2002年にチベットへ行きました。成都から飛行機で入りました。当時タイに住んでいたのでタイ国内の旅行代理店に手配をお願いし、成都では中国人の男性ガイドを、ラサではチベット族の男性ガイドとカム族の運転手を付けてもらいました。
ラサ・ゴンカル空港からツェタンに行きます。道中は瓦礫むき出しの裸の山々が続きました。どうしてこんなところで人が暮らすようになったのか、不思議に思いました。草も部分的にしか生えておらず、標高が高いせいか空の青さはほとんど藍色です。到着後1時間ほどで肩が上下するくらい息苦しくなりました。
その後ゲルク派の開祖ツォンカパゆかりのゴンパをまわるなどして、ラサに向かいます。砂礫、瓦礫。砂埃。ところどころの岩肌にお釈迦様の絵が書いてある。人間の気配が感じられほっとしました。
ラサでは博物館に連れて行ってもらいました。「チベットは昔から中国でした」という主旨の説明が書いてありました。ガイドさんは「嘘ばっかりですから」と困った顔をしていました。
ポタラ宮、ジョカン寺、セラ寺、どれも素晴らしかったです。
行く先々で携帯電話を持っている人がいます。外見的には漢民族風に思えます。チベット族はお参りのために田舎から出てくる人もいるのでしょう。女性は特に伝統的な服装の人が多かったように記憶します。チベット族の男性は数珠を常に腕に巻いていて、手持ちぶさたのときやお参りのときは珠を1つ1つ指先で数えるようにたぐっていました。
途中主人が軽い高山病になったのでラサの病院で酸素を吸いに行きました。受付のお姉ちゃんは3つまたにわかれて、先っぽにボンボンのあるピエロのような黒い帽子をかぶっていました。白衣に合わないのでよく覚えています。ツメにも黒いマニキュアを塗っていて、コスプレしている不思議ちゃんというか、原宿で歩いていてもおかしくない雰囲気でした。
ラサ郊外を散歩していると、伝統的な服装の薄汚れたおじいさんが近寄ってきて「うちでお茶を飲んでいけ」と言いました。羊をつれています。遠慮無く付いていきました。大きな牛が一頭外に囲ってあり、周囲を黒い中型犬がほえながら走り回っていました。家は木造の平屋で窓があるのに真っ暗です。チベット絨毯を敷いたベンチを4畳半くらいの部屋を囲むように置いています。みんなで座ると膝がふれあいそうです。おかっぱ頭の4歳くらいの女の子がいました。知的障害があるようで、どこを見ているのか分からないような雰囲気ですがとても人なつっこく、笑顔です。アヒルを抱いて見せてくれました。こんな小さな子供がいるのだから、もしかするとおじいさんは老け込んで見えるだけで、本当は40歳くらいなのかもしれません。
甘いおせんべいのようなお菓子を出して、バター茶を淹れてくれました。カレンダーから切り取ったのでしょう。カベにカイラスの写真を印刷した紙が貼ってあります。「時計を見せて。」というので、腕時計をよく見えるように前に出すと、「へえ、こんなのがあるんだね。」と言って笑いました。「いつか、カイラスに行きたいなあ。」と言って、笑いました。「たくさんお茶を飲んでね。よく来たね。」と言いました。
散歩中、遠くで鳥葬をしているのが見えました。ガイドさんに「チベット族ならああいうふうに弔われたいものですか?」ときくと、「いやですよ〜。鳥につつかれるのなんて。」と笑います。
ポタラ宮の前を通りかかると、宮殿前の広場に「西蔵平和解放50周年」の記念碑が見えました。ガイドさんは「ぼくはミスターチルドレンの歌が大好きなんですよ。歌い手の人はきっと、前世が良かったんだな。」と言いました。