2009/08/26

イベント:原研哉基調講演、emptiness

テクニカルコミュニケーションシンポジウム2009開催中です。
初日の今日はグラフィックデザイナーの原研哉氏による基調講演でした。
が、先生悪い風邪をひいてしまい、2008年10月23日のアップルストア銀座での講演のビデオ再演になりました。
原研哉が言う「emptiness」とは、シンプルのことではありません。
曰く、シンプルは効率を突き詰めて「簡単に作る」という経済上の都合と折り合いを付けるための表現形式であり、モダンという概念を産んだヨーロッパ特有の専売特許であるとのこと。「シンプルで静謐さを感じさせる和の空間」というようなコピーは単なる言葉遊びであるわけです。
では、デザインにおけるemptinessとは何かというと、究極は神社であるそうです。神社が、きまぐれな八百万の神にぷらっと寄ってもらうことを期待して、社を空にしているような状態といいます。
ここまできくと、「ああ、足し算でなくて引き算のデザインてやつね」と早くもがってんしたい気になりますが、そんなことは思ったところでなにひとつ実践に移せないのが社会の厳しさというものでしょう。だってデザインはひとりでやるもんじゃないですから、たいがい複数意見の反映のはて、足し算の作業になるはずなのです。
なので、成果物をそういうふうな状態にせよ、ということとは違うと思います。まさか原研哉ともあろう人がそんなおぼこい話をヒネリもなくするわけがない。
ようは、気持ちの問題。コミュニケーションの姿勢の望ましい姿を言っているのだと、私は理解しました。
そして理解すると同時に「おーい。できるかいそんなこと!」と自分自身にツッコミました。
続けて利休七則の
・茶は服のよきように
・炭は湯の沸くように
・夏は涼しく、冬は暖かに
・花は野にあるように
・刻限は早めに
・降らずとも雨の用意
・相客に心せよ
を引き、人間が感じる五感のよろこびは、しつらえの質で増減するものだと述べました。私の心のツッコミはここで最大級です。原研哉自身、そこへ到達することのけわしさを感じているからこその引用であり「無理だからどうすればいいか考える」ことのおもしろさを示しているわけですが、なんかすっかり真に受けて、どうすりゃいいんだと考え込んでしまいました。
たいていのデザイナーは他人の喜ぶ顔を見るのが好きです。どうすれば喜んでもらえるのかを考える生理を持っているとおもいます。しかし、そのぶん、自分をだましたり、対応に裏表を作ることも同時に可能です。私だけかもしれませんが、ピュアではないのです。しかも、ときに見返りを要求しますしね。
自然と人工のおりなす波打ち際で苦しめ。と原研哉は言いました。そしてくやしいかな言葉通りに、私は苦しんでいるのです。