2012/06/30

原発と詩

最近見た

FRYING DUTCHMAN "humanERROR"


ですが、ええ年のロック好きなのでVelvet Undergroundの"Heloin"に似てるなーとおもいました。直接的すぎるとこがおぼこいですが。
私は男として詩人としてルー・リードが大好き。傾倒してるルーの詩を知らない方に知ってほしいという欲望にかられて以下”引用”します。HeroinをNuclearに置き換えて読んでください。(日本語は矢野の意訳です)

The velvet underground
Heroin(Lou Read)

I don't know just where I'm going
But I'm gonna try for the kingdom, if I can
'Cause it makes me feel like I'm a man
When I put a spike into my vein
And I'll tell ya, things aren't quite the same
When I'm rushing on my run
And I feel just like Jesus' son
And I guess that I just don't know
And I guess that I just don't know

どこにいきつくのかなんか知らん

でも俺王国を築きたいな
それこそが「生きてる」って感じられる行為
静脈にそれが入ったらもうガタガタ言わせない
おれは神の子だって言い切れるくらいアガる
だって俺なんにもわかってないだけに
だって俺なんにもわかってないだけに


I have made the big decision

I'm gonna try to nullify my life
'Cause when the blood begins to flow
When it shoots up the dropper's neck
When I'm closing in on death
And you can't help me not, you guys
And all you sweet girls with all your sweet talk
You can all go take a walk
And I guess that I just don't know
And I guess that I just don't know

でかい決断をしました

人生無効にしてヨシ!
それが血に入ったら
首にはいっちゃったら
死を約束されたということだ
もう手遅れ。
可愛い女の子の可愛い会話を
スルーしたくらいの勢いで手遅れ
だって俺しらなかったんだもん


だって俺しらなかったんだもん



I wish that I was born a thousand years ago



I wish that I'd sail the darkened seas
On a great big clipper ship
Going from this land here to that
In a sailor's suit and cap
Away from the big city
Where a man can not be free
Of all of the evils of this town
And of himself, and those around
Oh, and I guess that I just don't know
Oh, and I guess that I just don't know

1000年前に生まれてりゃよかったな

手探りで生きていい時に生まれてたら
そしたら逃げ切れたかな
こんな逃れられない都会から
悪意に満ち満ちて
それは誰の心にもあり、しかもそれを取り囲んでるくらいの
だって俺なんにもしらないから


だって俺なんにもしらなかったんだってば!



Heroin, be the death of me



Heroin, it's my wife and it's my life
Because a mainer to my vein
Leads to a center in my head
And then I'm better off than dead
Because when the smack begins to flow
I really don't care anymore
About all the Jim-Jim's in this town
And all the politicians makin' busy sounds
And everybody puttin' everybody else down
And all the dead bodies piled up in mounds

ヘロイン...おれはこれで死ぬ
ヘロイン。俺の嫁。俺が生きる手だて。

静脈を征服して
頭の真ん中に到達して
死んでるみたいな奴よりまだマシ
アガってきちゃったら
なにも気にならない
この街の変態野郎についても
政治家野郎についても
ヤってても、ご無沙汰でも
死んでても、生きてても
死体の山があっちこっちにあったとしても

'Cause when the smack begins to flow
Then I really don't care anymore
Ah, when the heroin is in my blood
And that blood is in my head
Then thank God that I'm as good as dead
Then thank your God that I'm not aware
And thank God that I just don't care
And I guess I just don't know
And I guess I just don't know

だってもう一回接種してしまったら
なにも考えられなくなるんだ
ヘロインに生かされてる
頭も
死んでることと一緒だとしても
神様。気付かないでいさせてくれてありがとう。
何にもしらない俺でいさせてくれてありがとう。
なんにも知らなかった。
いままでなんにもしらなかった。



※第10回Web Creation Awardにノミネートしていただきました!
一般投票受付中です。Simejiチームをどうか応援してくださいorz

2012/06/24

この世は楽園じゃない


ジョージ・オーウェル原作、ハラス&バチェラー夫妻監督作品の「動物農場」を観ました。
動物農場は、横暴な人間からの支配と搾取を逃れた家畜たちが、支配を逃れる方法を考え、革命を主導した豚によってまた支配される。という人間がこれまで何度も四季のように繰り返してきたイベントを丁寧にアニメーション表現した作品です。
より詳しい内容などは2009年にジブリが配給&DVD化したときのサイトで確認するとよくわかります。
とくに宮崎駿がインタビュー形式で本作を解説した
http://www.ghibli-museum.jp/animal/neppu/miyazaki/
この記事は、宮崎さんの歴史に関する知識や独自の視点がよくよく提示されていて、本作に対する理解を深める助けになりました。読んでから観ても良いとおもいます。

動物農場は、動物たちが豚を排除する、という意思を見せて終わります。
一緒にちらちら見ていた(英語しか音声がないのであまり興味がもてなかったらしい)息子に、権力者を排除したあと、動物たちはどうなるとおもうか?と尋ねてみました。すると、

「みんな自由になりらくえんのようなせかいがおとずれるだろう」

と言いました。
動物農場を評するインタビューで宮崎駿は

ぼくは、楽園というのは、幼年時代にしかないと思います。幼年時代の記憶に、楽園はあるんだと。楽園をつくろうという運動はいつもあるけど、かならず挫折するのはそれなんです。だから、「この世は楽園じゃない」ということで生きるしかないんです。

と言いましたが流石です。
自由ってなあに?ときいたら「人間は自由にしていても、ちゃんと自然にみんなのりえきをかんがえることができる。自由に自然でいていいじゃないか」
と。とても子供らしくていい意見だとおもいました。ただ、同じことをいい年の大人が言ったとしたら、それは、わたしはアホだとおもいます。

奴隷制度と理想の社会についてラース・フォン・トリアー監督が描いた「マンダレイ」という映画にあったくだりを思い出します。
マンダレイという寂れた街では「善意で」支配者を排除し、奴隷を解放した余所者の権力者の娘が暴君になるまでを丁寧に描いています。最後に娘がたどり着くのが「人間は社会に割り当てられた役まわりを引き受け、それを演じられるのが成熟した人格であり、理想を追い求めるだけで、自分自身の役割と現実をちゃんと理解していないものは、中途半端なやっかいものでしかない」ということ。

んで、たまたま動物農場を見たことをきっかけに、わたしなりに「子供」と「権力者の娘」の共通点を考えてみたのです。

で、おもったのですが、わたしの息子やマンダレイの主人公である権力者の娘の両者とも「自分が他人の助けになる能力について、具体的にはぜんぜん自覚できてない」ということが浅はかさを生むのではないでしょうか。

自分の力についてちゃんと向き合えれば、どれだけ時間がかかっても、人は人をぜったいに幸せにできる。で、自分以外の人間を幸せにできる能力について自覚があれば、革命は必要ないんじゃないか。革命は、自分の心についておこすことができ、楽園を、自分の心に作ることができるはずなんじゃないのかとおもうのです。

わたしは、大人は自分の外に楽園を求めるわけにはいきませんが、自分の中に楽園を持つことはできるとおもっています。

例えばこの写真に自虐的な自己憐憫を感じた人が居るとしたら楽園はどこにあるでしょうか。



動物農場は、とにかくわたしにとって、外の世界にまだ見ぬ楽園を求めることは間違いであり、自分にできることは、自分の中に楽園を作ること、そして他者の利益を第一に考えること、さらに、人間の権力者という取り替えのきく切ない傀儡に判断をゆだねず、大きいなにか(たとえば自分にとっての神様とか太陽とか)をよく愛することが、私はしたいのだ。と、自覚を深めるきっかけになりました。それはほんとうに、よかったです。





2012/06/14

自由と安らぎのマルチ商法


わたしが会社をやめてフリーランスになった頃、ある人と喫茶店でお話をしました。
友達の友達だが話をきいてほしいということで時間もあったので行った訳です。
その人はお話がすきなようでした。
りんさんはこの先、どういうふうに生きていきたいですか?というので、
できるだけ自由に生きたいです。
と答えました。
するとそのひとは
りんさん、自由に必要なことは何だとおもいますか?と云います。
わたしは、うーん。何でしょうねえ。と考えたところ、そのひとはすぐに、必要なのは時間ですよ。と云いました。
そして、りんさん。時間というものは、お金がないと、得られないのです。と云うのです。
人が自由に生きられない理由を知っていますか?それはお金が必要だからです。
生きるためにお金が必要だから、人は自分の自由になる時間を放棄して、会社に勤めるのです。会社に勤めることは自由が無くなりますが、お金は保証されます。
なので、自由に生きることがしたいのであれば、時間を自由にする方法を考えるべきです。
その方法の1つが、今からわたしがあなたに提案する方法です。
と、いうロジックで、その人はなんか商品を個人的に売買する方法を知ることによって、労働にあてがう時間が少なくなること。にも関わらず、安定した収入が得られるようになること、その結果、人間が自由になることを説明しました。

そしてその一連のロジックのもっとも重要な、その生き方がどういう機構で成り立っているのかを説明されるに至る段階で、わたしは大きな失敗をしました。

サシで話しているにもかかわらず、寝てしまったのです。


いま思い出しても不思議なのですが、金を生む仕組みというたぶんその会談のキモであろうくだりになって猛烈に眠くなって、寝てしまいました。

下を向いていたので資料を読んでるふうに見えなくもなかったのだろうとおもいますが、あれだけあからさまに「ハッ!」って感じで起きたらバレるだろう。
と、我に返って猛省したものです。

後にも先にもそんな失礼なことをしたのは初めてですが、自由という自分がとてもあこがれているキーワードに対して、お金をあてがってきたそのひとに対し、凄くストレスを感じて逃避したかったんだとおもいます。
おぼこいですね。
ごめんなさい。

2012/06/03

趣味が子供っぽい人は態度も子供っぽいのかしら


最近小学生の息子が毎週のようにクレヨンしんちゃんの映画版を借りて家で観てるんだが、ストーリーが大変凝っていて面白い。
今回のは「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」。
大人が子供に戻って楽しめるというテーマパークで、大人らが好きな戦隊ものにハマったり人形遊びしているうち生活態度や考え方まで子供化するという状況をしんのすけが回復させるという話。
うーん。いま普通に居る。大人になっても子供時代から親しんでいる楽しみをそのまま継続的に楽しんでいる人。
その人たちの生活態度はやっぱり子供っぽいんだろうか。

夜は寝なさいとしかられるまで眠らず、朝は叩き起こされるまで起きなかったり、
歯磨きをせず風呂にも入らず布団に入ったり、
好きなものを好きなだけ食べたり、
子供や他人の面倒をみられなかったり、
へりくつをいったり、
自分のことでせいいっぱいだったり、
イラつくと小さいものに当たりちらしたり、
機嫌を悪くすることで本当の気分を察してもらおうとしたり、
言いつけられたことしかできなかったり、
するんだろうか。

大人になれば、やらなきゃいけないこと、負わなきゃいけない役割にちゃんと徹して、
子供を始め周囲を不安にさせず、
ちゃんと育てる側の人間になるという覚悟がある人は、
たしかに子供時代としっかり決別しているかもしれないな。
ちゃんとしんちゃんのお父さんは、最後にそういうふうになって、家族を守っててかっこよかったです。