2013/11/15

釣り記事に重要なのはプレーヤーじゃなくなったときの非リアルさ

Chikirinの日記:大企業のほうが成長できるとか完全にウソ
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131113

という記事が話題だったのでなんとなく読みました。
ここで論じられている内容の是非については、このトピックに特に興味がないので考えていないのですが、書き表しかたについて興味を持ちました。
と、いうのもそれが、数ヶ月前に注目された

週刊現代Online:曽野綾子「私の違和感」 何でも会社のせいにする甘ったれた女子社員たち
http://kodansha.cplaza.ne.jp/wgendai/article/130819/top_02_01.html

に似たところがあったからです。
それは

1.記事の筆者は記事のテーマに関わる「今」については当事者的な情報をもってないように読める
2.どちらも自分自身の過去の経験を引き合いに出しているが過去すぎて例として機能していない

の2つです。
ただ、物議をかもすのが目的だったわけではないとおもいます。結果的にかもしてしまったんじゃないかしら。

で、この2つが揃うと1つの想像がかもされてきます。

・筆者は記事で取り上げた内容に関心がある人を自分の考えに迎合させることが目的であって、記事の主題についてリアルに悩んでいる人の手本になろうとしているわけではないのかも

で、上記の想像はありきたりの風景ではないでしょうか。いろいろパターンがあるのですが、これらはまさに「俺が海外赴任してた頃はよ..」で始まる昔すぎて参考になんない中年オヤジの思いでトーク。とか。

本当に社会の中で(ビジネススキルを?)成長させる方法について自分ごととして考えている若い人は、例のブログに必要な情報がないことくらいすぐに分かるとおもいます。
また、子育てと仕事の両立にマジで悩んでいる女性がくだんの記事を読んだとしても、問題解決のヒントが無いな。とそっとウィンドウを閉じたはずです。

問題を抱える当事者にとって有益な情報は、やはり同じことに今悩み、解決をひねり出そうともがいている実践者(プレーヤー)のリアルな体験だけでしょう。
とはいえ、プレーヤーでない立ち位置からお話だけで影響力を行使するという仕事もあるので、そういう意味ではすばらしいスキルだなあ。
ともおもいました。