2013/06/22

成果は望みが断たれた後のびるらしい

3週間前くらいに植えたゴーヤの葉がもう10枚くらい茂ってきたので摘心をしました。
つるをのばす植物を育てるのが初めてだったため、この「摘心」というテクニックを実行するにはちょっと勇気がいります。
摘心は、ある程度茂った「親」のつるの、今まさに上へ上へのびんとする若い先端をむしってしまうことです。すると、そのうち親つるのどこかから子つるが出る。結果的に収穫量の伸びが期待できる。

親が若すぎたり、親の生育状態に問題があると、摘まれた親が死ぬこともあります。生育状況により数回行うことで、1本だったつるが枝分かれして立派な緑の壁になるのですね。
もちろん摘心しなくてもそれなりに親つるのポテンシャルに見合った成果は得られます。ただゴーヤは雄花と雌花がありますから、親つるだけではふたつの生育バランスが保てない可能性が高くなる。そこでできるだけつるを増やして花を付けさせ、雄雌の勢力を均衡させてやろうとする行為なわけです。

「唯一の可能性」をぶっ潰すと案外そこからわき道が出てくる。わき道につぐわき道が多様性になって、なんとなく全体のバランスがうまくとれるようになって、最後はおいしい成果がうんと得られるのかー。みたいに考えると、極端な話、
「唯一の望みと思っていた何かが、ある日突然断たれる。」
ということも、なんか意味あるんだろうなー。なんてむしったつるから出る立派なゴーヤの香りを嗅ぎながら思いました。

人間の日々と摘心の違いは「終わって」からおこる世界の変化が子つるが生えるかのごとくわりとゆっくりなせいで「終わったこと」と「多様化したこと」の関連が見いだしにくいことくらいだろうか。それに人間失ったことのほうに執着するらしいですから、よけいですなー。

摘心しながら、絶望というのはあんがい無駄な感情なのかもしれん。と思いました。
あばばうぶー。