うちのばあちゃんは今年で105歳であります。
一人でしゃきしゃき動く事はできませんが、車いすがあれば自力で移動可能です。
年寄りは皮膚に弾力がないので、腕とか手のひらなど皮の薄い部分を急に強くつかんだりすると皮が簡単にさけてしまいます。
いわゆる花山薫の「握撃」状態です。
しょっちゅう割けてしまってはかわいそうですから、現在は、扱いのプロに任せるため介護施設におります。
ばあちゃんは会いに行くと「あらー。あんた、ひさしぶりだねえ」と言います。
私の髪型を見て笑いながら「そんな頭して、誰にも怒られないのかい?」とも言います。息子は誰に預けてきた?とか、旦那さんは元気か?とかはしょっちゅう訊ねてくることです。
で、私が一瞬トイレに行きます。
そして戻ります。すると「あらー。あんた、ひさしぶりだねえ」と言います。
で、また再度、息子は誰に預けてきたのか訊ねるのです。
つまり、新規イベントの場合、10分くらいの間しか記憶がプールできません。
たとえ席を外さなくても首の角度を変えただけで巻き戻されることもあります。
いわゆるクリストファー・ノーランの「メメント」状態です。
でも、昔のことはよく憶えています。
子供だった私をつれてどこぞの老人クラブへ行ったときのことがどうしたとか。
だいたい頭の中は25年くらい前で止まっているようです。
では、これが「ぼけ」なのかというと、そうでもない。
例えば「私も今年で105歳・・」とつぶやくこともありますし、
ばあちゃん得意の「賄いさんに100円あげないと待遇が悪くなるから今すぐ配布を」という妄想劇場が始まったときなどは「ひとり100円なら100人で一万円はいるね。」といった計算もできるのです。
おもしろがって「では、一人150円では?」などとタスクを変更しても「1万5000円に決まっているだろ」と瞬時に返されます。
髪の毛も薄くなり、動いていないと即神仏にみえなくもないばあちゃんですが、CPUはまだまだ現役。といったところでしょうか。
このごろでは奇麗なハンカチや洋服など「もの」に対する興味が完全になくなったようです。ジュースとか、食べ物はまだほしがることもあります。そうそう、お金に対する執着はすごい。昔より今の方がずっとあるくらいですね。
「ばあちゃんさあ。105歳っていうより築105年って感じだよね。もう建築だね」といってやったら「そうだねえ。もうそろそろ死んでもいいんだけど、なかなか死なないよねー」と言って、笑っていました。