2014/03/19

女手1つで子供を育てる話題が含む間違い

報道されるたんびになんかへんだなあ。と思うので考えをのべます。

要訂正その1:未婚の子持ち女性は夜の仕事しか選べない境遇に陥りやすい

これ若い人が言葉通り受け取っちゃうと困るのではないでしょうか。この考えの根底には「夜の仕事は簡単で、誰でもやれるがゆえに切羽詰まった子持ちの女性にオススメ」という誤認識があるのでは?と思うのです。

確かに若さと外見が揃えば雇用のハードルは低い場合もあるでしょう。
しかしまともにキャリアとして考えた場合、夜の接客業ほど技能を求められる職場はありません。まず年齢とともに相応の知性も求められますし、料理の知識や雰囲気作りなどサービス業ではあたりまえのノウハウが無ければ働き続けることは難しいです。現に年を経ても夜に接客業を続ける友人はみな相当の知性と技能を持つプロです。当然勉強もしています。わたしなんかは子供が居るならそんなハードな仕事よりも普通にコツコツ勉強して薬剤師とか翻訳業とかを目指したほうが簡単じゃないかとすら思います。
とにかく夜の仕事は「しかたなし」に行くところじゃないぞ!周りはプロだらけだそ!と、大人は夜の仕事をナメないでほんとのところを教えてあげたほうがいいです。ケツさわらせて仕事になるのは25歳までです!(多分)

さらに、こうした誤解が手伝ってか夜の街では子持ちの若い女性がかなり多いです。一度だけ夜、繁華街の託児所に子供を2時間ほど預けたことがありますが、4畳くらいのスペースに12人くらいの子供が居ました。猫カフェの猫ちゃんのほうがまだマシです。需要があるので供給側もサービス改善の必要がないのでしょう。とにかくそういう劣悪な環境に進んで飛び込む(2時間だけ飛び込みましたけども)ことはないと思います。

要訂正その2:母子家庭は弱者だから守ってあげなきゃいけない

若い人がこれを受け手として言葉通り解釈して「母子家庭になったら守ってもらえるもんだ」と思うのはやめたほうがいいです。
なぜなら、いきなり「お前を守ってやる」と提案してくる強い立場の人間に、まともなやつはいないからです。そういう大人はだいたい弱い立場の人間に依存させて自立しにくい状態にし、最終的に「お前らを守ってやったんだから、お前らは黙って俺の言うことをきいて信頼とか票とかをくれてりゃいいんだ!」って要求してくるに決まっているのです。

それで票をあげたとしても依存関係を維持する必要が向こうにはありますから、絶対にこっちを自立させたり、他人を守れるほど強くさせてはくれません。せいぜい「保育施設に公的資金投入」という提案をちらつかせてくることもありますが、保育施設が自立して商売が成り立つようになるほどの知恵をかしてくれることもありません。

もし、いいお給料をもらっている男性と巡り会って「君を一生守っていくよ」と言われてもやっぱり同じことです。心の中では「一生依存させて俺のために尽くさせてやるぜ。フハハ」と思っているかもしれないし、そうじゃなくても子供を残してうっかり死んでしまうかもしれないし、死ななくても働けない体になってしまうかもしれません。そんなとき、ちゃんとその人のサポートができなければ不公平でしょう。

一番良いのは、女性でも仕事をもって、自立することをあたりまえだと考えて、勉強することです。
サルトルというかっこいい哲学者は言っています。

「君は自由だ。選びたまえ、つまり創りたまえ。」

今日の自分自身の行為は、自分自身の未来を作るもとになっている。そして自分自身の未来は、社会の未来を作るもとになっている。だから、今日の自分自身の行為が、社会を作ることと同じだと自覚しよう。自分がどういう社会に住みたいのかは、自分自身が自由に決めることができるんだよ。という意味だそうです。

そういわれると確かにそうだと私は思ってます。



夜の世界はプロの世界...。それをアツく、そしてわかりやすく表現した大人のマンガの金字塔ですよ...。

2014/03/17

いいじゃないか。パクリでも

こういうことを言うとすごく叩かれるのですが、受け手がわが創作物の「パクリ」ものを「パクリはだめよ」と反射的に批判する現象がどうしても馴染めません。
例えば、ある絵画の贋作があったとしてですよ。本物を鑑賞したことがない人が、その贋作見て感動とか、インパクトを、受けたとしますよ。

それでいいと思うんですよ。心を動かされることが芸術をはじめとした創作物の鑑賞の効能ですから。
後にそれが贋作だったと知ったって、だからどうした。と、自分の審美眼、感性を尊重すればいい話だと思うのです。

もちろんもうけの取り分の話として創作物にまつわるビジネスをやっている人間が、パクリを商売の邪魔者扱いして憤るのは当然だと思いますが、それは創作物の存在意義とはまた別の話です。
「だまされた」とかいって受け手側が怒っているのをみても、いいじゃないか..。そんときそれを有難いと思った自分をそんなに否定しなくていいさ..。とおもいますよ。
本物だから有り難がってみたたけです。ということなら同情するのですけども。

パクリうんぬんは酒の肴として語りやすいという側面もあるのは理解できますよ。最終的には著作権法違反という答え合せもできますし、ルールの話しなら私正解!あんた、間違いー。みたいな楽しみかたもできるでしょうから。
だけど、アタリもハズレも関係ない、感性についてが創作物にまつわる話題であんまり取りざたされないのって、つまらんなー。とおもうですよー。


ところでピカソ大先生の作品で私が苦手な1品。これはあかんわー。「こいつ泣いてるようにみえるけどホンマはそんなしおらしい女ちゃいまっせ」的なピカソ先生の嫌味すら感じるできばえです。青の時代の作品とかは好きなのあるんだけど、女性を題材にしたキュビズム時代の作品になぜだか悪意を感じてしまいます。
この頃の先生、女性に恨みがあるんじゃないかしら...。それを形にできるってのはそれですごいけど...。




2014/03/14

福島のブタがかわいそうだ

今朝のニュースが、福島の避難区域で勢力を増す野ブタ200頭あまりを駆除したという話題に触れていました。

それを見た子供が
「ブタがかわいそうだ。どうせ汚染されていて誰も住めない地域なんだから、ブタが家族で暮らして何が悪いんだ。それにブタが来るってことは作物もおいしくなっているってことなんだから、いいきざしかもしれない。それを、人間のすむところだからっていって、ころすなんて」と、怒りました。

わたしは
「お前の言うことは正しい。」と肯定しました。
「いつから日本の土地は人間だけのものに決まったんだ。動物も人間も、一緒に仲良く暮らすためにあるのが自然だ。それでいいんだ。」

汚れた場所でもブタはブタのちからで生きる。すばらしいことだ。

実は、私は別の番組を見て知っています。
福島の地元を守る大人たちが、ブタが市街地に進出してきたばかりのころ、子ブタを連れて必死に生きている姿を見て「けなげだ。かわいいな。」と言っていたことを。
がんばって生きるんだよ。と内心応援していたにちがいないのです。
ところが日が経つにつれ、残された農地や建物を荒らして回る姿を見て脅威を感じたこと、その後、ブタを殺すことを「決心」したことを私は知っている。そう確信しています。

私は想像します。おそらく、この駆除に関わった大人の多くが心の底からブタに対して「ゆるしてほしい」と祈ったはずです。そして、その人たちは子供のころ「土地は人間だけのものではない」と信じていたに違いありません。それが田舎の人のこころのあたりまえなのです。

大人のわたしは、ブタを殺すのがいけないとは思いません。そうではなく、決心がないのはいけない、と思います。

決心がない大人は自分が一時的に、たまたま担当になっただけの与えられた仕事にたいして「経済発展のため」とか「組織の目標達成のため」といいながら「本当はもっと自分ごととして考えなければならなかったこと」をいとも簡単に処理してしまう。

その結果原発があっちこっちにできたり、放射能廃棄物処理場が必要になったりする。

だいたいとりかえしのつかない方向に舵を切るのは「仕事だからやった」といってのけられる決心のたりない薄っぺらな大人です。
おそらくレイチェル・カーソンの名前もしらない無教養な成績優秀者。

そんな軽薄な人間に子供がならないように願うわたしは、ブタがかわいそうだという子供の意見に賛成するのです。