2017/07/29

さよならヌーちゃん

今日は18年間飼っていた猫と最後の一日だった。
おとといの木曜日夜から歩きかたがおかしくなり、金曜日には彼女が我が子のようにかわいがってきた息子(私の長男)のベッドの下で寝返りは打つものの起きて歩くことができない様子だった。
そのような金曜の朝私は朝食の準備をしながら確かに彼女が階段を軽快に登っていつものように息子が朝勉強をするリビングに来るのを見た。
それは幻覚というか実態ではなかったが、確かに「来たな」と思った。

彼女は朝勉強する息子のノートの上に寝そべるのが日課で、息子は彼女の体を避けながら勉強をしていた。彼女のしっぽにさわりながら勉強をするのが息子も好きだったし、彼女もそれが好きだった。
その幻覚というか、来たな。という感じを得て私は彼女がもう意識で体を動かすことができないんだなあ。と確信した。気持ちだけで来ている。

すぐに今日のスケジュールを確認して夕方以降に予定が入らないようにした。もう土曜の朝にには生きていないだろう。
金曜から泊りがけで外出する夫には、土曜日すぐに焼いてしまうことを伝えた。
出社して会議ややるべきことをやり、夕方早めの時間に会社を出た。

家に戻ると息子のベッドの下で彼女は肩で息をしていた。ずいぶんおしっこが出てしまい、体じゅうおしっこまみれになっていた。バスルームの前にある彼女のトイレのまわりにトイレシートとバスタオルをしきつめて、そこに抱えて連れて行った。濡れタオルでよくよく体じゅうを拭いてやり、そのあと息子の部屋を掃除して様子をみる。七転八倒しながらどうしても脱衣所の隅に行きたがるので、隠れたいんだな、と思い大きめの段ボール箱で隠れ家を作ってやった。屋根と壁を得てだいぶ落ち着いた。横になって肩で息をしている。

部活から帰って来た息子はしばらく床に寝そべり段ボールに顔を突っ込んでいた。
その日はおすしを頼むことにして、保育園の娘を迎えに行き、できるだけ静かに過ごさせてやろうと脱衣所は電気を消してまだ小さい娘が乱入しないように気をつけながら過ごした。
早めに家全体を暗くして落ち着かせてあげようということになり、夜9時にはめいめいの部屋に収まって布団に入った。息子にはこれが最後で、朝になったら生きていないのでよくお別れを言うように促した。
息子は寂しいせいでかやたらべらべらとよく喋り、なかなか彼女から離れようとしなかった。

家中の電気を消して娘も眠ったころ、箱の中の様子を見た。舌もしまえなくなっていて昏睡しているようだった。
わたしも横になって、眠ろうとがんばっていた。
すると、ととととととと。と、いつもの足音が聞こえた。
気持ちだけでここまできたか。と顔を上げたらどうやって歩いて来たのかケロっとした彼女が寝室のドアの前に立っていた。
そのままてくてくとわたしの枕元まで来て、そのままパタッと横になった。
しばらく頭を撫でていたら、喉を鳴らしているような音が聞こえた。
音が聞こえなくなったころ、耳が冷たくなってきたので深夜だったが夫に旅立ったようだとメッセージを送った。
そのあと2時間くらいうとうとしてから触れるとだいぶ硬くなってしまった。しっぽがずいぶん適当な形で倒れたので、このままだと箱に入らなくなってしまう。
さっき屋根にした箱を今度は棺に作り変えて、硬くなり始めた体をちょっとずつ丸めていれた。

彼女が食べ残したご飯や床に敷いたペットシーツを捨てて、床をきれいに拭いた。24時間対応のペット霊園に電話をし、午前の火葬を予約してから彼女の箱を自分の布団の横に置いて少し寝る努力をした。
目をつぶると、リビングで確かに彼女が走り回る音が聞こえる。
ソファで爪を研ぐ音さえしている。
そんな音を聞きながら、ああ、彼女も死んだことに慣れておらず、私も彼女がいないことに慣れていないんだなあ。と笑った。

明るくなってきて、息子が自室から起き出してきた。彼女がもう生きていないことを伝えると、怒ったような顔をしていっこうに会いに来ない。
それから火葬場に行く直前まで、まったく顔を見ようともしなかったが、焼けた骨は一生懸命拾っていた。
帰って落ち着いてからキャットタワーなどを片付けようかともおもったが、なんだか疲れたので何もしなかった。
猫トイレは日曜日の昼にでも片付けよう。
今日だけ、死んだことに慣れていない彼女が最後に砂をかく音を聞こう。








2017/05/01

「性格」が個人の生産性を評価する新しいものさしになるらしい

春はちょくちょく中学生の保護者会があって学年主任の先生のお話などを聞く機会があります。最近かなりの頻度で先生が「非認知能力育成の重要性」ということをおっしゃっていて、聞きなれない用語のわりにポンポンいうのでよっぽど大事な用語なんだろう。と思い、調べました。

非認知能力とは?

知能以外の能力のこと。端的にいうとパーソナリティ特性(性格)で測る
※「性格で測定する非認知能力」が状況により変化するものでなく、個人の行動を決定する測定可能で安定的な人間の性質であるという合意がごく最近形成されるようになった。個人レベルの労働生産性に与える影響の研究分野でよく利用される。

ほうほう。

ということは非認知能力を知るためには認知能力も正確に把握する必要がありそうです。

認知能力とは

理解、判断、論理といった知識や技能を指す言葉。

なるほど。

具体的な例でいうと...

  • 絵がうまい
  • 数字の計算が早い
  • プログラムできる
  • 英語が喋れる

こういう技能は「認知能力」として質が測れるようです。

では、なぜ非認知能力が注目されているのかを調べました。

理由:従来の個人生産性測定基準の欠損を埋める要素だと期待されているから

伝統的経済学においては個人の年齢、教育年数、経歴、両親の経済力などから個人の生産性を図ろうとしてきたそうです。しかしこれらの変数は賃金変動の15~35%程度しか説明できないと言われているとか。
また、2020年を目標に文部科学省が進めている大学入試改革(高大接続改革)では、生産年齢人口の急減や社会の変化に対応するため、新しい時代に必要となる資質や能力を「真の学ぶ力」(「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」の学力の三要素から構成される力)と定義しています。判断力や態度の部分を担う能力が「非認知能力」ですね。

次に、非認知能力を測定する手法を調べました。

非認知能力は、性格5因子という指標を使って測定するそうです。

性格5因子

  1. 経験の開放性(Openness to Experiences)
    新しい審美的・文化的・知的な経験を追い求める傾向を判定
  2. 勤勉性(Conscientiousness)
    向上心があり,努力家。中途半端を好まず,徹底的にするタイプを判定
  3. 外向性(Extraversion)
    心的エネルギーが外に向いているかを判定。コミュニケーション能力が高く,積極的に人と接することが出来る。気持ちが外に向いている
  4. 協調性(Agreeableness)
    周囲と上手くチームを組んで活動できるタイプを判定。周りの人に合わせて,人間関係を上手くやっていけるタイプ
  5. 情緒安定性( Emotional Stability)
    精神的にバランスが安定しているかを判定。反対の神経質的(Neuroticism)というのは,情緒的に不安定で精神的な苦痛に耐えてきている慢性的状態
実際はこの5因子に別の指標を組み合わせた数式モデルにより測定できるそうです。
すでにモデルを運用し、個人の将来の賃金を試算する試みもあるとか。面白いですね。

ポイントは

こういう人材がビジネスにおいては評価されるんだろうなあ。みたいに感覚で評価していたことが「算出」できるようになってきたということでしょう。人工知能がそのうち人材評価をやりはじめる日も近いです。
また、同じパラメータでも国や性差により評価結果は異なるらしいです。
例えば、協調性が高い人材は日本で出世確立高いが、米国では逆に低くなるみたいな。
その一方で、女性はとくに国によらず「怒りっぽい人」の評価が低くなる傾向にあるとか。こういうことは俯瞰(へえ〜〜みたいな)して把握し「まあ自分も女だからわかるけど、肉体的な都合により精神安定しないことはよくあるわなー。でもそれって経済市場的にはマイナス評価になっちゃうってことだから気をつけよー」という認識くらい持っておいたほうがよさそうです。

とくに、製品開発とか「作る」仕事は「スキル」だけで評価されてしかるべきだと考えがちです。でも世の中的には「パーソナリティ特性」込みで評価する流れがもう確実に来るということをはやめに自覚して、気をつけておきたいと思いました。

とはいえこれは「労働市場」という限られた世界のなかの評価であり「人間という大自然の一部である生き物の価値を測る絶対的なものさし」でもなんでもないということも合わせて意識しよう。と思いました。

出典

非認知能力が労働市場の成果に与える影響について
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2014/09/pdf/030-043.pdf

幼少期の家庭環境、非認知能力が 学歴、雇用形態、賃金に与える影響(測定数値付き)
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/14j019.pdf
※こいつは学生時代集団スポーツの部活に入っていたらプラスとか私にとっては取り返しのつかんことを書いてあるのでけっこう精神的にえぐられましたw


2017/01/04

「自分にしかできない仕事」というものは無くて、あるのは「自分に合っている仕事」だけ

あけましておめでとうございます。
新しい年が始まると「今年はこういう仕事がしたい」とか言ったほうがいいんだろうなあ。と考えたりもするが、アウトプットをどうしたいということがまるで考えつきません。
そのかわり、わりと考えるのが、アウトプットの源である自分自身及び環境の調整についてです。いまのところ以下の点について重視したいと考えています。

・今の自分が持つスキルを「職能」だと勘違いしない
周囲に求められているうちが職務を遂行する能力であり、今現在何ができるということ自体は特に重要ではない。周囲も含めて自分自身を明るく楽しく動かすことこそ本当の「仕事上有効な力」である。

・現状維持は衰退
小池百合子女史がオリンピック関連の会議上で発言していたのを報道で見てから好きな言葉。ルーティンは週次で見直すくらいの感度で「作業」の「意味」と「目的」を考え直す。

・「作業」は積極的にシェアする
家庭でも仕事場でも「誰にでもできること」は積極的に作業分担する。女親にしかできないことがあるとか、コーディングは特殊技能だとか、コピーライティングにはセンスが不可欠とか、いろいろあるけど「覚えりゃ誰にでもできる」ことは案外たくさんある。

以上です。

これまで「自分にしかできない仕事と出会う」ことが、あたかも幸せになることのように捉えていました。無責任なドラマの決め台詞を信じていたのかもしれないし、TVCMか何かで観たのかも。
しかし20年近く社会でそれなりに生きてきましたが、どうも自分にしかできない何かって、無いんですよ。それだけたいしたことをしてこなかっただけかもしれないけれど。
極論すると、自分の子どもたちですら、自分以外でも育てることはできる。
デザインの仕事だって誰が手がけるかは問題じゃない。個人の名前とかブランドで解決できるほど単純な課題など、無い気がしています。
結局、何かがうまくいくときというのは「自分に合っていること」をやっているときなんじゃないだろうか。と考えるようになりました。
私にとって、自分に合っていることのジャッジはけっこうカンタンで、

・日々自信を持って関係者と接しているか
※目を見て話せる、指示ができる、主張ができる程度の話です
・施策やデザインの「ダメな理由」ではなく「改善できる方法」を示せるか
・仕事の内容で自分自身が「わからないこと」「理解できていない点」を把握しているか

いまのところ、この3つを自問自答して判断しています。

もしこのどれかが不明瞭であれば、今のやり方を変えるか、環境が合わないと判断して転身するといった解決策を検討するでしょう。いまのところ、自分の考え方を環境に合わせて柔軟に変えていくほうが自分には合っているようです。この判断基準は仕事だけではなくいろんな側面で使っています。この判断基準が通用するのはいつまでなのかはわからないですが、今年一年はこれで行こうと思います。