塩野七生のエッセイ集「男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章」の中に、「嫉妬」と「羨望」の違いをシェイクスピアの「オセロ」を題材に説明している章がありました。うまいこと整理されていて素晴らしかったのでその視点を借りて嫉妬心について考えたら克服法を得るに至ったので説明します。
オセロの筋をひとことで要約すると「妻を失う恐怖に狂ったオセロと、オセロの地位を羨むイアーゴの自滅物語」です。
つまりオセロは嫉妬心で、イアーゴは羨望で潰れるわけです。
ここで塩野さんの視点を借りて嫉妬と羨望の違いを整理すると
・嫉妬は「持っているものを失う恐怖」
・羨望は「持っていないものにたいする欲望」
となります。なるほど両者は性質が違う。
たいていこの2つは合わせ技で関わってきます。たとえば
「恋人に、経験が豊富で容姿もよく、かつ優秀な異性の友人がいることを知ったときの漠然とした不安」のような状況を考えてみましょう。その不安には
・恋人の関心がその人に移るかもしれない(嫉妬)
・その人は自分より優秀かもしれない(羨望)
という2つの感情が含まれます。つまり嫉妬と羨望とはSとN極のごとく影響しあってドライブするわけです。
この場合嫉妬は他者を傷つけるための具体的な行動と地続きで、羨望はなんらかの策略を凝らさすモチベーションになりやすいです(ストーカー殺人とかはその状況が極まったかんじです...)。
嫉妬と羨望から開放されるためあえて「人に関わらない」という道を選ぼうとする向きもありますが、よい人間関係からしか幸福が得られないことも証明済みらしいので、それもまた不幸なことです。
私は是非「人と関わりながらも嫉妬しない、羨望しない」ことを目指したい。
そこで私は考え、結論に至りました。
どちらも「感情」から起こってくることなので、これを「理屈」で解釈し、克服するのは無理。
というわけで、私は心理面を分析することをあきらめ、嫉妬や羨望が身体に及ぼす影響について観察することにしました。
実験として嫉妬心が生まれるシチュエーションに自分を置いてみると次のことがわかりました。
嫉妬からはまず胸がドキドキして、心臓に血が集まるような感覚が味わえました。そのあと動悸が胸からヘソのあたりに落ちるような感覚がありました。
羨望では頭の両脇が締め付けられるようなかんじがあり、そのあと頭の血が下のほうにぐーっと落ちていくように思いました。ただ、どちらの感覚もへそから下には行かず、へそのあたりに溜まる感覚がありました。
ほうほう。へそ、やばい。へそ、狙われてる。
そう自覚したとき閃いたのが「ヒクソン・グレイシー」です。
いや、ヒクソン好きならだれでも知ってるとおもいますが、ヒクソンは精神を「呼吸法」で操ることに長けていることは有名ですね。いわゆる「火の呼吸」というヨガの一種ですが、これは息を鼻から全部吐き切ったあと、さらに肛門と性器を引っ張り上げる感覚でもっと吐く。という書けば簡単だけどそう簡単でない方法で呼吸をコントロールするというアレです。
アレ、実は、嫉妬と羨望という2つのクリティカルなネガティブ要素を排除できる唯一の手段なんじゃないのか?と、私はヘソつながりで仮定したのです。
いや、たいした深く考えてないんですけど、あの嫉妬のときの「ぐーっと血と一緒に下がってくる何か」をやり過ごすには、普通にヘソからその作用を外に出せばいいんじゃないの?(やれるもんなら)。と、思った次第です。
実践あるのみ!と、いうわけで今日からなんとかヒクソンの呼吸法に精通し、私も今日から400戦無敗伝説を築こうと心に決めました!
免疫力もあがるらしいよ!でも、難しくて全然できねえ!
しかしよく考えたらこれって美木良介式、必ずやせる 「ロングブレス」ダイエットじゃないのかw?
どっちにしてもいろいろ健康によさそうだからヒクソンを見習って嫉妬と羨望にまみれた人生からの脱却に挑戦してみます。
パパウパウパウ。
3:10あたりから出てきます。ちょっと見たかんじ、無理っぽいです!