私もそう思います。
もし赤ちゃんに厳しいというのが本当ならこうなるはずです。
さすがに私の子供をこういう目に遭わせた事はありませんなあww
じゃあなぜにこんな状態になるのかというと、私は東京の人口密度とかとは異なる理由を想像しています。
その理由は、子育てが「親になった人にしか得られないスキルの固まりでそれは自分とは関係ないこと」だと思われているからじゃないかしら。
赤子の親に厳しい目を向けるという現象と、公共の場で人に迷惑をかける子供に無視をキメる。というのは私は同じだと考えていて、前者は例えば赤子が電車内で泣いていて気になるが、そもそもあやしかたを知らないし、勝手に子に接触した日には親に何を言われるかわかったものではない。という心配が、親に責任を問う発端になってないかしら。イタズラっ子を静観するのも叱りかたを知らないし、普段その方法を知りたいとも思っていないだけだと思います(※そもそも気に入らないことがあればその場で対親であっても直接コミュニケーションとればいいのになんかへんに世論風に仕立てるのもなんだかなあではありますが)
ところでよく日本と比較してアジア諸国は子供に優しいと言われます。私の勤め先の本社は中国でアジアど真ん中でして中国人社員はかなり子供に優しいです。会社のイベントに子供連れて行くのはウェルカムですし、中国人上司は社員の子供の名前をだいたい覚えていて、行事では交互に膝の上に乗せて酒飲んでますし、若く子供のいない男性社員でも面倒見がすごくよいです。出張に子供をしれっと連れて行っても誰かしら子供の面倒をみてくれたり、ありがたいことに、とにかく子供をほっておかない。
タイとかマレーシアでもそうですが、アジア諸国(中近東はわかりません..)では多分「大人になる」ということは、自分よりも小さい存在に対して「お父さん的な」「お母さん的な」人間になって、ちゃんと面倒が見られるようになること。と、普通に考えているんじゃないかな?それが美徳というか、目指すべき理想像みたいにとらえてる人がけっこういるような気がします(そのせいで身内びいきがけっこう激しかったり、「父さんの言う通りにしていればええんや」的な価値観の押しつけを外交上やっちゃったりといったアジアならではのツラいところもあるっちゃありますが...)。
そのせいで子育てのスキルを磨くチャンスがあれば他人の子供であろうといつでも実践したいという人が、アジア諸国には多いんじゃないでしょうか。
私も「みんなのおかあさん」みたいな立ち振る舞いができるようになることにはあこがれを感じるので、電車で泣いている赤子に遭遇したら空気を読まずにあやしていきたいと思います。