2013/05/27

講演する人は偉い人。という時代は終わりました。

CSS Nite LP, Disk 27「スマートフォン対応サイト制作(3)」 ご参加くださったみなさん、ありがとう&おつかれさまでした。
わたしは今回
・モバイルデザインパターンの取り入れかた
・スマホ制作サイトのディレクション術
の2枠で登壇しました。たびたび登壇しているCSS Niteですが、このCSS Nite、終わってからが本番です。
参加したことがあるかたは記憶にあると思いますが、CSS Niteでは必ずフォローアップメールとして主に
・講演内容の補足
・セッションに関連するURLを含めた付加情報
・アンケートや当時のTime Lineで出た質問に対する解答
をコンパクトにまとめて、およそ1週間以内に参加者のみなさんに向け、配信しています。
アンケートの集計結果と、PDF化した全てのアンケート用紙は翌日までに登壇者に届きますので、それを登壇者の、おそらく全員が数日以内に全て目を通します。アンケートは多いときで500ページ程度です。とはいえ、自分の担当したセッションの部分だけ目を通せば1時間もあれば十分チェックはできます。
で、なんできゅうにこんなことをお伝えするのかというと、この運営方式がまさしくモバイルコンテンツのデザインの方法論であるなあ。と、フォローアップを書きつつ感じたからです。

セッションのあいだじゅう、わたしは何回か「ユーザーの声を聞きつつ」と発言したとおもいます。それはまさに「レビュー」とか「アンケート」のたぐいにどれだけ細かく目を通すかということにほかなりません。それに対してどういうアクションをとるかというのは、目的により千差万別ですが、まずはインプットを増やすというのは基本です。

で、ここで間違ってはいけないのは、私がいわんとしているのは
「アンケートに目を通す登壇者偉いよね」ってことを言いたいのではないのです。
それはデザイナーというか、このモバイル時代の制作側としては基本中の基本で当たり前体操というか、普通です。
なんらかのイベントに登壇しておきながら、アンケートに目を通したこともないようなヤツ(デザイナーとか開発者)の言う事など拝聴するに値しないっす。
で、アンケート取らないイベント主催者もほっときましょう。

本題ですが、今の時代、何はさておき、重要なのは受け手側の意見である。ということです。
つまり、登壇者なんか偉くないです。そういう時代は終わりました。登壇者と来場者はまったくもって同列であり、チームなのですね。
ということは、どういうことかというと、

あなたはどういう受け手側であるのですか?

ということが、重要になってくるということです。
つまり、ユーザー中心型社会というのは、発言、発信するユーザーによってリファインされる社会ということであります。
登壇者ばかりが一方的に発信していたのではうまくいきません。

で、なにが言いたいのかというと、建設的な意見の提示スキルをみなが持つと、世の中はきっとすごいよくなるよね。とくにCSS Niteみたいな奇跡的にもデザイナーが中心のコミュニティならみんなもっと建設的な意見交換ができるはず!それが実現されたあかつきには、もっと面白くなっちゃいますよ・・・。しかもそんなおもしろイベントメソッドが素早く全国に波及する環境も整っているんですから、それはヤバいです。
そんなことを、今回のLP27 のセッション内容などをみて、やたらとわくわくしてきた次第です。

というわけで、そんな更なるバージョンアップをみんなで実現できるよう、これからも、これまで以上にアンケート、どしどし記入をおねがいします★


コバの横でうつろな目をした矢野。寝癖がついているのをこの写真で知りました。



2013/05/22

暗殺教室、殺せんせー、Google


ジャンプで連載中の暗殺教室面白いですね。
謎の生物である「殺せんせー(高校教諭)」を生徒が一生懸命暗殺しようと努力するお話なのですが、殺せんせーはマッハ20で空を飛んだり、特定の武器でないとダメージを与えられない身体能力を持つためなかなか殺せない。しかし生徒は本気で殺さないといけない。一年で殺さないと地球が滅びてしまうから。という抜け目ない設定です。

で、殺せんせーは教諭として一流です。
例えば素早く動けるという能力を活用して生徒ひとりひとりの能力に合った試験問題を作成したり、全力で一斉に殺しにくる生徒の相手をするばかりか「お手入れ」をする。
このくだりを読んだとき、なぜか「いまのサービスでだいじだと言われているユーザー中心型設計は結果的にこういう状況を実現するっちゅうことなんだな」と、ふにおちる気分になりました。漫画で。

なんで先生が全員を相手に出来るのかというと、それは速いから。短距離の移動では「砂で城を造りながら複数人の拳を受ける」くらい。先生は1,2,3の別の処理をランダムに処理しながらも個々の処理はそれぞれの生徒が持つ時間軸でちゃんと積み上げられてて「お手入れ」が成立している。結果生徒はわからない問題が解けるようになったり、爪がツヤツヤになったりしてる。 先生は分散処理しているにも関わらず。

無理ですよ。
それぞれのユーザーに対し、ユーザーが求めるサービスを、ユーザーが求めるかたちで提供するって理想ですが、無理じゃないかなーとおもうんですよ。
速度の限界というか、わたし専攻はアートなので数字弱いですが、感覚的にね、演算処理に必要なクロック数って、今のテクノロジーが時間っちゅう概念の上にできてる以上、上限があるわけですよ。で、「速さ」ってだいじですけど「光速」っていう天井があるうちは「超速くて見えない」ってことはあっても「速さゆえにnがそれぞれ持つ時間軸とかストーリーを個別にお手入れできるようになる」っちゅうのは無理があるよなー。と感じる訳ですよ。

じゃあ殺せんせーはどうしているのかしらーとなると、どう考えても彼は複数の「次元」を操ってる状態なわけですよ。

で、そっかユーザー中心サービスは複数の次元を操らないとダメか。とわけもわからず思ったもんなんですが、グーグルがNASAと共同で、量子コンピューターラボを開設したらしいですし、Googleなら殺せんせー作れるかもしれんですね。
応援してます!



この丸いヤツ殺せんせーに似てたけど引退しましたね。






2013/05/17

チームマネジメントと結婚、または女のアル中


最近チームメンバーとマネジメントに関するトピックを話し合うことがあります。
チーム運営は

・組織が設定した達成目標
・メンバーが設定した人生における達成目標

この2つのすごい関係なさげな目標をいかに「なんかかぶってるとこない?」ととらえられる環境をつくるか。それだいじ。とはいうものの、それを作るには方法論に頼ることができないけどとにかくやんわりそういうかんじにするのがだいじだよねー。
的な話になって終わるものです。

で、そういうことを話していると結局結婚というものも企業のそれとおなじように組織マネジメントなのであるなあ。と思い起こします。
私の場合

・組織が設定した達成目標(死ぬまで一緒にいる)
・メンバー(私)が設定した人生における達成目標(自分にしかできない仕事においてプロになる)

ことが同じじゃなかったです。当然目標のずれはモチベーションの低下を引き起こし、結果環境の変化を求めざるを得なくなるのであります。

そういったことを想像している最中、私の周りの女性でお酒に頼った生活をしている人の多さについてなぜか思いを馳せてしまいました。ほとんどが仕事を持たず、家庭運営にコミットしている女性です。

アル中というとまるで意思が弱い人間のように思うかもしれませんが、意思弱いとかだらしないとかではないです。あるいはルーティンである家事をこなすというモチベーション維持のために現実感をあいまいにする手段である酒とかでもないとおもいます。

なんかねー
1.自分自身が設定した(していたであろう)人生における達成目標がある。
2.からだが元気だとその目標にたいしてアクションを起こそうとしてしまう。
3.そうすると組織運営が破綻してしまうかもしれない。
4.だったらその行動力とか、エンジンを、自分で潰してしまえ。

という、ほとんど無意識の選択みたいなかたちで毎日相当量の酒を飲んでいるように思えます。
それって単に意思が弱いってことじゃないの?自分の目標にむかってあきらめないでがんばって!とかいう人がいてもいいんですが、なんかそういう状況にある女性はだいたい優しい人なんですよ。
だからあきらめんなとか上から目線で馬鹿なこといいたくない。

ただ、なんか毎日結構飲んじゃってるということについて自分を必要以上に責めてしまっている人もまた多いのでそれはよくないなーとおもいます。
私もおさけがだいすきなので「酒飲むな!」とはいいたくありませんしいわれたくないですが、なんというか、お酒をたくさん飲んでわりと自己嫌悪している人には

「あなたのエンジン、なんかすごいパワー持ってるみたいよ!」

と、エンジンの存在だけはみとめてあげてほしいかな。とおもいます。
チームマネジメントの最適化に答えはないのですが。