の中でエロサスペンス史上最強最悪の悪魔女優が出ていると評されていたのが「le'ennui 倦怠」。しかも荒木先生によると「ちょっとかわいいブス」とのこと。その容姿が気になって気になって読み終わってから速攻観ました。
確かにブスでした。ただし当然その佇まいは表現上の必然によるものでした。
倦怠は知的労働(大学で哲学を教えている)に従事する中年の男が17歳のぽっちゃりしたブスとのセックスに溺れる顛末をうまく描いた映画です。フランス映画らしく欲望の客観視が酷でした。もう突っ込むだけのセックスのあと、余韻もなくパッと体を離して帰り支度をし、ドアに向かって歩く女に後ろからさらに突っ込む。それは大食い大会でカレーを食らうギャル曽根を見るかのような、「食事って、なんだろう...」という本質からの離れっぷり。しかもブス。けどボイン。とにかくやりたい。お金をあげるから。いかないで。もういちどだけ。と、追いすがる男。これは荒木先生も恐怖におののくのわかる。「いっぺんやっただけでアウト」という覚せい剤級の効力を持つ女がいました。とう設定なのですから。
この物語は「若い女とセックス中に死んだ男」に興味を持った主人公がたまたま相手の女に会って、興味本位で自分も関係を持ったが最後えらいことになる。という筋なのですが、明らか薬物中毒の筋に同じなのでした。
セックスシーンが殺伐としていてこの映画のパッケージが醸す「エロいかんじ」への期待が砕かれるのが万人受けしないところではありますが、こういう女はアカン。という教えがあると同時に、アカン女への興味も十分かき立てられるんじゃないかという作品でした。
荒木先生は自分をよく理解している人間らしく「怖い!やだ!」とおおいに拒絶していましたが、うっかりすると人生の手の届くところにああいう女はいるでしょう。
わたしが関心したシーンは主人公がバスルームで鏡を見ている脇で女がパッとパンツを下げてジョロロロローッと小便をし、脇にかかっているバスタオルのはしっこをひょいっとつまんで股にはさみ2、3回往復させてもとあったところにかけなおすところです。
もうカメラは寄りもしない。こいつこういう奴なんだよね..的な。ファッションもいいかんじで、カボチャみたいな白いバンツはいてて安っぽいけど体の線がよく見えるワンピースで、主人公が「なんだそのシミ?」と指摘したら「あー服きたまんまセックスしたからー(別の男と)」とあっけらかんと答える始末。そのうえ男はおろか家族さえ愛さない空虚な精神だけどボインだという。怖いです。こういう女をみかけたらすぐ逃げた方がいいです。
で、面白いのは主人公の別居中の妻である知性的で美しい女性が、終始彼の愚痴を聞く役になっているところ。彼女に夢中なんだ!とか、彼女は俺を愛してないらしくてつらいんだ!とかいちいち聴かされても「あらまあそうなの...」なんていって聴いてあげてる。そういう嫁さんから逃げたくなる理由があったのもわかる気がするが、逃げるような奴だからこそアカンとこに堕ちるのもわかるようにできてる映画でした。
ちなみに美しい妻の役はアリエル・ドンバールという南米生まれ、アメリカ育ちのベテラン女優。アリエルの夫は政治にも発言権のある哲学者のベルナール=アンリ・レヴィ。映画のオープニングやエンディングには軽快なラテンミュージックがあしらわれてて、なんかアリエルに捧げてる感じがしないでもなかったです。
アリエル大好きですけどね。倦怠の時はもう50くらいだったと思うけどほんと美しかった。でも、アリエルみたいなつわもんの女から逃げない男はセクシーでふてぶてしく暑苦しいBHLのようなオッサンだけ...とおもえば若い女の体に逃げる人生もまあそれはそれでええんちゃいますかともおもいますた。