ごめんよチームメイト。
と、いうことで、5年目の反省点です。
私の勤務先や仕事するチームには中国人がたくさんいるんです。
私は中国語が話せないので日本語が喋れる中国人と仕事をしています。
外国語を母国語とするチームメイトと、母国語で仕事をするという点について、反省点が多いにあります。
つねひごろ難しい言い回しを使わないようにとか、新しい言葉(時事的なたとえとか)を使わないようにしたり、短いセンテンスを使うように気をつけているつもりです。
でも、そういう配慮以前にできてなかったことがあります。
と、あるとき。本来は会議をマネージするはずの立場のチームメイト(中国人)があんまり発言せず、わたしはすごくイライラしていました。
何をどうしたいのか、会議の方向性も不明確になるし、何しろ、何を考えているのかわかりにくい。
で、私が安易に到達した結論は
日本語が下手
でした。
しかし、そのことを周囲の同僚(中国人)に愚痴ったところ帰ってきた答えが
「あいつはプロジェクトの責任者になったのが初めてだし、そのうえもともと自分の考えをみんなの前で表明するのが苦手」
でした。
がーーーーーーん。
そうだったのか!!!!!!
何が言いたいのかというと、そもそも、外国語を母国語とする人を評価するうえでは結局自分がそうしていたように「言語の流暢さ」という要素が立ちはだかるののが現実であるということです。
そして始末の悪いことに、自分自身では自分自身や他者の能力を、言語の違いを超越して評価されるべきであると思っていたことです。
つまり、私自身は他者のことを自分が理解できる言語を満足に使えるかどうかを最大の評価点としないんだと思い込みながら、結局相手の能力やパーソナリティは言語を通じてしか評価できないというクソっぷり。
できないことをできることだと勘違いして、しかも他人をそのものさしで測るという愚鈍ぶり。ガイジンに対する見事なまでのフィルタリング。
もうね。最悪。ただのバカ。
じゃあそもそも言語に精通していない者同士が仕事をするというのは無理なんじゃないのか。
と、結論付けるのは簡単なのですが、それは嫌だし、もっと頑張りたいです。
と、いうことで、とりあえず改善の一歩として私は
もっと真剣にパーソナリティを見る。
ということを実践したいと思います。
だってどうしても、海の向こうの人々と私はこれからも、仕事をしなければ、つまらない から。いろんな「違い」を教えてくれる人とずっと仕事をしていたいから。
なのになあ。