2018/05/09

グレイテスト ショーマン に学ぶ、グレイテスト3か条



音楽で捩じ伏せてくるモーレツな映像体験ですね。ディズニー映画を実写で作るとこんな感じになりそうな。ミュージカルシーンには随所にマイケル・ジャクソンのDNAを感じました。面白かったです。映画で学んだグレイテストな点をまとめました。
  1. 歌って踊れるべし
    妻に脱サラを宣言する際や、有能なビジネスパートナーを説得するのにくどくど論理的に話したり、パワポで事業計画を説明するのはグレイテストではありません。ピッチに立ったらまず歌ってみる。それでもダメなら踊ってみる。それが成功への鍵です。
  2. 友情や健康以外いっぺん全部失うべし
    家族に見捨てられ、家を燃やすのがベストです。1番大切なものってなんだっけ?なんてあったかいお風呂に浸かりながら明確になるわけがないのです。それを知るために全財産一度きれいに失いましょう。
  3. メルセデスより象
    経営者として成功を収めても普通に家族をメルセデスなんかでお迎えにいってはあなたもそこまでです。象に乗りましょう。

基本データ

グレイテスト・ショーマンはMichael Gracey初長編作品。主演ヒュー・ジャックマン。マイケル・グレイシーは現在「ナルト」(ジャンプ漫画のアレ)の映画化をやってる最中らしいですが、もともとオーストラリアの特殊映像制作会社の現場の人だったんですね。ビジュアルエフェクトにものすごく詳しい現場の人が、映像音楽のプロと組んだらこういう作品ができる。という、なんというかPVの長編版のようなノリの作品でした。音楽担当が「ラ・ラ・ランド」チームだったり、楽曲が話題になったりザック・エフロン(主人公の片腕役)ええ感じに育ってるとか音楽寄りの話題が大きくて、監督とか絵作りのことが話題にあまりのぼらないのも面白いなあ。映画を取り巻く状況は変わったなあ。と感じました。

2018/05/08

母性大放出祭り。シェイプ オブ ウォーター&ワンダーウーマン


出張移動時に2作鑑賞しました。
どちらも大作らしい豪華さと作り込みの執拗さがある素晴らしい作品でした。
たまたま適当にこの2作選んだのですが、なんか、共通して、男性の登場人物(キャストがではなく、話の中においてのキャラという意味)が、、、なんというか魅力がイマイチというか、、、女性キャラのオマケみたいな印象で興味深かったです。

ワンダーウーマンは女人一族アマゾネスですから装甲下着で大暴れですし男性が影薄くなって全然当たり前なんですけど、なんかこう、小理屈なく「ほらあああああ!!!赤ちゃんがかわいそうじゃあないのおおおおおお!!」みたいな感情で衝動的に動くって女性の根源的な良いところだと思うんですよね。で、ワンダーウーマンってそういうキャラで、うおおああああ!飛行機おっこってきたじゃあ無いのおおおお!!ってスパイ小僧助けてズドーンと惚れちゃって、そのまま一直線に世界助けるぞおおおおお!ってドカドカ走ってくとこなんか世界中の母性エキスを凝縮した「アーマード母さん」という感じでした。
なんでしょう。昔はこういう人ザラにいたとおもうんですけど、最近減った気がする。世界には母さんが足らんのですよきっと。

で、シェイプ オブ ウォーターのほうは「半魚人に惚れるアラフォー」というテーマそのものがキワモノっぽいのでよほど綺麗に理想化されたラブストーリーなんだろうと思ってみてみたら、私が年取ってるせいかもしれないのですが、こっちもなんかえぐいほど母性の噴出を描いたような印象を受けました。
弱った魚人を見てギュッと心を掴まれるって、征服欲とかとは別になんらかの危機に瀕した生物全般に対してほとんど脊髄反射で突き動かされる「母性」というやっかいなセンスのなせる技な気がします。自分もそういうことがたまに起こりますけど、何かを欲しがられると慌てて差し出しちゃうんですよね。母性ってやつは。

そのように母性の存在を際立って感じてしまった理由の1つが男性キャラのいけてなさです。
体の芯から湧き上がるかのような女性キャラの「ワシが助けるぞい!!!」大放出の脇で男性キャラはといえば、組織や国家がどうのこのだからこの私はこうするべきである。だとか、嫁にねだられるまま高い車を買える俺ちゃん優秀とか、老いや孤独を怖がったりとか権力を欲しがってみたり弱いものをいじめてみたりともう、脳みそばっかり活性化してちっとも心が無い...
.。もうね...。この男子たちダメね...。半魚人いいよ...。黒目がちでキュピ?ってしてひとりじゃいろいろできなそうだけど肉体的セクシーさもあって、相手の考えていることを知りたい、心を通わせたい、って顔するもの。そりゃ抱かれたくもなるわ...。という。

なんでしょうね。理屈ばっかりこねてる男性キャラと気持ちで動く女性キャラというコントラストは世相を映してるところあるのでしょうか。こういう作品が生まれるというところに、世の中の母性に対する渇望のようなものを垣間見た感じがいたしました。

基本データ

ワンダーウーマンはDCコミック原作のアメコミスーパーヒーローもの。バッドマン枠なのでちょっとシリアスというか「やっちまえー、おー!」的なマーベル組よりちょっと悲壮感あるタイプのほう。監督はパティ・ジェンキンス。女性が観るとスカッとするといった前評判も聞きつつでしたが、確かにアマゾネス軍団が重装備で戦闘するシーンなんかは美しくて素敵でした。

シェイプ オブ ウォーターはギレルモ・デル・トロ監督、脚本、原案によるオリジナル作品。職人的クリーチャー役者(クリーチャーのマスク被っていることが多くて地顔が判別しにくい)マイケル・シャノンが半魚人役でアカデミー賞を受賞したことで話題になりましたね。ダグ・ジョーンズの本職はパントマイマーなせいでか、動きが超セクシーです。

2018/05/02

ニコニコ超会議2018 大島薫x加藤鷹x二村ヒトシ 鼎談
「"超セクシー男優"男塾」を観戦


ニコニコ超会議2018のトークイベントを観てきました。とてもためになるセッションでした。加藤鷹さんは言わずと知れた伝説のAV男優。大島薫さんは男性でありながら女性寄りの表現で活躍されているタレントさん。以前は「女装子(じょそこ)」さんというジャンルで活躍されていたそうです。可憐だけどハツラツと聡明な印象!
二村監督は現役のAV監督かつ男優そして人間関係の処方箋のような書籍の著者として有名です。縁あってトークイベントなどでご一緒させていただいたことがあるのですが、誠にセクシーインテリ紳士でいらっしゃいます。まるで哲学者のごとく理路整然とお話されるのに脱いでもすごい(全裸)って世界広しといえども二村監督だけなんじゃないかしら。

素敵な座組のセッションのお題は「AV強要問題について」。被害者組織や支援団体のNPOが発足するなど近年社会問題化しているイシューです。
大島さんは経験者ながら女性とはちょっと違う立場から、二村監督は現役の立場から、加藤さんは現場を離れた人間として様々な角度で意見交換がなされました。

私は加藤さんの「自分も含めて誰も裸の仕事なんかしたいと思う人はいないよ。」という発言にすごく納得。じゃあどうしてやっていたの?という質問は飽きるほど受けてきたとおもいますが、私はAVという仕事とそうでない仕事の間にある「一線」をその仕事を経験した当事者がどう認識するのかを確認するための発言であると受け止めました。
パンツ履いて仕事できるなら誰だってそうしたい。でも(金を稼ぐ、生きるためにやる)仕事って、いろんな理由や成り行きで手にするもの。そしてその仕事ってどういうたぐい、どういう性質なのかは手にした本人がよく理解してるはず。ということだと思います。
また加藤さんは「未成年については必ず大人が守ってあげなきゃならないとして、大人になれば契約をした後でやっぱり私、嫌だった。とか、そういうつもりじゃなかった。っていうのは子供の言うこと。ちゃんと大人として自分の意思は明確にしないと」ともおっしゃっていて「一線」を見極めて理解して、自分の行動に責任を持たなきゃダメだよ。ということもおっしゃっていました。その意図は単純な「自己責任論」とは私にはきこえなくて、そこから始めなきゃ人生をコントロールできないでしょ?という原理原則的な話の確認と私は理解しました。そのうえで「強要問題というのは結局AV女優、AVの仕事を差別する人間、AVやってた人間なんか。という差別意識を持つやつの認識が元凶。」と、被害者を蝕む外圧の本質を指摘していらっしゃったところは、ああ、そういうものだよなあ。と深く納得しました。

二村監督はこの問題に関して単純な構図上では「加害者たり得る立場」ですが、近年の取り締まりの強化といったトレンドについて触れ、業界の不文律やマナーはすでに広まり、業界は相応の対応を迫られていると語りました。
市場のトレンドについては、女優のデビュー作ばかりにニーズが集中していると説明。新規参入者が相当数ないとビジネスとして成り立ちにくい状況のようです。また、過去の出演作により出演者が不利益を被ることを防止するため、発表から5年たったコンテンツは出演者の申し出で消去できるという運用体制も業界内ではあるそうです。これは「割と気楽に出演する若い人」を増やす要因になりそうな気もしますが、出演者の人権を尊重、守りつつ、AV業界延命のためできることはやっていきたい。と本当に真摯に語っていらっしゃいました。

そんな二村監督の発言で一番印象的だったのは「でも、いわゆるアダルトビデオ業界は、近い将来滅びてしまうだろうけど」です。
滅びる、というのはいろいろな法的規制や市場の変化により縮小する収益のスピードが、業界の構造を一変させる。といった意味だろうとは思います。

私は二村監督の「滅びちゃう」発言のあと、ふと「そもそもAV女優はいつ誕生したんだっけ...」と考えました。いま話題になっている「AV女優」というお仕事。かつては「ピンク女優」とか言われていたこともあるっけ。
その前はたぶん写真技術の向上により「官能モデル」みたいなジャンルもあったでしょうし、絵画の世界でもエゴン・シーレに女性器まで描かせたモデルも実存しましたからアイデンティティを持ったまま裸をメディアに残した女性って表現の歴史上ずっと存在しているわけです。

そこまでツラツラ考えたとき、いまのこの「自分が世界の中心であり、自分自身が自己を肯定しているかどうかとは別に、他人からないがしろにされてはならぬ自己」を抱えやすい時代において「わりと簡単に消費される裸」として裸を仕事にするというのは、とてつもない毀損感を被ることなのかもしれないな。とか、さらにツラツラと考えました。

私は前述した加藤さんの「パンツ履いてできる仕事があるなら普通そっちやりたい」に納得する者ですが、それって「パンツ脱ぐくらい普通じゃない仕事なんだから普通、それ相応の対価を要求したい」ってことと抱き合わせなんじゃないかしら。その対価はお金の場合もあるし、賞賛とか、声援、応援とかもあたるでしょう。
だとすると、消費サイクルが短くなったAVというお仕事は、生身の体を張る生業としては、なかなかいろいろな対価を得にくいのが現状なのかもしれないなどと考えてしまった。

二村監督は「AVというジャンルはなくなっても、女優さんはとても元気。活躍する場所がなくなるわけじゃないし、ファンとしっかり交流して新しいことに挑戦する女優もたくさんいる」とおっしゃっていました。自分自身で対価を獲得するべく挑戦し続ける表現者はいつの時代も強く、主体的に市場を切り開くものかもしれません。

ちょうどセッションが行われていたステージの隣はいわゆる「Vtuber」が登場するステージでした。集まったファンの人数と声援が会場中最も多く、こちらのトークがちょっと聞き取りにくくなるほどでした。
リアルな自己アイデンティティと切り離された「動くアバター」で新しいアイデンティティを形成し、賞賛を浴びているVtuberのジャンルにも、当然「エロ系Vtuber」は出てくるでしょうし、すでにいらっしゃることでしょう。リアルな自己を晒さないぶん対価は少なくても自己は毀損されないのかな。キャラクターに声だけあてて、あとはガジェットの力を借りてセクシー体験を提供できるサービスがあれば裸の需要は下がるのだろうか。あ。でもそういう体験が広まれば逆に本物の裸の価値は、高まったりして。
AV is dead but eroticism will be forever. 海外市場では会員制の「質の高い」ポルノ配信サイトを立ち上げたGreg Lanskyという起業家もいたり、彼の作品に登場する役者は「ポルノスター」という称号を持ってたりもします。Video kill the radio star とはよく言ったものですが、Porn starは誰かに殺されたりしないわけですね。
いろいろと楽しい引き出しに溢れた座組のセッション、もっと長く聞きたかったです!

2017/07/29

さよならヌーちゃん

今日は18年間飼っていた猫と最後の一日だった。
おとといの木曜日夜から歩きかたがおかしくなり、金曜日には彼女が我が子のようにかわいがってきた息子(私の長男)のベッドの下で寝返りは打つものの起きて歩くことができない様子だった。
そのような金曜の朝私は朝食の準備をしながら確かに彼女が階段を軽快に登っていつものように息子が朝勉強をするリビングに来るのを見た。
それは幻覚というか実態ではなかったが、確かに「来たな」と思った。

彼女は朝勉強する息子のノートの上に寝そべるのが日課で、息子は彼女の体を避けながら勉強をしていた。彼女のしっぽにさわりながら勉強をするのが息子も好きだったし、彼女もそれが好きだった。
その幻覚というか、来たな。という感じを得て私は彼女がもう意識で体を動かすことができないんだなあ。と確信した。気持ちだけで来ている。

すぐに今日のスケジュールを確認して夕方以降に予定が入らないようにした。もう土曜の朝にには生きていないだろう。
金曜から泊りがけで外出する夫には、土曜日すぐに焼いてしまうことを伝えた。
出社して会議ややるべきことをやり、夕方早めの時間に会社を出た。

家に戻ると息子のベッドの下で彼女は肩で息をしていた。ずいぶんおしっこが出てしまい、体じゅうおしっこまみれになっていた。バスルームの前にある彼女のトイレのまわりにトイレシートとバスタオルをしきつめて、そこに抱えて連れて行った。濡れタオルでよくよく体じゅうを拭いてやり、そのあと息子の部屋を掃除して様子をみる。七転八倒しながらどうしても脱衣所の隅に行きたがるので、隠れたいんだな、と思い大きめの段ボール箱で隠れ家を作ってやった。屋根と壁を得てだいぶ落ち着いた。横になって肩で息をしている。

部活から帰って来た息子はしばらく床に寝そべり段ボールに顔を突っ込んでいた。
その日はおすしを頼むことにして、保育園の娘を迎えに行き、できるだけ静かに過ごさせてやろうと脱衣所は電気を消してまだ小さい娘が乱入しないように気をつけながら過ごした。
早めに家全体を暗くして落ち着かせてあげようということになり、夜9時にはめいめいの部屋に収まって布団に入った。息子にはこれが最後で、朝になったら生きていないのでよくお別れを言うように促した。
息子は寂しいせいでかやたらべらべらとよく喋り、なかなか彼女から離れようとしなかった。

家中の電気を消して娘も眠ったころ、箱の中の様子を見た。舌もしまえなくなっていて昏睡しているようだった。
わたしも横になって、眠ろうとがんばっていた。
すると、ととととととと。と、いつもの足音が聞こえた。
気持ちだけでここまできたか。と顔を上げたらどうやって歩いて来たのかケロっとした彼女が寝室のドアの前に立っていた。
そのままてくてくとわたしの枕元まで来て、そのままパタッと横になった。
しばらく頭を撫でていたら、喉を鳴らしているような音が聞こえた。
音が聞こえなくなったころ、耳が冷たくなってきたので深夜だったが夫に旅立ったようだとメッセージを送った。
そのあと2時間くらいうとうとしてから触れるとだいぶ硬くなってしまった。しっぽがずいぶん適当な形で倒れたので、このままだと箱に入らなくなってしまう。
さっき屋根にした箱を今度は棺に作り変えて、硬くなり始めた体をちょっとずつ丸めていれた。

彼女が食べ残したご飯や床に敷いたペットシーツを捨てて、床をきれいに拭いた。24時間対応のペット霊園に電話をし、午前の火葬を予約してから彼女の箱を自分の布団の横に置いて少し寝る努力をした。
目をつぶると、リビングで確かに彼女が走り回る音が聞こえる。
ソファで爪を研ぐ音さえしている。
そんな音を聞きながら、ああ、彼女も死んだことに慣れておらず、私も彼女がいないことに慣れていないんだなあ。と笑った。

明るくなってきて、息子が自室から起き出してきた。彼女がもう生きていないことを伝えると、怒ったような顔をしていっこうに会いに来ない。
それから火葬場に行く直前まで、まったく顔を見ようともしなかったが、焼けた骨は一生懸命拾っていた。
帰って落ち着いてからキャットタワーなどを片付けようかともおもったが、なんだか疲れたので何もしなかった。
猫トイレは日曜日の昼にでも片付けよう。
今日だけ、死んだことに慣れていない彼女が最後に砂をかく音を聞こう。








2017/05/01

「性格」が個人の生産性を評価する新しいものさしになるらしい

春はちょくちょく中学生の保護者会があって学年主任の先生のお話などを聞く機会があります。最近かなりの頻度で先生が「非認知能力育成の重要性」ということをおっしゃっていて、聞きなれない用語のわりにポンポンいうのでよっぽど大事な用語なんだろう。と思い、調べました。

非認知能力とは?

知能以外の能力のこと。端的にいうとパーソナリティ特性(性格)で測る
※「性格で測定する非認知能力」が状況により変化するものでなく、個人の行動を決定する測定可能で安定的な人間の性質であるという合意がごく最近形成されるようになった。個人レベルの労働生産性に与える影響の研究分野でよく利用される。

ほうほう。

ということは非認知能力を知るためには認知能力も正確に把握する必要がありそうです。

認知能力とは

理解、判断、論理といった知識や技能を指す言葉。

なるほど。

具体的な例でいうと...

  • 絵がうまい
  • 数字の計算が早い
  • プログラムできる
  • 英語が喋れる

こういう技能は「認知能力」として質が測れるようです。

では、なぜ非認知能力が注目されているのかを調べました。

理由:従来の個人生産性測定基準の欠損を埋める要素だと期待されているから

伝統的経済学においては個人の年齢、教育年数、経歴、両親の経済力などから個人の生産性を図ろうとしてきたそうです。しかしこれらの変数は賃金変動の15~35%程度しか説明できないと言われているとか。
また、2020年を目標に文部科学省が進めている大学入試改革(高大接続改革)では、生産年齢人口の急減や社会の変化に対応するため、新しい時代に必要となる資質や能力を「真の学ぶ力」(「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」の学力の三要素から構成される力)と定義しています。判断力や態度の部分を担う能力が「非認知能力」ですね。

次に、非認知能力を測定する手法を調べました。

非認知能力は、性格5因子という指標を使って測定するそうです。

性格5因子

  1. 経験の開放性(Openness to Experiences)
    新しい審美的・文化的・知的な経験を追い求める傾向を判定
  2. 勤勉性(Conscientiousness)
    向上心があり,努力家。中途半端を好まず,徹底的にするタイプを判定
  3. 外向性(Extraversion)
    心的エネルギーが外に向いているかを判定。コミュニケーション能力が高く,積極的に人と接することが出来る。気持ちが外に向いている
  4. 協調性(Agreeableness)
    周囲と上手くチームを組んで活動できるタイプを判定。周りの人に合わせて,人間関係を上手くやっていけるタイプ
  5. 情緒安定性( Emotional Stability)
    精神的にバランスが安定しているかを判定。反対の神経質的(Neuroticism)というのは,情緒的に不安定で精神的な苦痛に耐えてきている慢性的状態
実際はこの5因子に別の指標を組み合わせた数式モデルにより測定できるそうです。
すでにモデルを運用し、個人の将来の賃金を試算する試みもあるとか。面白いですね。

ポイントは

こういう人材がビジネスにおいては評価されるんだろうなあ。みたいに感覚で評価していたことが「算出」できるようになってきたということでしょう。人工知能がそのうち人材評価をやりはじめる日も近いです。
また、同じパラメータでも国や性差により評価結果は異なるらしいです。
例えば、協調性が高い人材は日本で出世確立高いが、米国では逆に低くなるみたいな。
その一方で、女性はとくに国によらず「怒りっぽい人」の評価が低くなる傾向にあるとか。こういうことは俯瞰(へえ〜〜みたいな)して把握し「まあ自分も女だからわかるけど、肉体的な都合により精神安定しないことはよくあるわなー。でもそれって経済市場的にはマイナス評価になっちゃうってことだから気をつけよー」という認識くらい持っておいたほうがよさそうです。

とくに、製品開発とか「作る」仕事は「スキル」だけで評価されてしかるべきだと考えがちです。でも世の中的には「パーソナリティ特性」込みで評価する流れがもう確実に来るということをはやめに自覚して、気をつけておきたいと思いました。

とはいえこれは「労働市場」という限られた世界のなかの評価であり「人間という大自然の一部である生き物の価値を測る絶対的なものさし」でもなんでもないということも合わせて意識しよう。と思いました。

出典

非認知能力が労働市場の成果に与える影響について
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2014/09/pdf/030-043.pdf

幼少期の家庭環境、非認知能力が 学歴、雇用形態、賃金に与える影響(測定数値付き)
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/14j019.pdf
※こいつは学生時代集団スポーツの部活に入っていたらプラスとか私にとっては取り返しのつかんことを書いてあるのでけっこう精神的にえぐられましたw


2017/01/04

「自分にしかできない仕事」というものは無くて、あるのは「自分に合っている仕事」だけ

あけましておめでとうございます。
新しい年が始まると「今年はこういう仕事がしたい」とか言ったほうがいいんだろうなあ。と考えたりもするが、アウトプットをどうしたいということがまるで考えつきません。
そのかわり、わりと考えるのが、アウトプットの源である自分自身及び環境の調整についてです。いまのところ以下の点について重視したいと考えています。

・今の自分が持つスキルを「職能」だと勘違いしない
周囲に求められているうちが職務を遂行する能力であり、今現在何ができるということ自体は特に重要ではない。周囲も含めて自分自身を明るく楽しく動かすことこそ本当の「仕事上有効な力」である。

・現状維持は衰退
小池百合子女史がオリンピック関連の会議上で発言していたのを報道で見てから好きな言葉。ルーティンは週次で見直すくらいの感度で「作業」の「意味」と「目的」を考え直す。

・「作業」は積極的にシェアする
家庭でも仕事場でも「誰にでもできること」は積極的に作業分担する。女親にしかできないことがあるとか、コーディングは特殊技能だとか、コピーライティングにはセンスが不可欠とか、いろいろあるけど「覚えりゃ誰にでもできる」ことは案外たくさんある。

以上です。

これまで「自分にしかできない仕事と出会う」ことが、あたかも幸せになることのように捉えていました。無責任なドラマの決め台詞を信じていたのかもしれないし、TVCMか何かで観たのかも。
しかし20年近く社会でそれなりに生きてきましたが、どうも自分にしかできない何かって、無いんですよ。それだけたいしたことをしてこなかっただけかもしれないけれど。
極論すると、自分の子どもたちですら、自分以外でも育てることはできる。
デザインの仕事だって誰が手がけるかは問題じゃない。個人の名前とかブランドで解決できるほど単純な課題など、無い気がしています。
結局、何かがうまくいくときというのは「自分に合っていること」をやっているときなんじゃないだろうか。と考えるようになりました。
私にとって、自分に合っていることのジャッジはけっこうカンタンで、

・日々自信を持って関係者と接しているか
※目を見て話せる、指示ができる、主張ができる程度の話です
・施策やデザインの「ダメな理由」ではなく「改善できる方法」を示せるか
・仕事の内容で自分自身が「わからないこと」「理解できていない点」を把握しているか

いまのところ、この3つを自問自答して判断しています。

もしこのどれかが不明瞭であれば、今のやり方を変えるか、環境が合わないと判断して転身するといった解決策を検討するでしょう。いまのところ、自分の考え方を環境に合わせて柔軟に変えていくほうが自分には合っているようです。この判断基準は仕事だけではなくいろんな側面で使っています。この判断基準が通用するのはいつまでなのかはわからないですが、今年一年はこれで行こうと思います。


2016/10/09

かあさん部長として、とことん語り合う会に参加しました

セッション中やたらうろうろする娘。
ぬいぐるみが似合う司会の蝦名晶子さんと一緒に。

10月5日NPO法人あおもりIT活用サポートセンター主催「かあさん部長ととことん語り合う会」に講師として参加しました。
IT関連の話題というよりも、もうちょっと広く「仕事と家庭の運営ってどうやって両立してる?」といった大きい課題について、参加したみなさんの知見や経験を共有しよう!といった会になりました。
冒頭の数分は私の自己紹介も兼ねて私のキャリアと家庭的な変遷についてお話しして、そのあとは質疑応答だったり私が参加者のかたに質問したりと非常にインタラクティブなやりとりができました。

参加者の年齢は幅広く、20代から50代といったかんじで人生の局面もそれぞれ。でありながらやっぱり共通している思いは「自立することの意義をみんな知っている」ということでしょうか。パートナーを得たり子供をもうけたりする以前に、自分の人生の課題は主体的に解決したい。ここからあそこまで歩く。あるいは車で行く。と、同じ感覚で。そのためには経済的に、精神的に、自立したい。自立がなければ すぐに「歩かされた」とか「車を使いたいのに使えない」という(気分)に陥りがち。足は自分のものだし、邪魔をする人などいないのにです。みなさん、より良く生きようという意思に溢れていて素敵だったなあ。

当日のようすは斎藤美佳子さんのブログで詳しく紹介していただいてます♥
「かあさん部長」矢野りんさんと3時間たっぷり語り合ってきたった
http://saitoumikako.com/blog/1005mothers.html

ところで若い世代のかたに「子供を持つことによって諦めたことは何かありますか?」という質問をいただくことがあります。長男がまだ小さくて、子育ての仕事全体が把握できていなかった頃なら色々諦めたことを羅列できたかも。下の子が小さくて手がかかるいまは、何がいつまで続いて終わるのがわかるので、いろいろ後回しにしても諦める必要はないとわかります。とはいえ諦めたといっても「あと10分寝たいなー」といった程度のことしかないです。

人によってはもっと長時間仕事に没頭したいけど子供がいるから諦めた。といったこともあるでしょう。しかし私の場合20代のころ朝から朝まで働いて「ノー・フューチャー(絶対早く死ぬタイプ)」の称号をほしいままにしていたことから子供のおかげで多少寿命が伸びたんじゃないかと思うくらいです。今は帰宅後子供らに食事をさせるのが精一杯で夕食はほとんどとらないくらいで早寝早起き。健康そのものです。
とはいえ以前の睡眠時間は4時間ていど、食事は短時間で済むコンビニ弁当中心の生活で毎日明け方までPCに向かっていたころの自分は、今のようなタイムスケジュールで生活しろと言われてもそんなの無理だと思うだろうなあ。

座談会でとても印象的だったのは、子育てがすでに終了した参加者のかたがいらっしゃったことです。フリーランスで受託制作されているかたでしたが、マイペースにご自身の時間を思う存分使っていらっしゃる様子が笑顔やしぐさににじみ出ていらっしゃる。その様子を拝見するだけでも強烈に励まされました。親の介護とか家族の都合はあいかわらず課題として手元に残るでしょうが、子育て時代よりは自己管理に多くの時間を割けるようになるだろうと想像しました。

実は私自身現在最も興味があるイシューは、歳を重ねた時に変化した体と仕事とをどうやって調和させるか?ということです。
特に40代になるとホルモンバランスの変化で感情や体調のコントロールが難しくなります。離婚騒ぎで話題になったアンジェリーナ・ジョリー、絶対ホルモンバランス悪かったよね...みたいなことがざらにあるわけです。

40代で顕著なのは
・体力の低下
・集中力の低下
・好奇心の低下
です。

よーするに意識的に運動しないと筋力がつかなくなるほど基礎代謝が悪くなってくるため、芋づる式に体力が衰えてきます。と、同時に生殖能力から開放されつつある過程でホルモンバランスも変化して、気分のムラが大きくなって集中力が低下します。気力体力ともに衰えることにより、新しいことに食いついたり、慣れない場に飛び込むために必要な好奇心が減ってくるという。もう、これらの点を日々意識しないとものを作る仕事は継続できないでしょう。
そうかー。マドンナが若い彼氏をとっかえひっかえしてるのも、エンターテイナーとしての仕事を継続するためにやむなしなのかー。なんてな。

うーん。ここで私がこういう極端な例について思いを馳せちゃうのは、やっぱり東京というそれなりに競争が激しい場所に住んでいて、自然と武装モードで物事を考えがちだからだろうか。
と、いうのも今回青森で凄く感じたことに、青森という地域には「助け合いの空気」みたいなものが自然にあって、あなたができないときは私がやろう。私ができないときはたのんだぞ。という見えざる網のようなものがそこらじゅうにあるので、ただ座っているだけでもすごい気楽な感じになれるような、感覚がありました。

座談会で「産休中にヒマで書籍1冊書いた」と話しましたが、そう言いながらも内心私は「バカじゃないの。ゆっくり子供みてればいいのに。」という気分にもなってました。それも、青森の独特な、ふわっとした助け合いの空気にほだされてたからなんだろうなあ。と思います。
なので、なんかそういう場で、毎日カツカツと余裕なく過ごすさまを披露するのは、正直ちょっと恥ずかしかったです。

色々と自分自身の身の振り方を見つめる良い機会をいただきました。
旅館や空港でおじいちゃま、おばあちゃま、お店のかたにうんと優しくしていただき、親子ともども青森にすっかり魅了されて帰りました。また遊びに行きます!ありがとうございました。