ノアの三沢光晴、大阪プロレスのテッド・タナベとリングの雄があいついでこの世を去った。
「プロレスってリアルファイトじゃないんでしょ?」という認識の人だとピンとこないかもしれないがプロレスファンの私にとってプロレス以上のリアルファイトはこの世に無い。たとえば試合時間。ベルトがかかっているマッチなら40分ノーブレイクで戦い続けるなんてザラである。タッグマッチなら1時間はかかる場合も珍しくない。ボクシングのようにラウンド制でもなく、フォールするまで動きっぱなしなのだ。
ところでプロレスの世界では年を重ねるごとに強くなるというスポーツの常識を覆す傾向がある。この傾向はプロレスが「技をかける」「技をかけられる」「技をみせる」という3つの要素が三位一体となって完成するスポーツであることに起因する。
若い選手の場合、技をかけるので精一杯なのはよくあることで、体ができてくると技の受けも美しくなり、さらに場数を踏むことで熟練した「かけつ、かけられ」の呼吸を会得、堂に入った「技」をみせることが可能になるのである。
こう書いてしまうとなにか様式美に縛られた型の追求がすべてのように聞こえるかもしれないが、プロレスは踊りではない。呼吸のズレは頸椎損傷、鼓膜の破裂、頭蓋の骨折、など、など、人体を破壊するありとあらゆる可能性につながっている。この最悪の事態を経験と「相手に対する信頼(技を受けてくれる、と信じること)」という心を鍛錬することでしか得られないスキルで切り抜ける。これがプロレスラーとして生きるために必要なスキルだ。ちなみにテッド・タナベはレフェリーだが、リングに上がる以上求められるスキルはレスラーとほぼ同じである。
もう1つ、重要なスキルが別にある。それは「リングに上がる狂気を持ち続けること」だ。一般的なリングの高さは1メートル。コーナーの鉄柱の頂点から床までの高さは2.3メートル。身長190cmの男が鉄柱から見下ろす風景は単純計算して地上4メートル。一度リングに上がればそこからリングの中であろうと外であろうとボディプレスを決める覚悟を持たなければならない。むしろ覚悟を持てる人しか上がれないのがリングであり、そういう人こそがプロレスラーとして生き続ける人だ。
私はそういう高みに居るプロレスラーに憧れ、尊敬し、勇気や生きる糧をもらっている。
そんな私のヒーロたちーをすべってころんでうっかり死んだみたいに「事故死した」とか書かんでくれ。彼らは「死んだ」んじゃなくて「生き切った」んだから。