鑑賞後、周囲の人の評価に聞き耳を立てたのですが、いくつかのカップルが「あのギター引いてるBGM担当みたいなのがよかったよねー」と言っている気持ちもわかります。
つまり、主人公とか主役クラスに肩入れした意見を言おうものなら、速攻で「気が狂ってる」と思われかねない。付き合いの浅い者同士や、本心を交換しあえない間柄ではそんな心配をするのも仕方がない。
と、いった映画ですね(だがぶっちゃけ相手に媚び合う連中をぶん殴りたくなるような映画でもある)。
映画の筋はあちこちに書いてありますから詳しくは言いませんが、簡単に説明すると、ハーレムを作り資源を牛耳る世紀末覇者が囲っている「産む機械(女性)」がマッチョな女の手を借りて砦から脱走する。という話です。
ちょっと話がそれますが、出産って無痛じゃない限り「子供助けるか自分助けるか」と、一瞬迷うくらい壮絶に痛いです。
痛みで絶望する。もう死んだほうが楽だとおもうが自分が死んだら子供も死ぬので死ぬわけにはいかない。だからもうちょっと頑張ろう。とか余裕で考えます。
無痛であっても産んだ後も破れた下半身とか乳腺を駆け巡る熱湯のような母乳で常に痛みと付き合う生活になります。
それは自然なことですね。で、出産経験がある人って(わたしも2回あります)だれでも出産直後はこの親の男性(夫とか)を憎む瞬間があると思います。
貴様に車ではねられた。ロードローラーだ。というくらいの「被った」感。
基本母性あるから激痛のなかでも子は可愛いのですが、夫に対してはそうはいきません。
なお、その憎しみは子育てという共同作業で昇華させられるものです。子育ての最初の数ヶ月というのは、男親への憎さを払う一種の儀式期間だと言っても過言でない。
もし昇華に失敗したら取る態度は2パターンで、
・憎み続けて離婚
・生活基盤を夫に依存している現実に屈服
の、いずれかに落ち着く。しかし、それでもやり場のない怒りはずっと心に残る。
で、デスロードに戻りますが「産む」ことにまつわる女のやり場のない憎しみ、恨みをなんとなくこの映画の監督は「女性」の芯の部分に見つけていて、そこを物語の設計の足場にしたんじゃないかなあ、と感じました。
でも、だからといって男と女は離れ離れになってはいけない。
だって男の子は固まって暮らすと「ヒャッハー英雄になるのは俺だー」とか「門をくぐるんだー。俺を見ろー」とか叫びながらどんどこ太鼓たたいて無意味な戦いに明け暮れようとするんですから。
女は、男の子に優しくしなくちゃいけないんですよ。
多分それが世界平和への第一歩。imagine there is no heavenです。
大騒ぎしてる馬鹿な男の子に手を差し伸べなきゃ。世界が狂っちゃいますよ。
でも、そうする前に一度でも、大声で正直な気持ちをさらけて、おもいっきり逃げるもよし、無鉄砲な希望を持つもよし。
で、たくさん泣いたら立ち上がって、家のあるほうを目指す。
なんだか、この映画を観たらそういう気分になりました。
私は月に一度酒を飲みながら暗いリビングで「シャイニング」を鑑賞する。という癖があるのですが、デスロードも定期的に観ることにします。
しかし女戦士役のシャーリーズ・セロンには2003年の「モンスター」以来泣かされました。モンスターでの女に生まれてしまったことのどうしようもない怒りの表現は怖くて悲しかった。
「モンスター」は愛した女性のために女性が男をしゃぶって連続強盗殺人するものの、女性ならではの「あたしは知らないわ!頼んでないわ!」によって精神的に地獄に落とされる女の顛末。というアメリカ映画に珍しい救いのない実話を元にした物語です。
そのモンスターのエンディングテーマはジャーニーのスモールタウンガールでして...そのせいでもかなり泣けた。
これがデスロード。私にはもはや乙女映画です。