2016/06/12

The Revenant イニャリトゥ、シャガール

「The Revenant(邦題:レヴェナント 蘇りし者」はディカプリオがはじめてアカデミー主演男優賞を獲得した作品ということで話題になりました。


西部開拓時代に毛皮貿易商人に雇われた伝説のハンター、ヒュー・グラスの実話を元に作った話だそうで、熊に襲われ大怪我を追いながら300キロ歩いて生還。という伝説の骨子は過去何度も物語化されています。
本作はその筋に、ネイティブアメリカンの妻を毛皮を巡る商人と部族の抗争のなかで失い、さらに息子も自身の旅の中で仲間のハンターに殺害されるというストーリーを加えた復讐劇です。
極寒の荒野のなか自然光を使った撮影をしたそうで、北海道の雪の中で育った私の目にも、真冬の太陽が傾いて、乾いた空気の中容赦なく気温が下がっていくのが見えるくらいの、肉体に直接うったえるような映像になっていました。

イニャリトゥ作品は「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」と本作の2作しか観たことがなくて、凝った撮影技法とか、主人公のおかれたシチュエーションには共通したところがあると思います。

淡々と生きているつもりでも、世界の秩序はどんどん変わっていく。古い秩序と新しい秩序の境目のところでどちらの秩序も超越する主人公。
たかが人間の作った、経年劣化する秩序からの超越。それがイニャリトゥのテーマかどうかは知らないですが、私にはそういうふうに見えます。

バードマンの主人公リーガンは「ハリウッドのいわゆるブロックバスター作品」という(大きい物語)に君臨する「セレブ俳優」中心の秩序が「ソーシャルメディア」という(寄せ集めの物語)を構成する「普通の人たち」に食い荒らされる。という状況に翻弄されます。

レヴェナントの主人公グラスは、自然の秩序に従って暮らす人間(ネイティブアメリカン)が、資本の秩序に従属して暮らす人間(ヨーロッパ系移民)に食い荒らされるという時代に、もみくちゃにされます。生きる意味だと思っていた家族も虫けらのように殺されて、仲間もどんどん死んでいきます。

映画のなかでなく現実であってもこの先はまた、国ごとの資本が作った秩序が壊れていって、より大きくて特定の国に立脚しない組織が新しい秩序を作るような可能性がでてきていますから、ずっとこうした変化は続くんでしょう。

When there is a storm. And you stand in front of a tree. If you look at its branches, you swear it will fall. But if you watch the trunk, you will see its stability.

嵐のとき、木の前に立て。あなたがその枝を見ると、この木は倒れると確信する。しかしその幹を見たとき、不動の安定性に気づくだろう。

この言葉は、レヴェナントの中で死んだ妻のセリフです。すごく象徴的なセリフで、作中何度か出てきます。これは私には「秩序が変わるということが人間の生きる意味を変えることはない。」と、聞こえる。
超越的に誇り高いイニャリトゥ作品の主人公、リーガンやグラスは、翻弄されてもがき苦しみ最後は生死さえ判然としません。それでも命を最後の一滴までどんな秩序、システムに振り回されることなく暴れまわっている。それがすごく綺麗だなあ。と思います。
人工知能に仕事を奪われるんじゃないかとか、国の経済力が下がって貧富の差が開き続け、天国と地獄のように生活環境が分かれるんじゃないかとか、そういう秩序の潮目において損しないためにはどうすればいいのかとか、そんなことは本当にどうでもいい。
人間の生きる意味はパートナーや友人、子供といった縁ある人間を守り、自分の信じる価値を守って少しでも明日をよくしようとあがくことだろう。
それ以外はどうでもいいや。と気持ちが軽くなりました。他のイニャリトゥ作品も観てみたいな。

謎がひとつあって、本作のいたるところですごくマーク・シャガールの絵画を意識したシーンが出てきていました。イニャリトゥ監督はメキシコ人でシャガールとはあまり近くなさげですけど、きっと構図やモチーフにすごくインスピレーションを受けたのでしょう。とくに死んだ妻を思い出すシーン(地面と平行に浮いてる妻が出てくる)なんかはシャガールでみたことある。馬の目が大写しになる構図はど真ん中で間違いなくシャガール。シャガールの作品に「亡霊(レヴェナント)」というのがあったように記憶していますが、その作品とストーリーとの関連づけがあるかな。シャガールもメキシコで描いていた時期があるし、アメリカに亡命してから奥さんを無くしたあたりグラスと共通点があります。
でも、調べてみてもわからなかった。イニャリトゥのインタビューとかで言及しているのかもしれないけど。






2016/06/01

The Choice - 結婚相手を選択する方法をやたら丁寧に指南する映画

先日飛行機で、普段観ないであろうジャンルの映画を観てやろうと思い、テッカテカのデートムービー「The Choice(邦題:君がくれた物語)」を観ました。
筋的には「最初はいがみ合っていた主人公の男とヒロインの二人が、ふとしたことがキッカケで急接近。いろいろな困難を乗り越えて結婚」という恋愛ストーリーの王道になっています。

しかしこの映画、すごいハウツーものとして機能することを意識して作られていると私はにらみました。
勝手にその映画から抽出したハウツーを紹介します

夫として良い男性の条件

その1:BBQに強い
劇中すごい頻繁かつ象徴的にBBQのシーンが出てきます。
主人公の男がやたらとBBQ奉行をするのです。北米では確かに「良い夫=BBQマスター」という一般常識みたいなのはあるとおもいます。肉の世話はお父さんの仕事的な。そうしたコモンセンスにのっとっただけの表現かもしれないですが、肉を(その人の好きなもの)と定義して、BBQを(好きなものを自分に一番マッチする状態に作りこむ行為)と定義すると、けっこう(男性の質を図る尺度)になりえると思いました。
考えてみれば、私の周りにいる男性で、自分自身の好きな肉の部位とか質を把握していて、しかも炭まで起こしながらそれをいい感じに自分で勝手に焼くスキルのある人は、良い父であり良い夫であるケースがほとんどです。
国の文化によらず、自分で自分をエンターテインできる男性は結婚に向いてるんじゃないでしょうか。BBQはその資質をチェックできるナイスなツールだったのです。
少なくとも、キャンプ行って寝っ転がりながら女性がせこせこ身の回りの世話するのを横目で見つつ「◯◯ちゃんは良いお嫁さんになるよー」とか言っている人よりは間違いないです。

その2:片付けられる
主人公の男はやたら皿を洗います。
まだ結婚する前、男の家の庭でBBQをしたあとヒロインが「片付けを手伝うわ」と言うのをさらっと「自分の家なんだから、自分で片付けるよ」と断るシーンをわざわざ入れてます。
はい、ここ重要テストに出るよ...。
男性にとって「自分で自分の面倒がみられるか」というのは「結婚」という生活形態においてかなり重要です。なんにもできない男性の面倒見て楽しいのは付き合って3ヶ月までです。それでは生活が立ち行きません。新入社員だって3ヶ月で自立するようしつけようとするのが社会です。ナチュラルに、皿洗う男を選びなさいよ。という指南なのです。

その3:仕事熱心
主人公は結婚後、妻となったヒロインとデートの約束を取り付けながら仕事に集中してしまい2度すっぽかします。それ自体物語のなかでは「よくないこと」を引き起こすトリガーになるんですが、最終的な主人公の「生真面目さ」「頼りがいのあるところ」といったキャラクターの肉付けにとって「仕事熱心」は良いように働いています。むしろ「よくないことが発生」したあとそれを乗り越えてハッピーエンドに到達する流れに「仕事熱心」属性は不可欠なんで、話のなかでわざわざ2回すっぽかさせたのはそれを肯定するためだったんだろうと思います。

まとめ
上記3点を踏まえてまとめますと、夫として良い男性は
「自分のことは自分でできる、仕事熱心なBBQ奉行」
となりますね。

次は映画で描かれた「妻として良い女性の条件」について勝手に拾います。

妻として良い女の条件

その1:惚れっぽい
彼氏がいたにもかかわらず、ほとんどひと目で隣の男(主人公)に惚れている。ということがよく表現されていました。
まずファーストコンタクトでプンプン怒る。惚れ表現のわかりやすさはどうあれ、この映画は「感情が動いたときにやたら素直」という(良い女像)をうまーく描いてます(女性では、惚れた男に対していきなり怒り出す人もいるのです)。その後、遠巻きに彼のことを見つめるのがやめられない。的なシーンが入ったりして。
結婚うんぬん以前に多くの場合、男性が女性に対して率先して好きだの惚れたの言うのは生態的に無理がある(やりたい、やらせてとはまったく別の話で、子育てなどの経験上男性は自分自身の感情を女性ほど把握できない生物と思われますので、多くの場合女性が先に意思表示する必要があります)と思うので、ものごとを前にすすめるためには女性のほうから感情を露わにしたほうがいい。という教育的指導を感じました。

その2:パンツは白
とうとうヒロインの自宅でディナー。流れ的にまあこれで良い感じになるんだろうなー。食事の後片付け。キッチンで片付けをしている彼女を見つめながら料理の腕を褒める男。なんとなく距離が縮むぜ!それ以上近寄らないで!私があなたを好きなことがばれてしまう!男(∩´∀`)∩ワーイ と、一気に肌を寄せあいうふふふなのですが、押し倒されたヒロインのへそのあたりにカメラがなぜかトゥーっと止まって、白いレースのパンティ(さほどセクシーでもないなんか単にかわいらしいやつ)がはっきり映るシーンがありました。
なるほどなー。パンツは白。これSEX AND THE CITYだったら間違いなく黒くて布の少ない謎のセクシーランジェリーになるとこです。
人間中身が勝負なんや。エロ下着で男釣るなんて男をバカにすることや。勝負パンツなんていう概念は捨てろ。普段どおり、平常心を大事にするんやで。という、監督の声が聞こえてくるような演出でした。

その3:モノで釣られない
本作品前半最大の見せ場であるプロポーズの瞬間!
彼女を大切にします結婚を許して下さい!!といきなり実家に押しかけて彼女の意思も確認せずに懇願する主人公。
イヤよ!となかなか素直にならないヒロイン。ニヨニヨする両親。
義母:あなた、婚約指輪は?
主人公:え?もってないです。
義母:はいこれ。私の母の思い出の品だけど。
主人公:おっ、ありがとうございます!(ヒロインにはめる)
ヒロイン:喜ぶ
これな...
一族全員モノで釣られない。
相手の給料いくらとかそんなことは結婚にはリアルにどうでもよい(資産は変動するものなので結婚するときたくさん持ってる必要はないのです)のにモノで釣られるあまり最適な「選択」ができない。ということはありそう。
この流れも非常に示唆を感じます。

まとめ
変に外見を飾って不特定多数に女性として評価されようとせず、相手を持ち物で評価しようともせず、自分の感情に正直にふるまって、好きな人には好きだという態度を取ればいい関係は作れるんじゃないの。と、けっこう普通だけど気づきにくいことをこの映画は伝えているようです。

結婚は単に生活のかたちであって、別にその型に拘る必要はありませんが、長い人生他人と良い関係を築くのは楽しいことです。とくに子供を育てるうえでは相手と対等な連携が必要なので、なかなか良い選択ができないわ。という女性は、素直な心で自分の面倒がみられる仕事熱心なBBQ奉行を探すと良いかもしれませんね。

なお、本作は恋愛小説のヒットメーカー、ニコラス・スパーク原作です。本作についてはヒットメーカーだけに「飽きた」とか「例のあれ」のようにかなり引いた目線で評価されているような。映画はプロデューサーとしてはオスカー受賞経験もあるロス・カッツの三作目の監督作品だそうで、監督がこれを任されたときの「どうしよう...普通にやってもコケそう」という危機感がなんとなーく画面から伝わってきました。
私には「なんとか良質のハウツー映画に仕立てて外さない作品にしよう」というロス・カッツの職人的プロデューサー魂が感じられましたよ。

日本では2016年の8月公開予定だそうです。