Facebookをやめてしばらくたった感想です。
・友人がなにをしているかわからなくなった
あたりまえですが、誰が何をしているのか普通にわからなくなりました。
友人の近況がわからなくなったことの影響として、本当に、新しく、これぞとおもうトピックについて語り合う用意がなければ、友達と会っても、話が、続かないかもしれない。というおそれを感じ始めた。ということがあります。
これまでは、ひっさびさに会った知り合いとでも「こないだこんなことがあったでしょう」というFacebook上の軽い世間話だけで時間を消化することはできました。しかし、いまはそれがありませんから、極端な話、「TPP交渉、残るは医療関連だね…」とか「能と狂言の表現上の決定的な違いってどこなんだろうね…」みたいに、多くの人が関心を寄せているはずの話題か、逆に超ニッチだけど自分が日頃気にしていることを持ち出しながらも相手にうっとおしいと思われない落としどころを探る必要が出てくるわけです。
それは少し面倒くさいような気もしつつ、汎用的なコミュニケーション技術の鍛錬になるような気もするから頑張ろうか…という気分にも、今は、なっています。
・ブログ記事系でバズるネガティブな記事を見かけなくなった
退社後の恨み節とか、あなたが○○できない○個の理由とか、○○という国は○○だとか、ネガティブな方向に振れた記事を見かける機会がすごく減りました。
あまり建設的でない論調の記事も少なくないので、バズ記事を見ないのは話題は減るものの知識が減ることもなく、そんなに困らない。むしろ極端に他人の揚げ足を取るような記事を見ないのはせいせいするわい。くらい思っていました。
ところが、これについては意外な不都合がありました。
バズ記事に触れなくなってから、むしろ仕事中とか普段の生活で「イラッ」とくる機会が増えた気がするんですよ。
で、いろいろ考えてみたんですが、そのイライラは実はバズ記事に触れなくなったからではないか。と思い至りました。
理由はこうです。
よくできたひどいバズ記事は、だいたいひどいコメントを呼び寄せます。そのひどいコメントを見て私は
「ああ、こういう暴言を吐くような人間にはなりたくないなあ」
とか
「たいしたファクトも把握せずに思い込みだけであれこれ放言しちゃって注意力のない人だなあ。自分も気をつけないとなあ」とか思っていました。
ここまでは「ワナビーいい人」な自分おつ。です。
ところがです。日々「気をつけないとなあ」と思うことにより、強制的に「自分は自分が理想とする人間でありたい」という「定期的な自戒」が実はできていて、その結果「ちょっとしたことではイラつかない素敵な自分」にちゃんと調整できていたようなのです。
わたしにとってバズ記事およびコメントは、「腰痛サポートコルセッと」みたいなものだったんですね…。いやー。これには思わずアカウントを復活させようかと思い悩んでしまいました。
ううううーん。自分、うつわちっさいですね。
・夫の交友関係がわからなくなった
夫と共通の友人がSNSで多かったので、割と「ああ。今日はこの人と一緒なのね」といったことがわかることがよくありましたのがわからなくなりました。
あと、○○さんと友達になりました。的な通知が見えることもあり、新しい知り合いが増えたりしていることも見えていましたが全然わからなくなりました。
浮気がSNSでバレるということもききますから、夫婦ならお互いのSNS上の交友関係が気になる。ということもあるとおもいます。わたしもかつては「あら。おっとめ、かわいい子にイイネされてやがる」とか思ったりもしましたね。でも、なんとなくお互い何やってるのかわかんないくらいが、わたしにはちょうどよいです。なんせうつわちっさいですから…
と、いうわけで、SNSを自分なりに楽しむには自分のうつわたらず。ということがわかりましたので、もうちょっとSNS離れしてみます。