2006/12/24

wii

クリスマス、どうしてもwiiがほしい〜といって男泣きする旦那のために23日午前中から自宅周辺を奔走。
年内100万台売るつもりなら今週末ばらまくに決まっている。と結構安直に考えていたのだが、朝9:00ヨドバシカメラ無し。PS3のみ入荷しました〜っつって要らないので去る。ちょっとやばいかもしれない。と思い、自転車で自宅周辺のおもちゃ屋を探すが、意外とないんですね。おもちゃ屋って。で、トイザらスで売ってるらしいぜ!ということで、行ってみたら、「朝の7:30に503台全部売り切れた。5時頃から並んでいる人が大量にいた」という。ますます事態は深刻だ・・。トイザらスはチラシで販売状況を公にしていたのだが「誰にでも入手できる情報を頼りにしてどうする!」ということで、やはりwiiは足で探せ。ということになり秋葉原へ。とりあえずソフマップ マルチメディア館だべ。といって午後イチ突撃したらたまたま入荷した直後で普通に買えた・・。母さん奔走しすぎて足が棒ですよ。
しかし凄いハードだな。プロダクトデザインの金字塔だよ。コントローラーを左右に分けるって、そっちのほうがまあ自然だわ。でも難しすぎて母さんにゼルダは無理です。

2006/11/21

かしこいひとは人を見下さない

今やっているマックの宣伝、こいつを見るにつけ、なんかWindowsを見下しているというか、言葉の意味はよくわからんがとにかく凄い自信だ・・としか言いようのないささくれた気分になる。
スカした感じがかえってバカっぽい。私はマックユーザーであるが、遭遇するたびに
「なんじゃおら、やんのかクソッ!」とつい怒ってしまう。

ラーメンズのせいではないのだが。好きだし。

2006/11/16

レゴ

息子3歳とレゴをやる。
小さなパーツで家や車などを作るのだが、息子はなぜかつねに「装飾過多」な状態にしようとする。
車にちいさい円柱のパーツをいっぱいつけて飾りにしたり、
家に窓枠とか細い柱みたいなもんをいっぱいつけるとか。
作った後に眺めるだけならまだしも、絶対動かしたり、人形いれたりして「使用」を試みようとする。

まあ、壊れますね。

そのたび「わあああああなおしてええええ」とか「こわれちゃった〜〜〜ママのバカ〜〜〜」
などと制作を担当した私にクレームをつけてくる。

「お前ねえ!スタイルの向上っつうもんはハイレベルな要求なわけよ!構造部分をしっかりつくんないと脆弱なのはしかたないのよ。もっと時間かけないと!あんた待ってられないわけでしょ?じゃあもうちょっとシンプルなスタイルで我慢しな。飾りたきゃ、さわるな。眺めるだけにしろ。」

などとつい熱く解説。しかもなんだかいつも思っていることとかなり被っている。
レゴなのに・・

2006/11/09

なかったことに

仕事をしながら、いろいろポータルサイトから情報をひっぱってくる。
途中でノドが乾いてお茶をとってくる。
するともう新しいニュースが投稿されて、いろんなことが形をかえている。
ぎゅーっと目をつぶって、また空けると、またかわっている。
そういうことを眺めているとたまに疲れてくる。
息子と磯いじりをやる。
潮だまりをほじくると死んだ貝の中にちいさなカニがはいっている。
潮だまりの生き物は、お茶をのむくらいのあいだではどこにもいかない。
磯いじりから帰ると、またいろんなことがかわっている。

私が見ていなかったときの変化は、なかったことに。ひとつ。

ザ・ワールド・オブ・ゴールデン・エッグス

いまさらだろうが、旦那が騒いだのでザ・ワールド・オブ・ゴールデン・エッグスを見た。
すげ〜おもしれ〜。
家族みんなで大笑い。その日から語尾には「Just do it!」挨拶代わりに「期待してまっせ」である。
水兵リーベー僕の船。おっぱいみたけりゃ土下座しろ!いえ〜。
しかしまたいまさらながら気付く。
キャラクターってのはやはり「言葉」でっせ Just do it!
これまでいくつかの「3DCGによるキャラ」の試みはあったとおもうが、しゃべりが下手では仏作って魂入れずでっせ Just do it!
キャラにおける力の法則は
容姿 < 動き < 言葉
だったのね。みんな。
それにしてもザ・ワールド・オブ・ゴールデン・エッグスはラジオみたいだね。
ラジオのディレクターしてた友達が、「もちろん台本はあるが、台本が無いかのようにしゃべれるかどうかがDJの力量の1つ」といってたのを思い出した。ザ・ワールド・オブ・ゴールデン・エッグスの場合、たぶん生放送可能だよ。3回みれば絵が無くても楽しめるもん。ラジオでも可。やっぱりコンテンツは言葉の質だなあ。

2006/10/12

CSS Nite終了〜

大きな失敗もなく、終えられました。
お集まりくださった皆様、サポートしてくださった皆様、ありがとうございました。
Mozilla瀧田さん、Mozilla愛、伝わりました。
境先生、作業効率向上のコツ、ゲットできました。
上ノ郷谷さん、いっそKaminoGoya()って記述したら、何か実行できるかもしれませんよ。
長谷川さん、ナイスホストですね。
Charlesさん、Operaって凄いですね。

当日の音声や資料はCSS Niteのサイトで後日確認可能になるようです。
今後ともCSS Niteをよろしくおねがいします。

では、顔はもたいまさこ、声は室井滋の矢野でした。

2006/10/10

本日CSS-nite

現時点で総お申し込み数:347名。

セミナーとしてはかなりの人数にお集まりいただいております。
本日は快晴。
きっと盛り上がること必須。
まだ行くかどうか決めかねているという方、これは何かあります。
ぜひ、残席ございますゆえ、覗きにきてくださいますよう。

2006/10/09

IKEA地獄

家具を買うべくあちこちの家具店をのぞいていたが、昨日IKEAに行くことを決心した。
その前に亀戸の家具店、和田屋をのぞいていたせいか、旦那は到着するまで「池屋」だと思っていた。
なんで南船橋までそんな店に・・という消極的な気分だったのが、実際に店構えを見たとたんそのハイカラさに驚く。冗談抜きで「欧米か?」である。
建物の広大さは田舎のJASCO並み。しかしJASCOが映画やレストランなど複数の異なる店舗を抱えるショッピングコンプレックスであるのに比べ、IKEAは家具、生活用品という統一テーマしか扱っていないだけ広さも際だつ。これぜんぶ、インテリアか?というインパクトは強い。当然空間の切り分けもでかいのだ。
フロア構成は1階エントランス付近に託児施設、2階がセンスのいいインテリアを、キッチンや子供部屋などのコンセプトごとにまるで幕張の展示会並みに公開しまくるショールーム、そこを抜けて初めて到達する1階の購入フロアに続き、高さ10mはあろうかという、フォークリフトと人が行き交う倉庫のような商品陳列コーナー、さらにその奥手には巨大会計フロアに発送カウンターと大きく5セクションに分かれている。

最初のうちは「わーひろーい」とか、「黄色いカバンに商品いれるんだーかわってるー」とか、「メモ用紙と鉛筆かしてくれるのー、そっか広いから、メモっとかなきゃわかんなくなっちゃうよねー」なんて観光気分も味わえるものの、進むにつれていろいろなことが起こってくる。

ショールームも半ばにさしかかると、まず、フロアの広さに歩き疲れてくる。

そして商品の多さにあきれてくる。

しかしまだここでは商品を購入できないのだ。
ゆうに40分は歩き続けただろうか。しかし、その間に一応商品の名前と、陳列場所をメモったりもすることはする。しかし、集中力がなくなってくるので、ここですでにメモもとったりとらなかったりしている。

私はベッドを買う予定だった。ちなみにIKEAの大型家具はすべて組み立て方式である。
購入前に完成型のモノを確認できる機会はショールームしかない。だからショールームを出る頃には購入希望の商品と、そのサイズ、色などはすべて決めておく必要がある。
私はその日、ベッドマットの寝心地に集中していた。そして陳列してあるベッドに寝そべりまくったものだ。あ〜これはいいね〜これもいいねえ〜。で、なんとなく商品名をメモってフラフラと購入フロアまで到達した。その時初めて陳列しているシーツカバーなどに目がいった。
「あ、そうだ・・シーツとか上掛けとか、かわなきゃね・・」
と、ここへ来てベッドがマットとフレーム以外でできあがっていることに思い至る。旦那用セミダブルと私用シングルのSを物色。次に倉庫のようなベッド売り場でメモを頼りに棚を見るが目当てのブツが無い。フロアに少量ある検索端末を使って、再度商品データを確認。その時点で、幅180cmというキングサイズのダブルがあることが判明した。これでよくない?ベッドフレームは倉庫から各自ゲットだが、一部の商品は店員に注文書を出力してもらう必要があるそうなので、店員を捕まえ、これこれこういうのをくれ。とお願い。
「キングサイズは国内商品ではございません」ブヒ。え〜。じゃあ幅90cmのを2つでいいや。このフレームって並べたらぴったりくっつくの?などと訊く。
「ショールームには、行かれましたか?」
怒ってる。自転車盗まれた〜といって騒いでいたら「カギはかけていたの?」と警察に叱り口調で突っ込まれたような、そんないきおいで。
かけてました・・じゃない。行きました。行きましたよ。それなりに。

「あちらでご確認いただき、こちらで商品を入手していただくのが流れなので」

てめえなんでちゃんとショールームで何買うか決めてこねえんだよ!ということである。
つまりね、正しいIKEAの歩き方というのは、ショールームでガッチガチに心を決めるか、カタログでゲットするもんをぶれないハートに熱く抱いて倉庫に走る。ことなのである。

歩いているうちに気が変わったとか、よくわかんないから最後に店員に訊いてみようとか、会計してたらやっぱ他のもんも欲しくなったとか、そういうことは、許されない。いや、許されはするが、それは歩き続けた果てに再度あの広大なショールームへ戻って商品の有様を確認する気力と体力のある人間に、だけだ。

私は手元のメモに目をやった。意味がわからない・・。買うことは決めているが、何にするかは決めていないというのがよく分かる、適当なメモに仕上がっていた。
結局ぴったりくっつかないかもしれないベッドフレームを適当に購入し、在庫のあるマットですまし、サイズ変更となったシーツやカバー群を、会計から遙か離れたファブリック売り場まで、戦争映画のごとく人並みに逆らいながら再確保したのだった。

恐るべき北欧、家具のバイキングよ。

以下、IKEAから学んだ点

・私の部屋はこう飾る!という岩のような意志を持て
・店員に頼るな
・午前中に行け
・買い物は研修を経てから(無いけど)
・体作りが先

以上。

2006/09/28

CSS Niteに出るのです

CSS Niteは2006年10月10日、Web構築に関する有償セミナー第1段「CSS Nite LP, Disk 1」を開催する。 スケジュールと内容は以下の通り。出演者プロフィールなどはhttp://cssnite.jp/からも確認できる。

日 時 2006年10月10日(火曜日)
時 間 15時〜20時
場 所 津田ホール(千駄ヶ谷)
受講費 7,000円(当日回収、領収書を発行)
定 員 400名(椅子のみで机はありません、自由席)
出 演   ・矢野りん[サイトデザインの2大要素を徹底的にお勉強しよう]
  ・境 祐司[CSSデザインを自動化するための7つのルール]
  ・上ノ郷谷太一+長谷川恭久[microformatsがもたらすドキドキする未来]
  ・Charles McCathieNevile(Opera)
   [CSSを活用し、最高のインターネット体験をあらゆる端末へ]
  ・瀧田佐登子(Mozilla Japan)
   [Webブラウザの歴史とMozillaの標準化への取り組み]
詳 細 http://cssnite.jp/lp/lp01/
申 込 http://tinyurl.com/qbxca

https://g102.secure.ne.jp/~g102362/form_lp1.html


ブラウザの歴史など滅多に聞けないのに絶対ためになるお話もありますから、是非4649!

ひっこし

明日は引越なので今日は必ず掃除と身の回りの物の梱包作業をしなければならないのだが、
引越のことを考えるだけで現実逃避力が働き眠くなるのである。

先日私が担当している東海大学短期大学部の授業で
「思考する、考えるということは言語化することに他ならない。よって文章化、会話化していないことは考えたとは言わず、無です」と講釈したが、逃避の結果段取りもメモらずただもんもんと「引越か〜」と考え続けた私は無であった。

やべえ

2006/09/21

けいたいこわれた

洗濯乾そうとおもったら、なかからパンツより先にケータイが出てきた。
チビがねしょんべんしたのでシーツを洗ったんだが、それに巻き込まれていたらしい。
う〜〜ん。
メモリが写真がというより、洗い殺したというのがなんというか、老人っぽくて悲しい。
だめだわ。自分。

2006/08/29

キューティーハニー

いまさら実写版をみた。ビデオ屋で「青春」のカテゴリに分類されていたため、なかなかみつけられなかった。漫画の実写版*はいにしえより存在する企画であるので、生身の人間が漫画的な表現に徹することの「ひゃ〜」なかんじは覚悟のとおりであったし、サトエリはかわいかった。
そんなことよりこの映画。愛國戦隊大日本とカット割りのタイミングからなにからぜんぜん変わってないというのがおどろきにあたいするところだろう。みつごのたましい、ひゃくまで。である。

*「ルパン三世念力珍作戦」や「みんなあげちゃう」なんかがありましたね。

2006/08/18

お打ち合わせ

昨日MdN編集部にお打ち合わせにおもむき、山口編集長とお話。
最近のウェブ関連会社って従業員数数百人ってとこもありますよね。なんだかすごいですよね。と雑談。
編集長曰く「紙媒体のプロダクションなら内山田洋とクール・ファイブくらいでやってますよね。」
すげえ喩え。すげえ微妙な人数。

2006/08/16

履歴書とテーブル

脱テーブルレイアウトが叫ばれるようになった今日この頃。
とあるウェブサイトを脱テーブルして制作していたのだが、いわゆるプロフィールのページってあるじゃない?表になってるのって、日本独自だよね〜。と、馴れ馴れしく思ってみた。
英語文化圏の人の履歴書、いわゆるPersonal historyは
『私は何年に大学を卒業して、その後・・』みたいに文章の体裁になっているのが普通のようにおもう。
日本の場合、まず年月日を立てて、そこに内容をぶら下げていくので年表形式になる。代表取締役ならなおさらそういう体裁になりがちだが、まあ紙なら良いとして、ウェブの場合、tableでプロフィールタグ付けするってちょっと違和感がある気がするのだが。
thに年月日、tdに内容でずら〜っと並べていくと、スペース的に無駄だしなあ。あんまりスマートじゃないという見かけ上の問題もあるしなあ。まあ、脱テーブルするとどうしても文書構造っちゅうこと、つまり、どんな情報になんのタグ使うかってことについて、考えこんでしまうわけでね。
日本の場合、ある人が行った物事の内容以上に、それをいつやったか、という年齢的な事が重視される傾向にあるようだから、年月日が主になる体裁になるんだろうがね。
最年長で!とか、史上最年少で!とか好きじゃないですか?
でも、ウェブの場合、タグ付けの都合以前にプロフィールは読み物になってたほうが親しみやすく、分かりやすいと思うがどうだろうか。

それにしてもIE6って唯我独尊だな〜。他の人(ブラウザ)とおんなしようにレンダリングしなさいよ。あんた。関係ないけど。

2006/08/03

お肉

実家滞在中、10年ぶりに子供の頃一緒に遊んでいた子と会う。
北海道で畜産系の仕事をしているそうで、牛と格闘する日々だそうだ。
そんな彼が話していたのだが、職場の社長がペットにしていたミニブタちゃんが大きくなりすぎ、処理して肉にしたという。なんでも大型犬くらいのサイズになったそうで、なんか大変だし喰うか。となったらしい。
で、彼もおすそわけで肉をもらったが、ペット用の豚のせいか、非常に肉が獣くさく、かたくて喰えたもんじゃあなかったそうだ。そんな話をしながら、現在食卓にあがる肉の食感、味というものは、先人たちの研究・改良のたまものなのだなあ〜と思った。

まあ、それでも、かわいそうだからなんとか煮付けて全部たべたけどね。とのこと。
めでたしめでたし。

2006/07/24

iMac G5が壊れた

子供に夏休みを与えるべくド田舎の実家に仕事場を移してすごしている。
と、こちらでの仕事用に買ったiMac G5 がファンの轟音とともに消沈。PRAMクリアしても、SMUリセットしても動かず。おーい。もしや初期不良かと思ったがシリアルが微妙に違う。10番ちがいくらいでもれている。それにしても、ロジックボードの交換が必要なレベルのようだ。つい最近買った気がしたので保証期間内だろうと保証書確認したら、保証開始は去年の7月7日。故障したのは20日であった。なんとかサポート窓口の人にお願いして、1年数日経過しているものの、一応無償修理をしてもらえることになった。それはありがたいのだが、たった1年普通に使っただけで壊れる製品を売るなよ。という感想はある。そんなものを仕事で使うには勇気がいるだろう。iMacは趣味で使うものでは?という意見もあるだろうが、リテラシーの高い若い人じゃないと、今回のような事態に対応するのは難しいともおもう。うちのは主に両親が使用していて、写真閲覧やネットをやっている。たまたま私が滞在している間の出来事だったので、アップルのサイトを検索して対応策を確認したり、背面カバーはがしてLEDチェックしたりできたが、うちの親には無理であろう。そもそも1年で壊れるものといえばおもちゃであり、おもちゃの修理に一律4万円は高い。2年ならどこかの部分の経年劣化を疑う余地は出てくるかもしれないが、1年ちょっとではなあ。しかも今回のようなことはわりとMacユーザーの中では「よくあること」のように受け取られているフシもあるし。初期型って壊れやすいよねー。といったぐあいに。確かに私も過去に買った初期ロットのPowerbook G4、半年で壊れたっけなあ。壊れるなよ!!!ただ、こんな北海道の奥地に修理お願いした次の日取りに来てくれるのはすごいと思うよ。微妙に保証期間が過ぎてる点も、まあ今回はお題はいいです。と迅速に判断してくれたし。でも、やっぱし、壊れないでほしいなあ。

2006/07/07

おや?

前の投稿で、

勝手に腐ってしまうのはかまわないのだが、そのせいでたくさんの人に利益をもたらしたかもしれない「説」の成長も止まって結局夢やぶれてサンガリア

と自分でいったが、それはもともと「企業が考えた独自方式」の功罪だよな。
企業がつぶれたり身売りがあって戦略が変わると方式もかわっちゃって利用者が困るという流れで。
そういうことが起こらないようにするためにアカデミックな流れがあるんだろうけど、利害がからまなさすぎると停滞が生じたり、結局考えることだけが仕事になっちゃったりして閉鎖的になっちゃったりバランスの問題か。
望ましい変革とその継続って、組織単位で考えるモノじゃなくて、個人の心のありようなのかな。難しいな。

益子(r)evolution

サイバーガーデン益子貴寛氏は2006年7月6日、アップルストア銀座(3F Theater)でXHTML+CSS (r)evolutionを開催した。矢野も某媒体向け取材のため潜入させていただいた。
最大収容人数180人いったんじゃないだろうか。まず入りの凄さにびっくりした。内容もとてもおもしろかった。世の中いろいろ進化してるのにHTMLって6年前からかわってないよね〜。という問題提起が柱なのだが、いわれてみればそのとおりだ。矢野はHTML4.01に比べて すっきしたコードでかっこいいサイトの作れるXHTML+CSSに結構満足してしまっていたので寝耳に水。というほうが正しい。益子氏の流れるような弁舌に影響され、終わる頃には「そうよ!なによW3Cなんてちゃらぽこよ!おいてかれちゃうわよ!時代に・・」と熱くなっていた気がする。や、置いていかれそうなのは私のほうなのだが。

しかし、HTMLのような電子文書を構成する技術の話って、ISOだのW3Cだのといった国際標準化団体の動向チェックに終始しがちだったと思う。昔はそれが「アカデミック方面の人」の仕事だったのではないだろうか。ここでいうアカデミックというのは、高度な学問に対する探求心が旺盛で教育欲もある人という良い意味もあるが、えてして排他的で既得権益に敏感、かつ最終的に自らが築き上げた「説」の正当性を守るためなら近くの村は焼きます。という方向に魅せられていく人は国内にやたら多い。そうなってしまうと自分が属するコミュニティ外の人の言うことは耳に入れないわ、知り得たことも外に出さないわということになる。つまり、現場で使える知識を求めているうちは健全だが、頭でしかモノを考えなくなったとたん、目的が「いつも良いことを言う人になること」にシフトしてしまって、そうあり続けるための変な努力をするようになり、最後に腐る。という仕組みになっている気がする。勝手に腐ってしまうのはかまわないのだが、そのせいでたくさんの人に利益をもたらしたかもしれない「説」の成長も止まって結局夢やぶれてサンガリアになってしまうのは惜しい。

何が言いたいのかというと、益子氏は、あれだけ本を書いて講演してW3Cなど団体の動向にも精通して・・という「アカデミック」な仕事もしながらも、同時に現場の状況を改善する知識の探求に燃えっぱなし。だからいつも情報は外に発信し続けるし、意見交換する相手は選ばない。きっと常に心身共にフレッシュな状態でWebの未来を見据え続ける益子氏は、「説」の育つ土壌を作れる人に違いない。こう説明するとクールでナイスなガイだが、dl要素の応用例などを嬉々として語る顔はちょっといっちゃってるかもしれん。貴重な人である。見習いたい。

2006/07/05

歯科医師

先ほど、前歯のインプラント手術を受けてきた。
仕事中の歯を食いしばるクセがたたって、過去折れてから差し歯にしていたのだがそれもだめになったのだ。
術前、歯肉の一部を切開して骨を削り、そこにチタンの棒を入れます。と説明されていたので、とても緊張していた。
できることなら眠ってしまいたい・・
上あごの前歯は、脳に近いので、何か命に棒が肉薄する気がするし。
で、手術開始直後、お口いっぱいに広がる生暖かい塩水の味。バキュームが追いつかず、一瞬ノドから舌の付け根まで到達する。
怖い。
程なく聞こえる、ゴズッゴズッという音。後に訊けば肉を削る音だという。
そして聞こえる、ゴリゴリゴリゴリという鈍く響く音。骨を削る音だという。
あ〜脳みそに向かって杭打たれてるわたし。なんども「中味」が飛び出る想像をした。
術後、かたっぽの目を隠すと見えないモノが見えてくるかも・・。ホムンクルスだね。
しかし、歯科医もラクではない。
細分化は進んでおり、歯医者などという大きなジャンルではくくりきれない世界かもしれない。
私の先生はインプラントをはじめとした審美系技術にに特化した歯科医師であるし。手先が狂わないようにジム通いして体調管理するし、酒もタバコもやらないし、睡眠時間は確保するわ、最新技術情報は収集するわで生活これすべて技術のため。
また、これらの話は私が根掘り葉掘りインタビューして知り得たことで、自分から自慢げに語ったわけでもない。
基本的には楽しくこうした生活を続けているのだと思うが、時には「こんなことをして何になるんだろう」と苦しむこともあるのではないだろうか。そういうことのくりかえしから、答えのようなものを見つけて前に進んでいらっしゃるに違いない。
そうしてあれだけ白昼堂々、素早く骨を削って杭を打てるようになったのだろう。
てしごと。職人だなあ〜。おかげさまでチタンは顔の真ん中に無事刺さりました。

さるかに

子供に「新さるかに合戦」を読んでやったら子供の頃思わなかったいくつかの点が気になる。
まずサルがおにぎりを持って歩いているカニに対し、「おにぎりは食べれば無くなるが、カキの種なら育てて長いこと食いつなぐことができる」というようなことを説明して交換に成功する。サルはすぐにおにぎりを食べてしまい、カニはカキの生育に成功。ご存じの通り問題はそのあとだが、カニは身体能力の問題でカキの実を採ることができない。そこへ件のサルが「とってあげよう」と嘘をついてカキを独り占めするあたりから事が動く。人に機会を与えたフリをして、成果を独り占めする、大人の世界ではありがちな頭脳プレーをサルがやってのけたわけだ。子供的には「カニかわいそう」であるが、大人のわたしからすると「カニ!だめじゃないか!」と思う。後先考えろよ!この身の程知らずめ〜。カキって高いとこになるんだよ。採れねえじゃん。しかも、「サルさん、採ってくださいな」って人任せか!と。
こういう取引上の問題を切り口にするとどっちもどっちなのだが、その後問題は暴力にシフトする。サルが「ひとりじめするなんてあなたはずるい」と糾弾されたことに腹を立て、カニの母に渋柿をぶつけてけがをさせるのだ(旧さるかにでは母は即死)。そこでやっと私は子供に「暴力はイカンよね〜」と合いの手を入れるわけだが、それもつかの間。こんどはカニ側の義憤に駆られた有志たちがサルを成敗する。目には目を。おいおいそれはいかんぜよ。ママの「暴力はイカン」というつぶやきもチャラである。旧さるかにの場合、サルは臼の一撃で即死するが、新さるかにの最後のページでは「心をいれかえたサルはみんなにカキをとってあげました」で終わる。しかも有志たちもご相伴にあずかってるし。食いたかっただけじゃないのか!?「まあ、そもそもカキを育てろって発想をくれたのはサルなわけだし、お前なかなかやるな」とかいってだれか少しはサルを認めてやってくれ。
だめだ。こんなややこしい中途半端な話は。子供本ラインナップからはずします。

2006/07/01

脱退と再結成

常に1つくらい「好きなバンドは?」に対する答えを用意しているわたしであるが、その1つが青天のへきれきで消滅したので悲しい。そのバンドはSillyFoolsというタイ国のオルタナロックバンドなのだが、訊くところによるとリードボーカルのトー君が脱退したことに端を発する。脱退ならバンドは存続するともいえるが、まあ、ボーカルの脱退=バンド(の価値、ほぼ)消滅と結論づけることに異論はあるまい。あっても知らん。宗教上の葛藤など、日本国内のバンドでは生まれにくい軋轢などもあるようだ。イスラームであるトー君は、酒の席で曲を披露するのも苦痛だったとか。タイ国はどんなに有名なバンドであっても、演奏する場所が居酒屋みたいなとこだったりするのは当たり前で、大衆音楽とはこれにぎやかし哉。酔った客がステージに上がって「いっしょに写真とってえ〜」と迫っても笑顔で応じるほど、エンターテイナーが聴衆のお祭り気分を曇らせることはない。でもなあ。酒入って喜んでる人をさらに喜ばすことは苦痛だったろうなあ。申し訳ない。かくいう私も、タイ国在住の折、アルコールをきこしめしたうえでSillyFoolsライブに足を運びました。ほろ酔い気分で大騒ぎしました。トー君心痛いかばかりか。本当に申し訳ない。もう飲まないから、脱退するなんて言わないで。考え直して。と、タイ語で言えたら伝えたいくらいなのである。
しかしそんな私にも、捨てる神あれば拾う神あり。1999年に解散し、大いに私をがっかりさせたKulaShakerが再結成した。Crispian Millsよおかえりなさい(や、The Jeevasっちうバンドでは日本で10万枚も売れたわけだが)。でもなあ。SillyFoolsいかないで。タイ語になじみがないと聴きにくいかもしれないが、オルタナロック好きな人はふつう以上に聴けるから。悲しい。

2006/06/16

PHAIDON DESIGN CLASSICS


アートやデザイン関連書籍で有名なファイドン・プレス社発行の新刊、PHAIDON DESIGN CLASSICSを購入。国内ではAmazonで注文可能な他、コンランショップでも取り扱いがあるらしい。過去200年間に生み出された優れたデザインの定番999点を収録したプロダクトデザイン作品集。という内容で、製品写真が美しいレイアウトで掲載されている。それだけならふつうだが、デザイナーの手によるアイデアスケッチや、商品販売当時の広告媒体なども含まれていて、そちらのほうが面白いくらいだ。特にアイデアスケッチは本当に走り書きのものから、設計図に近いものまである。優れたデザイン、後世に残るアイデアが生まれる瞬間というのはじつにはかなく過ぎるものであって、常にアイデアを求めて唸りまくるデザイナーであっても最後は「さっさとメモる」行為にすがるしかないのだろう。まったりパソコン立ち上げてるヒマなんかないのである。
ところでこの超大ボリュームの3冊だが、写真の通りスペシャルパッケージに固められて届く。このパッケージ、3冊が階段のように固定できる面白いものなのだが、バラバラにしないと書籍が取り出せない。しかも、いったんバラバラにすると再度中に格納しようとするとき、よほど注意しないと書籍の角の部分に傷が付く恐れがある。というわけでうちでは届いた瞬間「わーすてきー」と鑑賞、その後バラして本は書架に収納した。取っ手も付いててもう一度収めればそれなりに使えるんだろうけど。そしたら飾り物になっちゃって読めない。でも、かっこいいことは確かだ。なんかグッドなプロダクトデザイン=機能的=再利用可みたいにまっすぐ考えがちだが、パッケージっつうのはつまり単なる包装なのね。それとこれとは別。もういっぺん使おうなんてのは高島屋の包み紙集めまくるしっかりもののおばあちゃんの発想だ。そんな精神でデザイン語るなよ〜、だめだよ自分〜。ははは。といいながら、まだ捨てられない。イケてないのであるね。

2006/06/12

ハシビロコウ


上野動物園のフラミンゴのおとなりに居を構えるハシビロコウさん。
フラミンゴ舎にもまぎれこんでいるが、大変な嫌われ者。本人も孤独を好む性質だという。
ほとんど動かないが、たまに口をあけて周囲の鳥を驚かしている。
この顔がとても好きなので、これからも折を見ては会いに行きたい。


こんな顔。英語名をwhale headed Stork(クジラ頭のコウノトリ)とか、Shoe billed Stork(靴クチバシ君)というそうだ。

2006/06/04

Thomas the Tank Engine

きかんしゃトーマスの英語版を見たら、ナレーション「リンゴ・スター(Ringo Starr)」とかいてあった。なんと。いままでしらんかったが、1985-1991までのUK盤シリーズは彼がナレーションを担当していたのだそうな。日本語版ではナレーション森本レオをはじめ、トーマスの声にはアンパンマンでもある戸田恵子など、複数の声優が物語を支えているが、英語版では他のキャストの声もぜんぶナレーションの人が演じる構成になる。つまり、絵本を読み聞かせる感じにしあげてあるわけだが、リンゴが裏声で「ピッピー」だの「ヘルプ・ミー」だのいうのがほほえましい。さすがはビートルズの癒し系だ。しかし彼がナレーターである期間にトーマスを観て育った人は、リンゴを「トーマスのおっちゃん」としか思っていないに違いない。
え?ドラム叩けんの?意外~。とかなるのだろうか。

2006/06/02

企画展をやってくれないだろうか

盗作疑惑云々という話が流行しているが、
盗作されたと主張する画家がおっしゃるように、並べて展示すると良いのではないだろうか。
私は個人的に、芸術表現はルールからも法律からも自由なものであってほしい、と思っているので、純粋に表現としての精度や、感じ方の違いなどが確認できればきっと面白いのにと思う。「私はこのモチーフに関しては、こっちのほうがすきだなー」とか「どっちもたいした魅力はないなー」とか、必ずあるだろうし。
それに盗作したと言われている作家も贋作作家として糊口をしのいでいたわけでもなく、いままで散々、オリジナルであろうとなかろうと、行為としての結果(作品)は評価され続けてきたのだから、そこには並以上の実力があってしかるべきであり、むしろそうでなければ褒めてきた側の目が節穴であった、感性がにぶい。といわれてもしかたがないのである。
それとも政治力のある人が人生の最後には高名な芸術家として評価されるのかしらん。
いずれにしても盗作問題というのは知財、ビジネスの話であって、あんまり芸術の本質とは関係ないと思う。
それを確認するためにも並べて鑑賞したいと思う次第である。

2006/05/30

先取りと前のめり

ジャック・デリタ「盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟」という書籍を読んでいる。本書はルーブル美術館で1990-91年に開催した特別展向けテクストの和訳だ。同展覧会では氏が所蔵品から展示作選定を担当している。哲学者の絵画論に興味があって読んだのだが、手仕事である素描の本質に言葉で どんどん迫っていく様子がとても刺激的だ。絵画における盲者の描かれ方から、人間にとって「視る」とはなにか、画家の観察眼のありかた、さらに描くという 行為の面白いところを明らかにしていく。行為としての視覚を「先取り」[anticipation]という言葉を軸に考えるくだりに

「先 取り」とは全部をつかむこと、前から、前もって(ante)取る(capere)ことである。「前のめり」[précipitation]は頭を危険にさ らす(prae-caput)こと、頭からつっこみ、頭から先に出ていくことであるが、先取りとはそれとは異なり、むしろ手にかかわる事柄である。
<<中略>>
先取りは前のめりを防ぐ。先につかもうとし、把握、接触、把持の運動において前方におもむくために、空間へと前進し空間に働きかける。


と いう記述がある。確かに目が利かないとき、手の触覚が唯一、二足歩行する人間の安全を推し量るための「環境の先取り行為」になる。前のめりはあぶない。 けがのもとだ。しかし目が見えていても画家をはじめ、ものづくりに関わる人間ならば鉛筆や絵筆を握った「手」で平面上に空間を押し広げていくものだろう。 すばらしい肖像画が、その描かれた人物の生き様さえも推し量らせる表現力を持つのは、画家が制作の極みにあって目に見える事柄以上をその手に「把握」し、 「先取り」した結果なのかもしれない。
だとすると、美しいグラフィックやデザインの構造を見たり聞いたりして頭で理解する行為は、影響力のある力強い作品を生み出す行為と、直接接続する回路を持たない。批評と創作が別の仕事であることはいうまでもないけれど、手先、接触、感触、把握といった言葉が重く響いてくる。
今、 面白いデザインを、珍しい視覚表現を、比類ない映像を、創りたいとして切磋琢磨する人の、どれだけが「物理上存在するモノの手触り感のバリエーション」を 知っているのか。創作にとっての「先取り」は、やはり身体経験の延長上でしか到達し得ない境地ではないか?ちなみに経験という言葉には、身を危険にさらす という意味があるらしい。ウェブ経験とか言うが、身が危険か?安全だ。間違いない。
デジタル世代の身体感覚欠如・・なんてありがちな切り口だが、今後は意識的に触覚を鍛えて行こうと考えた次第だ。

2006/05/17

DIATONE

九段の三菱電機エンジニアリング株式会社に併設のe-plazaにて、ダイアトーンスピーカーシステム「DS-MA1」の試聴会に参加した。本製品は2005年12月22日より受注、販売を開始している。2006年4月からは東京と京都の2カ所に試聴室を設けて試聴会を開いており、製品のウェブサイトからだれでも参加申し込み可能だ。約束の時間に試聴したいCDを持参するのも良いし、試聴用に用意されたSuperAudio仕様のCDを聴いてもよいだろう。
試聴会の感想を書いておこうとおもうのだが、別に自分自身オーディオマニアでも何でもなく、どちらかというと市販のコンポで十分というタチなのでオーディオ談義を展開することは不可能である。というわけで簡単にいうが、すごかった。
何がすごいって、今のCDのエンジニアリングがだ。無論、エンジニアリングの技巧を目(耳)の当たりにするにはスピーカーシステムの性能は前提条件なんだが、そっちのほうよりCDという製品、ひいては今のアーティストの技術に対する意識の高さにびっくりしたのであった。音に立体感があるとか左右に振れるなどというのは想像しやすいと思うが、もっと細かい、ビジュアル制作にたとえれば、色の点1つ1つの配置まで意図的にコントロールして世界観を作っている手間な感じ。といおうか。それがいかにも「きれいに聴かせる」とか「聴く人をびっくりさせる」というケレン味の押しつけが目的なんでなく、アーティストの自信とか、音楽に対する愛情やら執着といった圧倒的クリエーティビティの力として届くのがすごい。高品質オーディオのある環境ではよく言われる感想ではあるが、おいおい、こんな(コンセプトの)曲だったのかよのひと言であった。
視覚情報と音情報は、なりたちも用途も違うのでいちがいに比較するのは難しいとは思うが、音もビジュアルもわけへだてなく扱うコンピュータの世界にあって、表現を支える技術について、そのコンセプトを司る側(たとえばデザイナーとか)が「よくわかんない」ではもう、表現とか制作という行為自体無理だな。と痛感した。それらしいことは常に考えていたが、この機会にそれを実感した形だ。
あと、デジタル技術はこの先なんぼ進化しようと、現実の人間の行為やそこから導かれる体験を超えることは絶対無いな。どこまで行っても疑似体験。DIATONEくらいになると製作工房の苦労やオーディオ機器収集に懸けた熱意などの身体感覚を伴った行為が「場の質」をもたらすし、生演奏では絶対に聞こえない音まで拾う(あるいは拾った、取り入れたサウンドエンジニアリングが届く)という意味では立派な「実体験」であるが、入手と再生が手軽であればあるほど、その音はちらしの風景となんら変わらんと言い切れる。

セミナーレポート

5月13日(土)開催のWEBレイアウト講座の模様を、
デジタルスケープさんがサイトに掲載してくださいました。

当日雨にもかかわらず参加してくださった皆様、本当にありがとうございました!
とても緊張したためおかしなところが筋肉痛になりました。

2006/05/15

mooter

便利な検索サービス。ブログをはずす、というツールが便利だ。

チーム佐々木一朗太の「アラこれは便利だ!」

ネット上で様々なサービスを提供する技術者の
サービス内容と研究の成果、加えて日々の生活などがかいま見られるサイト。
ブラウザの閲覧機能そのものが、もうインターネット上での情報伝達の限界だと喝破している記事や、
自動的にブログ日記風な文章を作成するサービスなどがみどころだ。
SEO対策と称してサイト内の文章に、検出されやすいキーワードを盛り込む工夫などがひっくりかえるから。
ブログが今後経済活動を変革する要因になるといった切り口も揺らぐから。

2006/05/10

「ひらなが」「立方休」 中学教科書記述ミス208カ所

2006年05月10日11時14分
4月から中学校で使われている9教科134冊の教科書のうち、65冊に計208カ所の記述ミスなどがあったことが、文部科学省の調査でわかった。各教科書会社は文科省に訂正申請をしており、順次、正誤表などを中学校に配布するなど記述の修正を始めている。
(中略)
 調査によると、記述ミスは中学校用教科書を出している16社のうち12社の9教科すべてで見つかった。誤記・誤植・脱字が多かったという。最も多かったのが国語で全体の約4分の1。主な例では「ひらがな」を「ひらなが」としたり、「立方体」を「立方休」としたりしていた。

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こういう間抜けはサイト制作においても近年非常によくあることではないだろうか。
制作手段のデジタル化のおかげでぎりぎりまで修正が効いてしまうことから、発注側の担当者のあたまのなかで段取りがめちゃくちゃになっている。という事態に直面したことは少なくない。
フィックスしたはずの原稿に対して加筆、修正してくる人。というやつだ。しかも、間違った情報に対する修正ではなく、なぜかこまかい言い回しを直したがったり、大幅な内容変更をしたがったり。
その結果、校正作業が甘くなって文字に間違いが出る。
制作に関わるスタッフ全員が中身に対して口を出したくなる傾向にあるのもデジタル現場の特徴であろう。
そして校正という地味ながら重要な作業をいつ、だれがやるのかがあいまいになる。
「ぎりぎりまで詰める」というのはクオリティを上げるための良い取り組み方だとは思うが、思いつきで最後まで中身をかき回すこととはまったくもって違うことなのはいうまでもない。

ちなみに雑誌編集のフローで誤植は基本的に編集者の責任、あるいはライターの責任である。
DTPやサイト制作のスタッフが原稿に手を入れることはほとんどない。タブーとはいわないが、それは仕事が違うという意味でスルーしてしかるべきことだ。
教科書の場合、教科書制作を請け負う出版社の担当編集者が責任を負うのだろうが、
もっぱら大きな変更が発生するのは検定作業の段階だとおもわれる。どういう段取りで進めているのだろうか。
というより、たかだか中学の教科書くらい、検定に関わる人間全員が最初から最後まで読むには1日もかかるまい。
しかも1度目を通せばたいていの誤字脱字などわかりそうなものを。
どうも口だけ出して成果を確認していない人がたくさんいそうな気がしてならぬニュースだ。

2006/05/09

デザインする技術 ~よりよいデザインのための基礎知識

MdNから新刊書近日発売!
発売予定は2006年5/19日か、あるいは21日を予定。

デザインといっても平面デザインの技法を中心に紹介。
パソコンのおかげで制作技術が単純化したので、
自分自身、絵画などのアナログな技法に興味を持ち始めた次第である。
PC演算速度が向上し、ツールは便利になった。
そして、考える時間が増えた。
これはもう、物作りについてじっくり考える時間にあてるほかない、と。
同じ興味を持つ方々が、効率的に技法の内容を知る機会をつくれたらという気持ちが執筆の動機の1つになっている。
手にとっていただければ幸いだ。
装丁はサイゾーのADとしてご活躍のインフォバーンデザイン木継則幸氏による。装丁の美しさ、精緻さには感涙。

MdN/Web Creatorsの次期講座

Web制作スキルアップコース
■場所
東京都港区西新橋1-6-21 NBF虎ノ門ビル6F
■日程
5/26日(金)
5/27日(土)
2日コース
10:00〜17:00
¥57,000(税込)
にて開催。

お問い合わせは
(株)マイクロメイツ 東京トレーニングセンター
tel. 03-5512-5254 fax. 03-5512-5251
http://www.micromates.co.jp/05/4_school_tokyo/41_info.html

主催:エムディエヌコーポレーション
企画:エムディエヌコーポレーション、マイクロメイツ
運営:マイクロメイツ

制作と個別指導という絵画教室のような進行方法で、毎回和気藹々。

講座のお知らせ

デジタルスケープ主催の、筆者の講座が催されます
お時間のある方はぜひお越しください

開催概要
日時:2006年5月13日(土)13:30−16:30
場所:T'S BUSINESS TOWER 6F T'sホールA
http://www.tsrental.jp/access/index.html
料金:5,000円(税込み・テキスト込み・お土産つき)
定員:先着60名様
対象:興味のある方はどなたでも参加可能です

2006/04/27

なぜブロガーにしたのか

昨夜のこと。早速筆者のブログを主人が冷笑しながら閲覧している。
何がおかしいのかと問いただしたところ、
「Bloggerか。米国人きどりか。スカしたブロガーだな。なぜBloggerにしたのか、理由をきいてみたいものだ。」という。
主人は筆者より数年先にブログを初めている。そのために何か私のような入門者では知り得ない情報を持っているうえで、私の選択をあざ笑っているのかもしれない。と、咄嗟に仮定しつつ、なにかもっともらしい理由を述べようと試みたがだめであった。

「エントランスページのデザインがかわいらしかったから。」

実はこれが主な理由だ。
正直にそう告げると案の定主人はうすた京介漫画の登場人物風にプフーッと笑った。
非常に悔しい。今朝も友人になぜBloggerにしたの?と、聞かれた。なにか昨夜の一件で気分的にブロガーに対するイメージは一般に(?)のつきやすい、もっと言うと(阿呆か?)という印象がつきまとうものではあるまいかと、すっかり疑心暗鬼に陥っている。この気分を打開するためにも、ここは本腰を入れて後付けのもっともらしい理由を考えるしかあるまい。

以下理由

1.投稿のインターフェースがすっきりしていて使いやすい
これは間抜けな勘違いであることが後に判明した。筆者の環境はMacOSXで、普段はサイトの閲覧をSafariでやっている。BloggerはいまのところSafariに完全対応しておらず、Safariで見ると単に対応していない機能が剥げていただけの話だった。

2.余計な広告ツールがない
他のブログサービスでも不要なものは無論はずすことは可能だ。しかしながら、主体的におまけ機能を導入しないと実にあっさりした構成になっている点はBloggerのよいところといえる。

3.ブログのエントランスに競争心をあおるような仕掛けがない
自意識過剰な性格上、ブログランキングなどを大々的にやられると「自分もいつかは」などと心中穏やかではなくなり、おそらくそのうちブログ運営自体が重荷になる可能性もある。Bloggerは純粋にツールっぽいところが好きだ。まあ、それを欲するのなら自分でサーバーでもたててMTでも入れろ。あるいは、見なきゃ良い。ということでもある。

4.テンプレートがすっきりしている
おいおい自作の皮に変更する予定ではあるが、ありものの皮がシンプルで好ましかった。しかしフィードへのリンクさえ自分でつけなきゃ出ないうえに、AdSenceの位置も初期設定では変な位置にくるので、ソースに手をつけることは避けられない。

以上。
たいした理由でも無い上に、自分で打ち消している部分もある。
ひとことでいうとBloggerはレゴ感覚のブログとでも言おうか。初期状態ではトラックバックの機能さえなく、RSSを作ったり(Bloggerはatomだ)アクセス解析ツールも外のものを使わねばならぬ。この点が、私としてはおもしろく映るのだが、どうだろうか。ブログを生成する技術に興味はあるが、自前で立ち上げるほど腕に自信はない。という人、あるいは好奇心旺盛なデザイナーなどには結構おすすめだ。ただし、簡単に豊富な機能を取り込んで楽しくとはいかないようだし、テンプレートのXHTML宣言箇所などはlang="en"のままだったりして細かい部分で日本語に冷たいのは腹立たしい。

いろいろありすぎて精査するのが面倒なのでみてくれで選んだ私でも、なんとかやっていけそうである。
主人の冷笑を胸に、臥薪嘗胆、短期での乗り換えは絶対にすまいと心に誓っている。

2006/04/26

高級ブランドについて その2

危うし。しかし負けるわけにはいかぬのだ。腹をくくり振り返ると、身長174cmはあろうかという細身の女史が笑っている。御茶漬海苔・・・。差し障りない会話に発展する前に堅く両腕を組みながら、私は衣類の用途を伝え、身長が低く肩幅も狭い身体的な特徴をあげたうえで適当なものを選択してほしいことと、自身にファッションの知識が皆無であることを一気に伝えた。女史は質問に答える前に「お客様はお小さいけど細くていらっしゃるから、うちので合うのはけっこうありますよ」と所見を語りながら「しかしうちって入りにくいですよね。商品のほとんどが地下だし、暗いし。」と言って笑った。これは意外だ。高級店の店員とは服装からステイタス感の感じられない客に対しては例外なく冷たいものだと勝手に想像していたのだが、実にあっさりと、しかし背筋はしゃんと伸ばしたままの状態でこちらの発話を促進する。少なからずデザイナー、クリエーターという職業の方と会話した経験のある筆者は、この時点で女史の職業意識を推察した。しかしそれは憶測に過ぎない。1日の来店者数や顧客の年齢層など、目下の買い物に全然関係ない話などをしつつ、候補の商品の選択を進めた。

選択にあたり、女史に提供した情報はおおまかな予算、パーティの会場、自身の年齢、職業、当日は幼児を伴っていく予定、仕事の際の服装の傾向など。応えて女史は1)スパンコールなど装飾要素が無くても華やかさがあるもの 2)幼児の相手をする際、しゃがみ込んでも伸びがよく、しわにならない素材 3)洗濯しやすいもの 4)予算内 5)体格に合うもの 6)着回しが効く、という6つのポイントを満たす洋服をピンポイントで推薦した。

筆者は唸った。高額で。というのもあるが、先に感じた女史の職業意識が本物であったことに対してだ。デザイナーの場合、クライアントに絵心が無くても、適切な絵(機能)をクライアントが描いたものとして提供するのが仕事である。しかしその世界には貴賤があり、デザイナーと名乗っていても「いくら払わすか」「どう買わすか」だけを考える人もいる。だがクライアントの利益を真剣に考えたサービス、あるいはサポートの提供を貫徹することにしか、現実的に高い値付けは付いてこないのではないだろうか。筆者は女史の対応で、なぜ高級ブランドの製品は高いのかがわかったような気がしたのだ。

女史は試着時、サイズ調整の必要性を指摘しながら、裁断した端切れでチョーカーを作成するので当日はそれにアクセサリーをつけること、靴はシンプルなヒールにすることなどを指南した。また会場で気が散らないよう、下着が完全に見えなくなるような細工を部分的に加えることを提案した。あまりにも親身になってくれるので、母さん呼ばわりしたくなるほどだ。
立場が人を作るのか、人が立場を作るのか知らないが、実直に仕事をする彼女のことを見習いたいと思った。

かくして帰宅後主人にこの経験をぜひ伝えようと思ってさわりだけ話したら、そんな高い服買いやがって驕ったな。と叱られ、友人には馬鹿野郎そんなのブランドじゃあたりまえだ。と一蹴されてしまった。

高級ブランドについて その1

先日、とある出版社に属する記者のかたの披露宴2次会に参加するに先立ち、洋服を購入した。
日頃ファッションにはたいして興味もないのだが、今度ばかりは比較的まともな格好をしようと思いついた。ファッションといえば表参道だろうか?とぼんやりあたりをつけ、表参道といえば最近話題の表参道ヒルズに物見遊山も兼ねていくことに決めた。うっかり違う建物に入ってしまうなど、入り口を見つけるのに苦労しつつも到着。敷居が高い。途中すれ違った外人は「丘はどこだ。」と怒っていた。ところでショップだがいかんせん多くの店の店員が若く、しかも人が多くてゆっくり拝見できそうもない。どうも若すぎる相手にはがつがつしたところがあって、何を言っても「お似合いですよ」としか言われない気がしてしまうのだ。それ以前に、比較的空いた店舗では商品を陳列するゲージにケツをひっかけてぼんやりしている店員もおり、なにかを相談する気分になれなかった。洋服の知識はおろか、パーティーのマナーも知らぬ私には、誰か相談にのってくれる相手が不可欠だ。肩を落として地下鉄の駅に向かう道すがら、ショーウィンドーに知的だが華やかな洋服を配置している店が目に付いた。店内は薄暗く、「入れるものなら入ってみろ」という威厳が感じられる。思わず「やんのかコラ」と一人ケンカごしになり、地下にまで突入してしまった。そしてもっとも奥に陳列している洋服をおもむろに手にとりじろじろと眺め、ちらっとタグを見て驚く。タンクトップ(?)1枚6万円。ダナキャランと書いてある。ここで負けるわけにはいかぬ。ためつすがめつ、次々と商品を見て回った。
「そちらは人気があるんですよ・・。」
さっきまで店の奥で直立していた店員女史が、風のように背後から話しかけてきたのだった。つづく

いまさら

いまさらだが、ブログを開設することにした。
最近人前に出していただく機会が増え、微々たるものではあるが「矢野さんのブログがあったらみてみたい」という声があるためだ。
そのたびに「無いです」と答えてきたのだが、毎夜布団の中で「物ぐさな性格だと思われたら」あるいは「やりたくてもよくわかっていないのでできないのではなどと受け取られてはしないだろうか・・・。」と悩むこともしばしばだった。しかし本音を申せば満を持して実名をさらし、ブログを立ち上げたあげく誰もみてないでは恥ずかしい、とか、自分の日常をおもしろおかしく記述して喜んでいる人は阿呆だなどと公言してきた以上、ブログに手を出す訳にはいかないといった、少々自意識の過剰な考えがあったことは否定すまい。
まあ、見てみたいとおっしゃってくださる方がいるうちに、やってみよう。つうか、ほんとはちょっとやってみたかったし。ということも、否定すまい。