アプリ制作において新しいデザインを生むのはやっぱプログラマのほうですね。
デザイナはどうしても概念を「かたち」に置き換えて理解するクセがあります。たとえばアプリの画面フローなんかを作るときにすでに頭の中では画面と画面が、なにがしかの概念を表す構造図になって関係しあったりしてます。構造図になっていること自体は悪くないんですが、何か新しいものを作ろうとする時、構造にあてはめて考えようとすると結構陳腐というか、アイデア的に弱い感じになりやすい気がしています。うまくいえませんが「デキル前からすでにかたにはまっている」というかんじです。デキてからの仕事としてはデザイナに負う部分は大きいのですけどもね。
基本プログラマちゃんの頭の中では構造なんかは眼中になく、それこそ設定した目的を、なかば場当たり的に処理する過程で必要な画面が、適当にフローして、結果を吐く。それが結果的になにか既存の構造に似てるね、とか、例えばこういうことだね。とは言えるだろうが、プログラマ自体は「たとえばこうだ」と思ってないのが面白いですよ。
優秀なプログラマちゃんは「めんどくさいことが嫌いだからプログラマになったんだ」というし、デザイナちゃんは「めんどくさいことが好きだからデザイナになったんだ」と言います。
プログラマの作ったモノは使いにくいとはよくいいますが、それはその発想をうまく周りが生かしきれていなかったからだとは言えないか?と、なんか妙にそのあたりしつこく考えてみたくなりました。
と、こんなことを考えたのは、名古屋工業大学 岩田彰研究室、名古屋大学 安田研究室、愛知県立大学 小栗研究室、株式会社NTTドコモ東海支社(以下ドコモ東海支社)による産学共同プロジェクト「NEXT COMMUNICATION FORUM(以下NCF)」の活動のお手伝いとして、7月2日、3日の2日間、UI基礎セミナーを担当したせいですね。。そこで学生さんたちにUIとかそもそもデザインするってこういうことですよ。というお話をしてきたのであります。
前半は座学で、後半は画面遷移図と手書きのUIラフスケッチの作成をしてもらいまして、講師担当者ともども大変楽しい時間をすごさせてもらいましたが、そのときその場には学生プログラマと学生デザイナーが、分け隔てなくそれはそれは楽しそうに意見をやりとりしていたものですから。
デザイナはデザイナで形にこだわっていいし、プログラマはプログラマで形なんかどうでもよいってスタンスでいい。だってそれがお互いの役割だもの。
あなたはあなたのままで良いのです。という真理を映画化するとこうなる。という名画でゲイの教典的作品「 The adventures of Priscilla, Queen of the desert」のオープニング。子供も生まず、贅沢をして、華やかな人生を歩んだけど、本当のあたしが見つからないの..というキツいぼやきを美しく歌い上げることから始まり、最後はバカボン並みに「それでいいのだ!」で締まりますのでeverything gonna be alright!大丈夫でーす!