによく使ってたのと、ほんだしみたいな顆粒だしにはたいてい昆布の粉末が入っている。いや、よく見るとスナックや調味料、市販の漬け物の果てまで昆布ってたいていのものに入ってるんですね。だからせめて昆布本体を食べない。という線引き程度にしないとノイローゼになります。私はそうしていました。

レバー類、うなぎ
※催奇性の原因物質であるビタミンAが多く含まれている

目安
レバーなら1週間に串焼き1本程度にしとけ。うなぎはちょっとした切り身を1切れ程度。
酒も飲めないのに串焼き食べないのでもう食べなくていいやと思いました。
ビタミンAは緑黄色野菜とかでも適度に接種できるのでレバーとうなぎは妊娠してから食べてません。

みなみまぐろや金目鯛、マカジキ、クロムツ
※水銀が多い

目安
1週間におさしみ1人前(4切れ程度)なら許容量。金目鯛は煮付けなら1切れ。週にメニューがかぶらないようにする。

つわりが終わってからお寿司はけっこう食べられるようになったのと、メニューとして簡単なのでつい「マグロ丼を...」と思ってしまいがちですが、面倒なのでまぐろだけさけるようにしました。サーモンとかしめさばばっかり食べるようにしました。

基本的に食べないほうがいいもの

生ハム、スモークサーモン、モッツァレラチーズなど生のナチュラルチーズ
※胎盤を通過するリステリア菌を摂取するおそれがある。

えー、です。特にモッツァレラチーズが好きなので。生ハムはランチの時にサラダの上にのっかったりしてたのでよけてました。ちょっと食べたからってどうなるというわけではないですが、当たり外れのある話だということです。ナチュラルチーズは加熱してあれば大丈夫なのでピザはOKです。リステリア菌を食らうとどうなるか。ですが、胎児の健康に問題が出るとのことです。

生肉
※食中毒の危険がある

食中毒にかかると母体によろしくない。というのは当然ですが、まれに「トキソプラズマ菌」というヤツがくっついているからダメとのこと。こいつは胎盤を通過して胎児の健康を阻害するとのことなので要注意だそうです。ちなみにトキソプラズマはペットのうんちに付いてることがあるのでペットのトイレ掃除は注意とのこと。

こうしたネタはネットで調べるとほかにもいろいろ出てくるのですが、病院で特になにも言われなかったにも関わらずよくひっかかるのが

・バジル

バジルがダメならイタリア人が大変なことになりそうだが、栄養士さんによるとジェノベーゼソースとか、ピザに乗っかってるやつとか普通に食べるのは特に問題ないそうです。
(こういう食べ物ネタでバジルを食べると流産するとか無茶なことを書いて妊婦を脅して閲覧数をかせぐへんなリソースが大量にあるのはこまったものですなー)

あと、厚生労働省のページで頻繁に紹介される要注意食材で異色なメニュー

・バンドウイルカ



そっかー...。水銀量がハンパないんだそうです。
週に10g程度、一人前なら2ヶ月1ぺん程度なら...みたいなことを書いてましたが、入手困難なので、食べる機会はあまりないかも。


2014/06/02

高知はシリコンバレーに似ている

「釣り記事」ってわかっていてもハラが立つ。と、住さんが素直に怒っていたことから興味がわいてこの記事を読みました。本文のタイトルはその記事のなかで一番おもしろかったところです。

これです。
イケダハヤトが高知に行く理由を聞いてきた

そしたら不思議なことに、25年くらい前のことを昨日のことのように思い出したのです。

クラスメイトでひどいビックマウスの子がいました。だれかがなにかのトピックについて話していると、すかさず顔を突っ込んできては「あーそのことならおれになんでもきいて」とか「すくなくともおまえらよっかよく知ってっから」みたいに常に上から目線で講釈をたれるのです。
エレキギターのことならなんでも知ってるし、家にもすごいのがあるぜ。とか、
ペットならうちに超高級なオウムがいるぜ。
とか、あまりに偉そうにどんな話題でも「勝ち」にくるので、クラスの連中からは「めんどくさいやつだな」と思われていました。
彼の言っていることが単なる「講釈」どまりであるとされていた理由は簡単です。言っていることが浅く、細部に突っ込むと答えられなくなったり、あとで確認すればわかってしまうようなウソが混じっていたりするからでした。それに学校の成績もどちらかというとよくないほうで、尊敬に値する知性派とは思われていない点も理由の1つでした。

ある日、いつもの彼の講釈に腹を立てた「ヤンキー」的な男の子が、とうとう

「お前ほんとは何にも知らないクセに、知ったようなこと言ってるだけじゃねえの??むかつくんだよ。ぶっとばしてやろうか」と、突然彼に迫ったのです。

すると何を思ったか突然ビックマウスの彼は、反射的に窓から飛び出しました。
二階なのにです。
幸い外が砂だったので、彼は何事もなく着地し、そのまま駆け去ったのですが、その着地点についた足跡は「ビックマウスが二階から飛び降りて付けたありえない深さの足跡」として見る男子を笑わせました。
一方のヤンキー君は、当然ですが、クラスメイトを脅して二階から飛び降りさせたとして、先生に大変しかられました。

それからというもの、ビックマウス君は男子にとっては「追いつめたら何をするかわからないのでそっとしておくべき」存在になりました。
また、一部の女子のなかでは「彼のご両親は早くに亡くなり、子供の頃から親戚中をたらい回しにさせられて大変苦労している。彼の言動はいままで必死に生きてきたがゆえの護身スキルなのではないだろうか」という噂がおこりました。本当かどうかは知りません。
いずれにしても、その後ビックマウスがなにをどう知ったかぶろうが、クラスの態度はおよそ二つに分かれました。1つは「彼の言うことを肯定し、許容することで自分自身の度量を示す」態度。もう1つは「スルーする」態度です。豪快に否定することで苦労しているかもしれない人間を傷つけたり、また、飛び降りたりされないようにするにはどちらかを選ぶしかなかったのです。

それから数年たって、私は大学に通うようになりすっかり彼のことも忘れていたころ。
誰に番号をきいたか知らないが、ある日ビックマウスがわたしに電話をかけてきました。

「お前東京にいるんだって?俺もじつはさ、東京で働いてるんだ。こっちきてからインディーズでバンド始めたんだけど、今じゃ仕事よりバンドのほうが本業みたいなもんでさ。東京の女ってすげえのな。俺のライブでキャーキャー言うだけじゃなくてもう失神寸前なんだぜ。呆れるよ。そうそう、インディーズのビジネスとかレコード会社のつながりってお前知らないと思うけど....」

といったぐあいに、東京の、音楽業界で自分がいかにいいポジションにいるのか。そして、バンドでのしあがっていくには何が必要か。といった(知ったか)をおよそ二時間にわたって上から目線で繰り広げたのでした。

そのときの私の態度は「肯定」です。「てめえでかい口たたいてんじゃねえよどうせフカシだろう」と心ではちょっと思っていたのですが、なんとなくそういうことを言ってはいけないような気がしたために、ちょっと長かったのでイライラしながらも、最後までききました。

と、そのようなことをイケダハヤトさんのくだんのネタで、なぜかまるっと思い出したのでした。
彼の話を受け取った人間に、否定するには罪悪感が伴うようなどっちつかずの偽善的肯定や、素直にきっぱりと否定する反抗心といった「青春っぽい葛藤」を巻き起こす。というのが、イケダさんの存在の真骨頂なのかもしれないなあ〜。と面白く感じたのでした。

2014/05/30

つわり通勤


昨年年末から仕事が非常に忙しく、ストレスも多かったことから年明けは非常に体調がよろしくなく、あーストレスがたまると微熱が続くのね。あーストレスで全然食欲ないわ。うあーストレスで眠い。ストレスで乳が張ってつらい。と、思いながら生活していたところ、現在5月末時点で立派な妊娠7ヶ月です。ストレス恐いとかおもってたら単に妊娠してただけなんですねー。よかったよかった。
ということで、
「フルタイムで仕事して上に子がいる40歳の妊娠生活」をおもいでとして書き残しておこうとおもいます。

ちなみに私の仕事はインターネットの技術を使ってサービスを提供する会社の、アプリやウェブページのデザインとか、メディア企画などです。就業時間は10:00-19:00くらいで、こどもはほかに小学生がいます。家事とフルタイム勤務に従事するごく普通のワーキングマザーです。前の出産がもう11年前なので何もかも忘れてます。

1回目は「つわり通勤」です。

妊娠10週といわれるころあたりから気持ち悪くなってくるいわゆる「つわり」ですが、胃腸障害や二日酔いのように単に気分が悪くなるわけではなく、考えがまとまらないとか集中できない、めまいがする。食べ物のし好が変わる。と言った症状が出るのが妊婦の特徴です。
私の場合この頃平熱が37.5℃程度で、全身倦怠感と「いろいろくさい」現象がありました。
においが気になることでハードルがあがるのが通勤です。

50メートル先を歩く人の持っているタバコのにおい。混んだ電車で接するおじさまの昨晩の酒の残り香。そのスーツ、しばらく洗ってないね?的な汗のにおい。セクシー女性のムスク系の香水。駅前のつけ麺屋の鰹節臭。これらがスタンド(ジョジョの奇妙な冒険参照)のようにはっきりした輪郭を持って攻撃してくるのです。鼻から入ってみぞおち付近を「URYYYYYYY!!!!」するスタンド。目もかすんできますしめまいもします。つけ麺屋に至っては本気で「たのむからつぶれてくれ」と念じるほどでした(人気店なのでつぶれません)。

じゃあ時差通勤で比較的すいている早朝に移動すればよいとも思いますが、つわりの時期は微熱も手伝って、なかなか早く起きるのも大変です。マスクをすると少しラクです。でも夏場だったらそれもまた別の意味で辛いかも。幸い私はこのころ寒かったのでずっとマスクをしていました。さらに電車のドア付近に張り付いて、ドアと車体の隙間に顔をひっつけてフレッシュなエアーを求めていました(危険なだけで、効果なし)。

会社に相談して遅く出社することを許容してもらうという手段もありますが、私の場合なにせ40歳だもんで妊娠15週くらいになるまで流産の確立が50%程度と言われており、周りに伝えるのはその時期が過ぎてからにしましょう。という医師からの指示もあり、つわりがきつかったころは単なる「覇気のない人」でした。
高齢の妊婦でなくともだいたい会社や同僚に妊娠していることを伝えるのは妊娠15週以降であることが多いとおもいますが、具合は悪いが事情を言うに言えない。ということで「ぐぬぬぬ」となった経験のあるかたは少なくないかもしれません。

最後に1つ、ワーキングマザーあるある。
つわりがだいたい終わった5ヶ月くらいの働く妊婦さんに「つわりつらかったでしょう。」ときくと、「いやあ、そうでもないよ(ニコッ)」という答えがかえってくることが多いです。
自分が妊婦だとわかるのですが、妊婦ワーカーは「出産まできつくなっていくいっぽう」ということはあっても「楽になる」ことがあまりないため、過去がどんどん現状で上書きされていきます。結果、今より前の記憶をたどると「そうでもない」という感想になります。
とくに出産後のワーママさんですと、出産がつらさのピークですからそのほかのことはたいてい「とるにたらないこと」に格下げされてしまい、何をきいても「いやあー、そうでもないよ(ニコッ)」になります。
そんなしんどい妊婦ワーカーですが、かといって荒んだ心を抱いて生きているわけでもなく、精神的というよりは肉体的にしんどいだけなので、わりと人の痛みにも敏感になってたりして、けっこう人当たりよかったりするので安心してください(ニコッ)。

2014/05/21

社会性のない人間を育てないようにする工夫

世間を引っ掻き回して面白がる。というタイプの事件があると、だいたい容疑者になるのが20代後半から30代くらいのわりと孤独なタイプの人なことがよくありますね。
興味深いのはそうした人の談話に「事件後も母親のことを気にかけて」とか「親への憎しみが動機に」みたいなことがある。ここから読み取れるのは、よくもわるくも「親」に行動や考えかたを支配されているっちゅうことでしょうか。
そういう「親の支配」を逃れられない人ほど社会性が乏しいように思います。
30すぎると自分自身の社会的な責任とか、独自に築いた人間関係とかがあるはずなのに、それがない。
私にはそういう人は単に独身だからとかでなくて、子供の頃から人間関係や生きかたが親の管理下にあって、そこから結局独自の社会を築くことができなかったことがそもそもの要因なんじゃないかと思えます。親の言動や態度に支配されていることが原因で、仕事や人間関係といった家の外の社会生活が破綻しちゃうんじゃないかしら。と。

さっさと子供自身が独自のつながりを勝手に持って、どんどん親を置いて行ってしまうことを推奨しよう。それで彼らなりの社会とのつながりを大切にしてもらおう。私は親としてそういうふうに思います。それが子が社会性を獲得する第一歩なんじゃないでしょうか。そうすると、おのずと世の中を引っ掻き回して喜ぶような幼稚な行為に魅力を感じない人になってくれるんじゃないかしら。

生物は基本、危険回避のため移動する方向に目などの感覚器官が付いており、排泄物からいち早く離れるためにその反対方向に排泄器官が付いているデザインになってるそうですね。
生殖器官もまた、子から母体が「いち早く離れる」のが健全だからこそ、たいがい排泄器官のそばに付いているものなのでしょう。
ただ、人間は直立してしまったせいでそれらがほとんど移動方向X軸の同一位置にありますから、たまにわかんなくなっちゃうのかもしれないですね。

「たとえお前が真犯人だとしてもお母さんはお前を受け入れます」とか言うのは優しいからじゃなく、子供をいつまでも支配しておきたいから言えることだと私は思います。
そうやっていつまでも手元に置いといて自己満足できるのは親だけで、親の手元で子供は腐ってしまうなら、いい人ぶるのはやめて「自分でまいたタネは自分で拾え!!」と言って追い出しといてケツふく体制はととのえておくマネジメントで行きたいものです。


←「毒になる親」というそのものズバリなタイトルの勉強になる本。どうも自分は人間関係を維持するのが苦手なんだが原因は何かしら..という人のヒントになるのはもちろん、子供にうまく社会性を獲得してもらいたいという親にオススメよ♡


2014/03/19

女手1つで子供を育てる話題が含む間違い

報道されるたんびになんかへんだなあ。と思うので考えをのべます。

要訂正その1:未婚の子持ち女性は夜の仕事しか選べない境遇に陥りやすい

これ若い人が言葉通り受け取っちゃうと困るのではないでしょうか。この考えの根底には「夜の仕事は簡単で、誰でもやれるがゆえに切羽詰まった子持ちの女性にオススメ」という誤認識があるのでは?と思うのです。

確かに若さと外見が揃えば雇用のハードルは低い場合もあるでしょう。
しかしまともにキャリアとして考えた場合、夜の接客業ほど技能を求められる職場はありません。まず年齢とともに相応の知性も求められますし、料理の知識や雰囲気作りなどサービス業ではあたりまえのノウハウが無ければ働き続けることは難しいです。現に年を経ても夜に接客業を続ける友人はみな相当の知性と技能を持つプロです。当然勉強もしています。わたしなんかは子供が居るならそんなハードな仕事よりも普通にコツコツ勉強して薬剤師とか翻訳業とかを目指したほうが簡単じゃないかとすら思います。
とにかく夜の仕事は「しかたなし」に行くところじゃないぞ!周りはプロだらけだそ!と、大人は夜の仕事をナメないでほんとのところを教えてあげたほうがいいです。ケツさわらせて仕事になるのは25歳までです!(多分)

さらに、こうした誤解が手伝ってか夜の街では子持ちの若い女性がかなり多いです。一度だけ夜、繁華街の託児所に子供を2時間ほど預けたことがありますが、4畳くらいのスペースに12人くらいの子供が居ました。猫カフェの猫ちゃんのほうがまだマシです。需要があるので供給側もサービス改善の必要がないのでしょう。とにかくそういう劣悪な環境に進んで飛び込む(2時間だけ飛び込みましたけども)ことはないと思います。

要訂正その2:母子家庭は弱者だから守ってあげなきゃいけない

若い人がこれを受け手として言葉通り解釈して「母子家庭になったら守ってもらえるもんだ」と思うのはやめたほうがいいです。
なぜなら、いきなり「お前を守ってやる」と提案してくる強い立場の人間に、まともなやつはいないからです。そういう大人はだいたい弱い立場の人間に依存させて自立しにくい状態にし、最終的に「お前らを守ってやったんだから、お前らは黙って俺の言うことをきいて信頼とか票とかをくれてりゃいいんだ!」って要求してくるに決まっているのです。

それで票をあげたとしても依存関係を維持する必要が向こうにはありますから、絶対にこっちを自立させたり、他人を守れるほど強くさせてはくれません。せいぜい「保育施設に公的資金投入」という提案をちらつかせてくることもありますが、保育施設が自立して商売が成り立つようになるほどの知恵をかしてくれることもありません。

もし、いいお給料をもらっている男性と巡り会って「君を一生守っていくよ」と言われてもやっぱり同じことです。心の中では「一生依存させて俺のために尽くさせてやるぜ。フハハ」と思っているかもしれないし、そうじゃなくても子供を残してうっかり死んでしまうかもしれないし、死ななくても働けない体になってしまうかもしれません。そんなとき、ちゃんとその人のサポートができなければ不公平でしょう。

一番良いのは、女性でも仕事をもって、自立することをあたりまえだと考えて、勉強することです。
サルトルというかっこいい哲学者は言っています。

「君は自由だ。選びたまえ、つまり創りたまえ。」

今日の自分自身の行為は、自分自身の未来を作るもとになっている。そして自分自身の未来は、社会の未来を作るもとになっている。だから、今日の自分自身の行為が、社会を作ることと同じだと自覚しよう。自分がどういう社会に住みたいのかは、自分自身が自由に決めることができるんだよ。という意味だそうです。

そういわれると確かにそうだと私は思ってます。



夜の世界はプロの世界...。それをアツく、そしてわかりやすく表現した大人のマンガの金字塔ですよ...。

2014/03/17

いいじゃないか。パクリでも

こういうことを言うとすごく叩かれるのですが、受け手がわが創作物の「パクリ」ものを「パクリはだめよ」と反射的に批判する現象がどうしても馴染めません。
例えば、ある絵画の贋作があったとしてですよ。本物を鑑賞したことがない人が、その贋作見て感動とか、インパクトを、受けたとしますよ。

それでいいと思うんですよ。心を動かされることが芸術をはじめとした創作物の鑑賞の効能ですから。
後にそれが贋作だったと知ったって、だからどうした。と、自分の審美眼、感性を尊重すればいい話だと思うのです。

もちろんもうけの取り分の話として創作物にまつわるビジネスをやっている人間が、パクリを商売の邪魔者扱いして憤るのは当然だと思いますが、それは創作物の存在意義とはまた別の話です。
「だまされた」とかいって受け手側が怒っているのをみても、いいじゃないか..。そんときそれを有難いと思った自分をそんなに否定しなくていいさ..。とおもいますよ。
本物だから有り難がってみたたけです。ということなら同情するのですけども。

パクリうんぬんは酒の肴として語りやすいという側面もあるのは理解できますよ。最終的には著作権法違反という答え合せもできますし、ルールの話しなら私正解!あんた、間違いー。みたいな楽しみかたもできるでしょうから。
だけど、アタリもハズレも関係ない、感性についてが創作物にまつわる話題であんまり取りざたされないのって、つまらんなー。とおもうですよー。


ところでピカソ大先生の作品で私が苦手な1品。これはあかんわー。「こいつ泣いてるようにみえるけどホンマはそんなしおらしい女ちゃいまっせ」的なピカソ先生の嫌味すら感じるできばえです。青の時代の作品とかは好きなのあるんだけど、女性を題材にしたキュビズム時代の作品になぜだか悪意を感じてしまいます。
この頃の先生、女性に恨みがあるんじゃないかしら...。それを形にできるってのはそれですごいけど...。




2014/03/14

福島のブタがかわいそうだ

今朝のニュースが、福島の避難区域で勢力を増す野ブタ200頭あまりを駆除したという話題に触れていました。

それを見た子供が
「ブタがかわいそうだ。どうせ汚染されていて誰も住めない地域なんだから、ブタが家族で暮らして何が悪いんだ。それにブタが来るってことは作物もおいしくなっているってことなんだから、いいきざしかもしれない。それを、人間のすむところだからっていって、ころすなんて」と、怒りました。

わたしは
「お前の言うことは正しい。」と肯定しました。
「いつから日本の土地は人間だけのものに決まったんだ。動物も人間も、一緒に仲良く暮らすためにあるのが自然だ。それでいいんだ。」

汚れた場所でもブタはブタのちからで生きる。すばらしいことだ。

実は、私は別の番組を見て知っています。
福島の地元を守る大人たちが、ブタが市街地に進出してきたばかりのころ、子ブタを連れて必死に生きている姿を見て「けなげだ。かわいいな。」と言っていたことを。
がんばって生きるんだよ。と内心応援していたにちがいないのです。
ところが日が経つにつれ、残された農地や建物を荒らして回る姿を見て脅威を感じたこと、その後、ブタを殺すことを「決心」したことを私は知っている。そう確信しています。

私は想像します。おそらく、この駆除に関わった大人の多くが心の底からブタに対して「ゆるしてほしい」と祈ったはずです。そして、その人たちは子供のころ「土地は人間だけのものではない」と信じていたに違いありません。それが田舎の人のこころのあたりまえなのです。

大人のわたしは、ブタを殺すのがいけないとは思いません。そうではなく、決心がないのはいけない、と思います。

決心がない大人は自分が一時的に、たまたま担当になっただけの与えられた仕事にたいして「経済発展のため」とか「組織の目標達成のため」といいながら「本当はもっと自分ごととして考えなければならなかったこと」をいとも簡単に処理してしまう。

その結果原発があっちこっちにできたり、放射能廃棄物処理場が必要になったりする。

だいたいとりかえしのつかない方向に舵を切るのは「仕事だからやった」といってのけられる決心のたりない薄っぺらな大人です。
おそらくレイチェル・カーソンの名前もしらない無教養な成績優秀者。

そんな軽薄な人間に子供がならないように願うわたしは、ブタがかわいそうだという子供の意見に賛成するのです。




2014/02/08

せっかくのDIO様の名言が

ジョジョ第6部に

君が出会った「スタンド能力」の中で、1番「弱い」能力って、どんなヤツだい?

という無邪気なプッチ神父の質問に対しDIO様がちょっとゴゴッと怒りながら、

どんな者だろうと人には人それぞれ、その個性にあった適材適所がある。
王には王の
料理人には料理人の
それが生きるということだ。
スタンドも同様、「強い」「弱い」の概念はない。

と、お説教っぽく返すシーンがあります。
いいこと言うなあー DIO様。
そのあとプッチが

質問が悪かった。子供が遊びで話す
スタローンとジャン・クロード・ヴァンダムはどっちが強い?
そのレベルでいいよ。

と言い直すのですが、せっかくのこのいいシーンもこれを見た後だと、
ジャン・クロード・ヴァンダムのスタンドとしての力量を考えてしまうなどして流れに集中できなくなってしまいました。





困ってます。
しかし、この人は荒木飛呂彦が描いたような顔ですね。


2014/02/06

プレゼン上手はむしろ子育て下手かもしれん

小学校で企画した子育てセミナーで興味深いトピックがあったので公開します。
コミュニケーションの質は「話すこと」よりも「聴くこと」のスキルが左右するというお話です。子育てだけでなく仕事上のチームワークを向上させたり、顧客とのやりとりにもあてはまりそうな内容でした。
プレゼンスキルとか日々のSNS活用で「言いたいことをうまくいう」能力にだけは注目が集まるこのごろに、「はっ」と考えさせられました。私が参加できなかったワークショップの内容をのぞいて簡単にまとめました。
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「相手に共感しながら『聴く』能力を身につける」をテーマに、臨床心理士の宇留鷲美紀(うるわしみき)先生にご講演をいただきました。

「聴く」とは自ら注意を向け積極的に話をきくこと

親は子供の話を「聞いて」いると言いつつも、子供の側からすると「親は自分の言う事をきいていない」と感じ、自分は否定されていると考えていることがよくあるそうです。ある調査によると 1 年生ではもっとも高かった自尊心が、高学年になるほど低くなるという結果もあり、親子のコミュニケーションの質については見直す必要があると先生は説明しました。また、日本の子供は他国の子供に比べて自尊心が低いという研究結果もあるそうです(日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか (光文社新書) [新書] 古荘純一:著)。

■ コミュニケーションの質は聴く側のスキルが決める

聴き手の応答や振る舞いが、話し手の心理に大きな影響を与えると言われていると説明しつつ、先生は「聴くこと」の定義を整理しました。聴く、とは

1.共感

気持ちや感情を話し手の立場に立って、感じようとする事自分の気持ちは横において相手のありのままを受け入れる(ジャッジしない)

2.応答力

話し手が、聞き手の理解が得られたと実感できることまた、子供にとって「聴いてもらうこと」は以下の効果があると話しました。
子供が自分を理解してくれる人がいるという安心感をもつことができて、心のエネルギーを満タンにできる
子供の昇華できない複雑な気持ちを言葉にすることができる
子供が自分の気持ちを客観的に振り返ることができる
子供の内面の経験を認めることができる

聴くことの難しさ

また、先生は聴くことを難しくする状況について分かりやすく説明しました。 共感しながら聴くことができない状態の特徴

世界を色眼鏡で見ている。(あなたはこうでしょう。という考えを先に言ってしまう)
自分の経験値でものをみる。自分の価値基準を子供に押し付ける
最初からこどもにレッテルを貼ってそのレッテルの範囲ですべてを片付ける
言葉だけに注目して子供が本当に何を言いたいのか理解しない(子供はまだ語彙が豊富でない)
そもそも忙しくて話を聴く余裕がない

応答力がない状態の特徴

指示やどうすべきかに注目し、子供の気持ちに注目する事を忘れる
子供の気持ちを理解できたことを伝える方法を知らない

■ まとめ

宇留鷲先生は、子供より経験値が高く、また、自分の子供を常に大切に思う親が自分の理解や知覚を押し付けがちなのはしかたがなく、本当は子育て経験のなかで子供の気持ちもわからないはずがないと言います。ただ、コミュニケーションの難しさを自覚し、意識的に相手の立場に立つことで、問題が克服できるという示唆をくださいました。

「相手の立場に立ってコミュニケーションをすることは最初は難しいでしょう。しかし数週間ちょっと気をつけていると、相手の気持ちを受け止めずにはいられなくなるようになるものです。」と、話し、その下地として「いつも心に余裕を持つヒント」を最後に説明しました。

いつも心に余裕を持つヒント

アナタ自身の声を聞いてみてください
そして、それをそのまま受け入れてください

まず、自分自身の正直な気持ちを認めることから始め、相手の気持ちも認められるようになろうと提案して締めくくりました。

仕事上で問題を解決することに慣れていると、うっかり子供にたいしても次々と解決策を提示して上司のように振る舞ってしまったり、飲み屋のねーちゃんのようにたいして聴いてるわけでもないのに「そんなこともあるよー!ガンバ!」みたいに終わらそうとしたりしたことは身に覚えがあります。
単によく聴く。ということがだいじだと肝に銘じ、意識して共感することで子供には適度な自尊心をはぐくんでもらいたいと思います。

2014/01/25

赤ちゃんにきびしいひとはいない

赤ちゃんにきびしい国で赤ちゃんが増えるはずがないという記事を読みましたが、その後、親の立場から「いやいや赤ちゃんに、じゃなくて赤ちゃんを連れている親に周囲の目が厳しいんでしょう」といったリアルな意見も出てましたね。
私もそう思います。
もし赤ちゃんに厳しいというのが本当ならこうなるはずです。


さすがに私の子供をこういう目に遭わせた事はありませんなあww
じゃあなぜにこんな状態になるのかというと、私は東京の人口密度とかとは異なる理由を想像しています。

その理由は、子育てが「親になった人にしか得られないスキルの固まりでそれは自分とは関係ないこと」だと思われているからじゃないかしら。

赤子の親に厳しい目を向けるという現象と、公共の場で人に迷惑をかける子供に無視をキメる。というのは私は同じだと考えていて、前者は例えば赤子が電車内で泣いていて気になるが、そもそもあやしかたを知らないし、勝手に子に接触した日には親に何を言われるかわかったものではない。という心配が、親に責任を問う発端になってないかしら。イタズラっ子を静観するのも叱りかたを知らないし、普段その方法を知りたいとも思っていないだけだと思います(※そもそも気に入らないことがあればその場で対親であっても直接コミュニケーションとればいいのになんかへんに世論風に仕立てるのもなんだかなあではありますが)

ところでよく日本と比較してアジア諸国は子供に優しいと言われます。私の勤め先の本社は中国でアジアど真ん中でして中国人社員はかなり子供に優しいです。会社のイベントに子供連れて行くのはウェルカムですし、中国人上司は社員の子供の名前をだいたい覚えていて、行事では交互に膝の上に乗せて酒飲んでますし、若く子供のいない男性社員でも面倒見がすごくよいです。出張に子供をしれっと連れて行っても誰かしら子供の面倒をみてくれたり、ありがたいことに、とにかく子供をほっておかない。

タイとかマレーシアでもそうですが、アジア諸国(中近東はわかりません..)では多分「大人になる」ということは、自分よりも小さい存在に対して「お父さん的な」「お母さん的な」人間になって、ちゃんと面倒が見られるようになること。と、普通に考えているんじゃないかな?それが美徳というか、目指すべき理想像みたいにとらえてる人がけっこういるような気がします(そのせいで身内びいきがけっこう激しかったり、「父さんの言う通りにしていればええんや」的な価値観の押しつけを外交上やっちゃったりといったアジアならではのツラいところもあるっちゃありますが...)。
そのせいで子育てのスキルを磨くチャンスがあれば他人の子供であろうといつでも実践したいという人が、アジア諸国には多いんじゃないでしょうか。

私も「みんなのおかあさん」みたいな立ち振る舞いができるようになることにはあこがれを感じるので、電車で泣いている赤子に遭遇したら空気を読まずにあやしていきたいと思います。