2016/03/09

変態とは

休日、息子が友達の家に遊びに行きました。
すると夫が「さあ、子供もでかけたし、一緒に変態仮面でも観るか?」
と。
それまで観たことがなかった私は、小学生が観たらダメかなあ?(もともと小学生が読むような漫画が原作なんだし)とたずねたところ真剣な顔で
「俺には…わからない…」と言いました。
なるほど。観たあとは私もそう思う。変態仮面とはそんな映画です。

使用済みパンティーをかぶると網タイツに運動靴のマッチョのヒーロに変身して好きな女の子をスーパーパワーで守る。というMARVELものっぽい設定。この変身後の姿こそが「変態」と呼ばれるところでしょう。また、主人公は授業中、妄想して勃起したり、布団の上でパン一で好きな子のことを思ってもだえたり、そもそもパンティーをかぶるのが好きだったりします。
そういう部分が女子的には「きゃー変態」と言うに十分です。

しかしです。
話の中盤からこの映画は非常に大きい問題を突きつけてきます。
安田顕が出てきてから、変態の前提が崩れてしまうのです。

本当の変態とは、女子に「きゃー変態」と叫ばせるような程度の存在ではない。
それは単なる「性欲の強い男子の健康な姿」でしかない。

そう。女子は簡単に男子の性欲に「変態」というタイトルをつけて冷やかし、フタをさせようとする。しかしそれは「変態」などではない。

では、本当の「変態」とは、何だ?

「女子目線のいわゆる変態」とヤスケンが表現している「真の変態」とを決定的に隔てる要素とはなんなのか。
それはもはや、おっぱいやおしりといった「性の対象」としての「女子(オブジェクト)」さえ不要な、圧倒的に自閉した宇宙に広がる希望とか光みたいなもんとしかいいようがありません。

早い話が、女にはわからん。

ということです。

これはわからん。しかしわからんなりに考えてみると、「きゃー変態」という言葉で蓋をすればするほど男子の心の宇宙に広がる希望の光は輝きを増し、圧倒的な幸せを手にいれてしまう。という道もあるのかもしれんなー。とか思いました。
ヤリチンとかが逆に小さく見えますよ。

それほどこの「変態仮面」とは、すごい映画である。ということです。
パート2が楽しみです。
そしてやっぱり小学生が見ていいかどうかは、わかりません。