2013/03/15

都会地獄で永遠の餓鬼道をエンジョイすること


「夜と霧」は、心理学者であるヴィクトール・E・フランクルがナチスの強制収容所で生活した様子を研究者らしい冷静さで表した体験記です。
生命の維持が厳しい条件下で人間が取る意外な行動についてなど、たくさん学ぶところがあります。なかに「暫定的存在」という、人間の内面が歪むシチュエーションについて書いてあるくだりがあります。これは現代でもまったく古びていない問題意識です。

暫定的存在とは、収容所生活が「いつ終わるのか不明」という状況のなかで、目的を持って生きることが難しくなる状況のことです。
そんな状況のなか、人間は「目下の自分のありようを真摯に受けとめず、これは非本来的ななにかなのだと高をくくり、こういうことの前では過去の生活にしがみついて心を閉ざしていたほうが得策だと考える」(フランクル)ようになる。その結果、免疫力が低下して病死したり、精神的な自己放棄から鬱状態に陥って動けなくなってしまう。
こういった状況というのは強制収容所のように生命装置が危機的状況にさらされる過酷な条件でこそ導かれる感覚なのだなあ。と、子供の頃「夜と霧」を読んだときは思ったものです。が、今ええ大人になって都会で暮らしていると、命の危険はないハズであるにもかかわらず、暫定的状況下で鬱になっていく人がやたらと多いように思うのが不思議です。
例えば
・若さがいつ終わるのか不明
・理想の女性/男性に巡り会うまでの心の旅の終わりが不明
・自分の価値を満足させる完璧な職場に落ち着けるまでの道のりが不明
・誰もがひれ伏す俺様になりあがる時期が不明
などなど。
こうした暫定的状況下にある人はあたかも「目的」を持って生活しているように傍目にはみえたりもするのですが、なにせずっと渇望しっぱなしなので、もし仮に理想の人に巡り会ってたにしてもそうと気付くことはないんじゃないでしょうか。

強制収容所はこの世の地獄に違いありません。しかしいつ終わるとも知れん欲望や競争心に振り回されて、自分自身を暫定的な状況に置くことが、満ち足りた平和な都会でマイ地獄を完成させているとしたらおっかないことです。餓鬼道ではいくら食べてもお腹いっぱいにならないらしですし。

心の平和を大切にするため今日一日、できることを精一杯やって、楽しかったなあ。きょうはおしまい。またあした。と小刻みに終わらせて、生活しようと思いました。




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