今朝のニュースが、福島の避難区域で勢力を増す野ブタ200頭あまりを駆除したという話題に触れていました。
それを見た子供が
「ブタがかわいそうだ。どうせ汚染されていて誰も住めない地域なんだから、ブタが家族で暮らして何が悪いんだ。それにブタが来るってことは作物もおいしくなっているってことなんだから、いいきざしかもしれない。それを、人間のすむところだからっていって、ころすなんて」と、怒りました。
わたしは
「お前の言うことは正しい。」と肯定しました。
「いつから日本の土地は人間だけのものに決まったんだ。動物も人間も、一緒に仲良く暮らすためにあるのが自然だ。それでいいんだ。」
汚れた場所でもブタはブタのちからで生きる。すばらしいことだ。
実は、私は別の番組を見て知っています。
福島の地元を守る大人たちが、ブタが市街地に進出してきたばかりのころ、子ブタを連れて必死に生きている姿を見て「けなげだ。かわいいな。」と言っていたことを。
がんばって生きるんだよ。と内心応援していたにちがいないのです。
ところが日が経つにつれ、残された農地や建物を荒らして回る姿を見て脅威を感じたこと、その後、ブタを殺すことを「決心」したことを私は知っている。そう確信しています。
私は想像します。おそらく、この駆除に関わった大人の多くが心の底からブタに対して「ゆるしてほしい」と祈ったはずです。そして、その人たちは子供のころ「土地は人間だけのものではない」と信じていたに違いありません。それが田舎の人のこころのあたりまえなのです。
大人のわたしは、ブタを殺すのがいけないとは思いません。そうではなく、決心がないのはいけない、と思います。
決心がない大人は自分が一時的に、たまたま担当になっただけの与えられた仕事にたいして「経済発展のため」とか「組織の目標達成のため」といいながら「本当はもっと自分ごととして考えなければならなかったこと」をいとも簡単に処理してしまう。
その結果原発があっちこっちにできたり、放射能廃棄物処理場が必要になったりする。
だいたいとりかえしのつかない方向に舵を切るのは「仕事だからやった」といってのけられる決心のたりない薄っぺらな大人です。
おそらくレイチェル・カーソンの名前もしらない無教養な成績優秀者。
そんな軽薄な人間に子供がならないように願うわたしは、ブタがかわいそうだという子供の意見に賛成するのです。