2012/12/23

Redemption songs


ボブ・マーレーの曲でゆいいつ歌える曲といえばこれなのですが、たまたまみていたアイ・アム・レジェンドいう映画のエンディングになっていて号泣したので歌詞をだれの許しも無く掲載します。
これは厳しい。もうめんどくさいくらい悲しく刺さる映画と歌です。

Old pirates, yes, they rob I;
Sold I to the merchant ships,
Minutes after they took I
From the bottomless pit.
But my hand was made strong
By the 'and of the Almighty.
We forward in this generation
Triumphantly.
Won't you help to sing
This songs of freedom
'Cause all I ever have:
Redemption songs;
Redemption songs.

Emancipate yourselves from mental slavery;
None but ourselves can free our minds.
Have no fear for atomic energy,
'Cause none of them can stop the time.
How long shall they kill our prophets,
While we stand aside and look? Ooh!
Some say it's just a part of it:
We've got to fullfil the book.

Won't you help to sing
This songs of freedom-
'Cause all I ever have:
Redemption songs;
Redemption songs;
Redemption songs.

Emancipate yourselves from mental slavery;
None but ourselves can free our mind.
Wo! Have no fear for atomic energy,
'Cause none of them-a can-a stop-a the time.
How long shall they kill our prophets,
While we stand aside and look?
Yes, some say it's just a part of it:
We've got to fullfil the book.
Won't you have to sing
This songs of freedom? -
'Cause all I ever had:
Redemption songs -
All I ever had:
Redemption songs:
These songs of freedom,
Songs of freedom.

2012/12/13

レイラ〜

エリック・クラプトン往年の名曲「レイラ」ですが、以前は「こんなにひとりの女性に思いこがれることができてこそ、ロックができるのだなあ。」と思っていたものです。が、いま聴くと、後半のピアノのパートで「このひともう自己陶酔が極まって目の前の女のことなど眼中にないに違いない。この自己陶酔こそロックだわー。」と思うに至りました。 それだけです(ゝω・)テヘペロ

2012/11/13

山登りなんて1人でするもんですよ

しんどかった日の夜、タクシーに乗った。
だまっていたら運転手さんが
「僕は山登りが趣味なんですよ」と。
免許停止になっちゃったときも、喜んでヨセミテまで登りにいったりね。得な性格です。先週は4日かけて奥多摩から雲取山に登って、戻りました。
「趣味の合うおともだちがいらっしゃるんですね」と、感心したら
山登りなんて1人でするもんですよ」といってわらっていた。そうかもしんない。

2012/10/30

なぜ人間は辛いものを食べるのだろう


息子が急に「なぜ人間は辛いものを食べるのだろう」と言い出したので「保存のためではないか」と返答したところ、中国人が辛い物(麻辣とか)を好むのは土地が広く海から陸路では食材が腐るのは理解できるがでは同等に広い国土を有するアメリカ人はどうなんだ。と問いつめられました。

アメリカは西海岸東海岸、北アメリカ、南米。とほうもなく広いにもかかわらず、アメリカみんな唐辛子好きとかきいたことないぞ、え?ああ?と。
北米は湿気がすくない乾燥地域が多いので唐辛子を使って保存する必要はなかったんじゃないですか?と仮説を立ててみたが、違うな..と息子。

中国人は...待ってたね。たぶんおいしいものをもってきてくれる商売人がいて、それをみんなあてにしてたんじゃないかなあ。でも、アメリカ人って「誰ももってきてくんないなら作るわ!もういいわ!」つって、そのへんにあるものとか、なんか適当に食っちゃったり作っちゃったりしたんじゃないの?と。

wwwwwwwwwwww
そうかっ!だから中国の保存食はおいしいものが多いのか!!わざわざシルクロードかけずって食品売りにいって「腐ってないけど不味いです」って突き返されたら帰り道でのたれ死ぬよねwwww。それはおいしくするひつようがあるわw
売りつけに行って突き返されないクオリティが必要だから乾燥食材がうまい。で、辛みとうまみの両立が上手。でもアメリカは土地が広くても勝手にその辺にあるものを食っちゃうし作っちゃったのかもなwww
と、みょうに合点がいきました。

中国は最強のコンシューマがゴロゴロしていて供給側は鍛えられているけれどポピュリズム過ぎてものごとがそだちにくい土壌。
米国はコンシューマーがいつでも作り手に転じる可能性があり供給側にとっては市場が厳しすぎてものごとがそだちにくい土壌。

どっちもどっちなのねw


2012/10/14

好きなことを時間をかけて丁寧にやり続ければ不可能なことは無い


今日、歩いていける距離の金魚屋さんを見つけた。
中目黒のドンキホーテの裏手の、目黒川を代官山のほうにちょっと行ったところにある「かのう」というお店。行ってみたら住宅地だし目立つ看板もないし、壁に直接「かのう」って書いてるだけで遠くから見ると、田舎とか下町にある「昔フトンやさんだったけど今はやってない」といった感じの店構えだった。が、近寄るとガレージ兼エントランスの脇に1mは余裕であるような巨大なガーとアロワナが数体(もう匹では収まらない迫力)泳いでいる大きな水槽がある。奥まった場所にはシートがかかった青い野外用水槽もあるしやっぱりアクアショップらしい。

おそるおそる入っていったら中から黒いタイトスカートに白いシャツの奇麗な奥さんが出てきた。野外水槽を覗いたら大きな赤い錦鯉が見えた。土佐金の赤ちゃんがたくさん泳いでいるタライもある。モーターの音がはっきり聞こえる静かな住宅地の真ん中で、この人は美しい魚に囲まれて暮らしているんだなあと余計な想像をするほど奥さんは不思議だった。アクアショップの女性店員といえばエプロンと長靴にジャージが普通だが、なんだが奥さんの自宅に上がり込んじゃったみたいな気分だ。

金魚が欲しいんです。ピンポンパールが1匹だけ居るのですが。と話すと、ピンポンは他の種類と混ぜて飼うことは出来ないので飼い足すならピンポンにしないといけない。奥にいるので見てごらんと通してもらった。奥は整然と大きい水槽が積んであって清潔だ。アクアショップはバクテリアの臭いがきつく、細かいところの掃除をあきらめている店が珍しくないのでびっくりした。
ここにも大小様々なガーやプレコ。歯が怖いゴリアテタイガーや、なんといっても淡水エイのドットスティングレーなどなど水族館でもこれほど多様な取り揃えはないんじゃないか。
ときどき水槽から水が飛び出してくる。奥さんが「この子はお水を噴くのが好きなんですよ」というとエイが水面に顔を近づけて水を噴き出してるのが見えた。かわいいやつだ(といってもドットスティングレーは刺されると相当痛い毒の尾を持っているので決してかわいくはない)。

金魚のことをすっかりわすれてじろじろ水槽を見ていると「奥に居る大きい子は見ましたか?」という。私は店の突き当たりの一番大きな水槽に居るアロワナのことだろうと思って「ええこの子たちはずいぶん大きいですね」と答えたら「その子じゃなくて、もっと奥の子」。でも奥は引き違いのテラス戸の前に空いた水槽が積んであって、ちょっとした中庭だけどもの置き場にしか見えない。なんのこっちゃ。奥に進んだら遠目に壁に見えていたのはコンクリートのプールの側面だった。水の音がする。上から覗いて思わず声が出た。四畳半くらいのコンクリートプールにピラルクーが居る。でも大きすぎて体の一部が水面に来たときだけぬらっとおせんべくらいの鱗の巨体が見えるだけ。2mはある。しょぼい目黒川のそばの閑静な住宅地に2mのピラルクー。「気合いを入れて育てているんですよー」と笑っている奥さんがテロリストに見える。このくらいのサイズになると「たまーにお友達をたべちゃうの」と教えてくれた。

目的のピンポンパールを2匹包んでもらっているあいだ、体調が崩れたときの対処方法の指示をもらう。ご家族のリビングに続くであろう家の内側をチラ見した。ここにも大きな水槽が、部屋のど真ん中を占領している。おおぶりの座布団みたいなエイがぺったりくっついてこっちみてる。ずいぶん大きいエイですねー。と声をかけると、この子がみんなのお母さんなんですよといって奥さんは笑っていた。あのスティングレーたちは目黒生まれなのか。いつのまにか外で錦鯉の面倒をみはじめた旦那さんが奥さんのほうをみて笑っている。ぶっ飛んだ素晴らしい夫婦だ。

ふたりともどれだけの試行錯誤を経てここまで独自の世界を作ったんだろう。どういう日々の生活を積み重ねているんだろうか。動物が好きだからアフリカに行くとか、ITで一旗揚げたいからアメリカ行くとか、ロックミュージックはUKだとか、いろんな人がいろんなことを言って「ここじゃなくてどっか」探しに奔走し、年月を敵に回しているというのに、この人たちは黙々と与えられた場所で王国を作っている。好きなことを時間をかけて丁寧にやり続ければ不可能なことは無い。それは時間がかかることだがおそらくそれが最も尊敬に値する生き方だというのは間違いない。
と、そんなようなことを2mのピラルクーに考えさせられた。
 
アクアショップ かのう

2012/09/01

妻に死なれた男にしか見えない世界

漫画「さよならも言わずに」の感想です。
上野顕太郎の奥さん亡くなっていたんですね。 好きな作品がいくつかある漫画家です。「ひまあり」などいくつかの作中でたまに奥さんのエピソードを描いていて、家族を基点に表現している作家なんだな。と感じていました。
「さよならも言わずに」は、その大切な奥さんが2004年自宅で急死したという巨大なエピソードを核に、妻の死後、変わり果てた世界をこれでもかと描画したマンガ作品でした。

本作によると自室で仕事をしていた小1時間のうちに、それまで普段通りに生きていた奥さんが居間で死んでいた。心不全の発作で気絶した拍子にうつぶせになってしまったことが致命的だったとのことです。

本作で強烈に印象的な部分は、時系列のしっかりしたドキュメントとして仕上げていながらも、その時々の精神状態にあるウエケンにだけが見えている世界を忠実に描写したことで、絵画(えづら)がかなりグロテスクなシュルレアリスムになっているところです。
とはいってもそこから演出のにおいは全くしませんでした。読んだ後はただ、妻に死なれた男にしか見えない世界の実在を信じるようになりました。

物語は、愛する存在に死なれて悲しい。といったたぐいのセンチな空想ではなく、家族という日常を突然欠く絶望を緻密に(奥さんが亡くなってからは気持ちの移り変わりを綿密メモなどで記録していたのではないかというほどです)描画した拡張記録といったたぐいの内容です。そういうものは例がきわめて少ないように思います。

例えば居間にうつぶせて動かなくなっている妻をゆすりながら、目を開けようとまぶたをこじあけるたときに見た瞳孔の開き方で「死んでいる」と認識したときの驚きを、暗い水中に妻がひとりぼっちで沈んでいくさまに描いたり、妻が死んで「世界が意味を失った」と断じるシーンでは、安置された遺体の腹の部分に9歳の娘と上野が泥人形のように形を無くして押し寄せる様子として表現したりと、とにかく「こうなってしまうものなのか」と受け入れるしかない強烈な説得力があります。

また、リアルさという点では日頃病気がちな妻に対して、「めんどくさいな、いやだな」と感じていたことに触れ、さらに「自分の予定がくるってしまうのがいやだった」と振り返ってはまた強く自分を責めるところも印象的でした。

そのほかの壮絶な描写に関しては是非本作を読んでください。

ところで本作で最も印象に残ったのは、一番最後の妻の死後6年後の出来事についてです。

ネタバレ

上野はまた家族を取り戻します。つまり再婚するのですね。
再婚した、とは描いておらず、それを示唆して終わっているのですが、率直に感動しました。
たぶん上野は妻を亡くすという経験を記録、公開することで表現者としての力量を試すと同時に、家族を無くした経験を持つ人たちに、生きている限り世界の意味を取り戻すことは可能だという希望を示したんだと思います。

しかし、その一歩が輝かしく映るのは、なんといっても強烈に家族を愛した過去があればこそ。上野顕太郎。漫画家として男として、尊敬します。

ちなみに私はきれいごとでもなく、自分の相方には自分と死別してしまったら、また新たな世界を切り開いてもらいたいと思ってます。だってやっぱりひとりより仲間や家族がいたほうが楽しいし、この世では生きている人が幸せになることが重要なのですから(メンドクサイというのはあるかもだがそこは是非のりこえてもらって..)。

あ、電子版もあるので是非よんでみてください。
http://bookwalker.jp/pc/detail/9108bf23-f979-4362-a51b-f2c1072ec85d/

※注意!
電子版はAndroidやiOSのアプリで閲覧可能ですが、スマホサイズで読むと見開き表示ができません。本作は見開きで見ることを前提とした表現が多数出てきますので、お読みになる場合は是非スマホでなくてタブレットでお願いします。


2012/06/30

原発と詩

最近見た

FRYING DUTCHMAN "humanERROR"


ですが、ええ年のロック好きなのでVelvet Undergroundの"Heloin"に似てるなーとおもいました。直接的すぎるとこがおぼこいですが。
私は男として詩人としてルー・リードが大好き。傾倒してるルーの詩を知らない方に知ってほしいという欲望にかられて以下”引用”します。HeroinをNuclearに置き換えて読んでください。(日本語は矢野の意訳です)

The velvet underground
Heroin(Lou Read)

I don't know just where I'm going
But I'm gonna try for the kingdom, if I can
'Cause it makes me feel like I'm a man
When I put a spike into my vein
And I'll tell ya, things aren't quite the same
When I'm rushing on my run
And I feel just like Jesus' son
And I guess that I just don't know
And I guess that I just don't know

どこにいきつくのかなんか知らん

でも俺王国を築きたいな
それこそが「生きてる」って感じられる行為
静脈にそれが入ったらもうガタガタ言わせない
おれは神の子だって言い切れるくらいアガる
だって俺なんにもわかってないだけに
だって俺なんにもわかってないだけに


I have made the big decision

I'm gonna try to nullify my life
'Cause when the blood begins to flow
When it shoots up the dropper's neck
When I'm closing in on death
And you can't help me not, you guys
And all you sweet girls with all your sweet talk
You can all go take a walk
And I guess that I just don't know
And I guess that I just don't know

でかい決断をしました

人生無効にしてヨシ!
それが血に入ったら
首にはいっちゃったら
死を約束されたということだ
もう手遅れ。
可愛い女の子の可愛い会話を
スルーしたくらいの勢いで手遅れ
だって俺しらなかったんだもん


だって俺しらなかったんだもん



I wish that I was born a thousand years ago



I wish that I'd sail the darkened seas
On a great big clipper ship
Going from this land here to that
In a sailor's suit and cap
Away from the big city
Where a man can not be free
Of all of the evils of this town
And of himself, and those around
Oh, and I guess that I just don't know
Oh, and I guess that I just don't know

1000年前に生まれてりゃよかったな

手探りで生きていい時に生まれてたら
そしたら逃げ切れたかな
こんな逃れられない都会から
悪意に満ち満ちて
それは誰の心にもあり、しかもそれを取り囲んでるくらいの
だって俺なんにもしらないから


だって俺なんにもしらなかったんだってば!



Heroin, be the death of me



Heroin, it's my wife and it's my life
Because a mainer to my vein
Leads to a center in my head
And then I'm better off than dead
Because when the smack begins to flow
I really don't care anymore
About all the Jim-Jim's in this town
And all the politicians makin' busy sounds
And everybody puttin' everybody else down
And all the dead bodies piled up in mounds

ヘロイン...おれはこれで死ぬ
ヘロイン。俺の嫁。俺が生きる手だて。

静脈を征服して
頭の真ん中に到達して
死んでるみたいな奴よりまだマシ
アガってきちゃったら
なにも気にならない
この街の変態野郎についても
政治家野郎についても
ヤってても、ご無沙汰でも
死んでても、生きてても
死体の山があっちこっちにあったとしても

'Cause when the smack begins to flow
Then I really don't care anymore
Ah, when the heroin is in my blood
And that blood is in my head
Then thank God that I'm as good as dead
Then thank your God that I'm not aware
And thank God that I just don't care
And I guess I just don't know
And I guess I just don't know

だってもう一回接種してしまったら
なにも考えられなくなるんだ
ヘロインに生かされてる
頭も
死んでることと一緒だとしても
神様。気付かないでいさせてくれてありがとう。
何にもしらない俺でいさせてくれてありがとう。
なんにも知らなかった。
いままでなんにもしらなかった。



※第10回Web Creation Awardにノミネートしていただきました!
一般投票受付中です。Simejiチームをどうか応援してくださいorz

2012/06/24

この世は楽園じゃない


ジョージ・オーウェル原作、ハラス&バチェラー夫妻監督作品の「動物農場」を観ました。
動物農場は、横暴な人間からの支配と搾取を逃れた家畜たちが、支配を逃れる方法を考え、革命を主導した豚によってまた支配される。という人間がこれまで何度も四季のように繰り返してきたイベントを丁寧にアニメーション表現した作品です。
より詳しい内容などは2009年にジブリが配給&DVD化したときのサイトで確認するとよくわかります。
とくに宮崎駿がインタビュー形式で本作を解説した
http://www.ghibli-museum.jp/animal/neppu/miyazaki/
この記事は、宮崎さんの歴史に関する知識や独自の視点がよくよく提示されていて、本作に対する理解を深める助けになりました。読んでから観ても良いとおもいます。

動物農場は、動物たちが豚を排除する、という意思を見せて終わります。
一緒にちらちら見ていた(英語しか音声がないのであまり興味がもてなかったらしい)息子に、権力者を排除したあと、動物たちはどうなるとおもうか?と尋ねてみました。すると、

「みんな自由になりらくえんのようなせかいがおとずれるだろう」

と言いました。
動物農場を評するインタビューで宮崎駿は

ぼくは、楽園というのは、幼年時代にしかないと思います。幼年時代の記憶に、楽園はあるんだと。楽園をつくろうという運動はいつもあるけど、かならず挫折するのはそれなんです。だから、「この世は楽園じゃない」ということで生きるしかないんです。

と言いましたが流石です。
自由ってなあに?ときいたら「人間は自由にしていても、ちゃんと自然にみんなのりえきをかんがえることができる。自由に自然でいていいじゃないか」
と。とても子供らしくていい意見だとおもいました。ただ、同じことをいい年の大人が言ったとしたら、それは、わたしはアホだとおもいます。

奴隷制度と理想の社会についてラース・フォン・トリアー監督が描いた「マンダレイ」という映画にあったくだりを思い出します。
マンダレイという寂れた街では「善意で」支配者を排除し、奴隷を解放した余所者の権力者の娘が暴君になるまでを丁寧に描いています。最後に娘がたどり着くのが「人間は社会に割り当てられた役まわりを引き受け、それを演じられるのが成熟した人格であり、理想を追い求めるだけで、自分自身の役割と現実をちゃんと理解していないものは、中途半端なやっかいものでしかない」ということ。

んで、たまたま動物農場を見たことをきっかけに、わたしなりに「子供」と「権力者の娘」の共通点を考えてみたのです。

で、おもったのですが、わたしの息子やマンダレイの主人公である権力者の娘の両者とも「自分が他人の助けになる能力について、具体的にはぜんぜん自覚できてない」ということが浅はかさを生むのではないでしょうか。

自分の力についてちゃんと向き合えれば、どれだけ時間がかかっても、人は人をぜったいに幸せにできる。で、自分以外の人間を幸せにできる能力について自覚があれば、革命は必要ないんじゃないか。革命は、自分の心についておこすことができ、楽園を、自分の心に作ることができるはずなんじゃないのかとおもうのです。

わたしは、大人は自分の外に楽園を求めるわけにはいきませんが、自分の中に楽園を持つことはできるとおもっています。

例えばこの写真に自虐的な自己憐憫を感じた人が居るとしたら楽園はどこにあるでしょうか。



動物農場は、とにかくわたしにとって、外の世界にまだ見ぬ楽園を求めることは間違いであり、自分にできることは、自分の中に楽園を作ること、そして他者の利益を第一に考えること、さらに、人間の権力者という取り替えのきく切ない傀儡に判断をゆだねず、大きいなにか(たとえば自分にとっての神様とか太陽とか)をよく愛することが、私はしたいのだ。と、自覚を深めるきっかけになりました。それはほんとうに、よかったです。





2012/06/14

自由と安らぎのマルチ商法


わたしが会社をやめてフリーランスになった頃、ある人と喫茶店でお話をしました。
友達の友達だが話をきいてほしいということで時間もあったので行った訳です。
その人はお話がすきなようでした。
りんさんはこの先、どういうふうに生きていきたいですか?というので、
できるだけ自由に生きたいです。
と答えました。
するとそのひとは
りんさん、自由に必要なことは何だとおもいますか?と云います。
わたしは、うーん。何でしょうねえ。と考えたところ、そのひとはすぐに、必要なのは時間ですよ。と云いました。
そして、りんさん。時間というものは、お金がないと、得られないのです。と云うのです。
人が自由に生きられない理由を知っていますか?それはお金が必要だからです。
生きるためにお金が必要だから、人は自分の自由になる時間を放棄して、会社に勤めるのです。会社に勤めることは自由が無くなりますが、お金は保証されます。
なので、自由に生きることがしたいのであれば、時間を自由にする方法を考えるべきです。
その方法の1つが、今からわたしがあなたに提案する方法です。
と、いうロジックで、その人はなんか商品を個人的に売買する方法を知ることによって、労働にあてがう時間が少なくなること。にも関わらず、安定した収入が得られるようになること、その結果、人間が自由になることを説明しました。

そしてその一連のロジックのもっとも重要な、その生き方がどういう機構で成り立っているのかを説明されるに至る段階で、わたしは大きな失敗をしました。

サシで話しているにもかかわらず、寝てしまったのです。


いま思い出しても不思議なのですが、金を生む仕組みというたぶんその会談のキモであろうくだりになって猛烈に眠くなって、寝てしまいました。

下を向いていたので資料を読んでるふうに見えなくもなかったのだろうとおもいますが、あれだけあからさまに「ハッ!」って感じで起きたらバレるだろう。
と、我に返って猛省したものです。

後にも先にもそんな失礼なことをしたのは初めてですが、自由という自分がとてもあこがれているキーワードに対して、お金をあてがってきたそのひとに対し、凄くストレスを感じて逃避したかったんだとおもいます。
おぼこいですね。
ごめんなさい。

2012/06/03

趣味が子供っぽい人は態度も子供っぽいのかしら


最近小学生の息子が毎週のようにクレヨンしんちゃんの映画版を借りて家で観てるんだが、ストーリーが大変凝っていて面白い。
今回のは「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」。
大人が子供に戻って楽しめるというテーマパークで、大人らが好きな戦隊ものにハマったり人形遊びしているうち生活態度や考え方まで子供化するという状況をしんのすけが回復させるという話。
うーん。いま普通に居る。大人になっても子供時代から親しんでいる楽しみをそのまま継続的に楽しんでいる人。
その人たちの生活態度はやっぱり子供っぽいんだろうか。

夜は寝なさいとしかられるまで眠らず、朝は叩き起こされるまで起きなかったり、
歯磨きをせず風呂にも入らず布団に入ったり、
好きなものを好きなだけ食べたり、
子供や他人の面倒をみられなかったり、
へりくつをいったり、
自分のことでせいいっぱいだったり、
イラつくと小さいものに当たりちらしたり、
機嫌を悪くすることで本当の気分を察してもらおうとしたり、
言いつけられたことしかできなかったり、
するんだろうか。

大人になれば、やらなきゃいけないこと、負わなきゃいけない役割にちゃんと徹して、
子供を始め周囲を不安にさせず、
ちゃんと育てる側の人間になるという覚悟がある人は、
たしかに子供時代としっかり決別しているかもしれないな。
ちゃんとしんちゃんのお父さんは、最後にそういうふうになって、家族を守っててかっこよかったです。


2012/05/16

全然エロくなかったわロマンスX

ポルノコーナーに入れられているのですが、映画好きの人だとそのうち見ようリストに入っているはずのタイトルです。カトリーヌ・ブレイヤ(女性)監督の1999年の作品で、一般的な映画でありながらセックスシーンが本番。という役者に設定したハードルの高さが当時話題でした。 

あらすじを簡単に示すと、恋人の男にセックスを拒否され性的欲求が不満になった女性が恋人以外にはけ口を見いだしながらもセックスに対する理想と現実のズレに苦悩しつつ、お母さんになる。というお話です。 筋だけだとやっぱりエロっぽいですが、実際観ると女性側から表現した「セックス」という行為がすごい酷。というか男性が一方的に興奮しているという演出が「こわいがな」という印象さえ与える感じです。ポルノ的な演出とか設定を一切伴わない他人のセックスを覗いてみたら案外こんなふうなのかもしれないなー。という印象さえありました。

 この映画が伝えたかったことはとてもたくさんあるでしょうが、根幹にはおそらく「女が理想とするセックスと男が理想とするセックスの方向性が違いすぎて話にならんのでは」という仮説の提唱があるでしょう。 白く純粋無垢な下着でベッドに横たわっている時、男がその純粋に対し頭を垂れて「どうか抱かせてください」と頼みにくる、来てしかるべきである。というのが女側の妄想であり欲求です。 ところが男の側ではそんなことこれっぽっちも受け入れるつもりは無く、むしろ下着は黒の女が抱いてくださいと跪いてくる方向に興奮するのが自然だったりします。 この矛盾は他人同士なら「あるよねー。あるあるー」で話題にもできるでしょうが、恋人同士だったり夫婦だったりしたとたんに大問題になりがちです。こうした間柄では相手に理想を飲ますことを目指しがち。特に頭がいいカップルだと互いにしっかりした理想を持っていたりするので「こっちの理想を貫けなきゃ負けだ」となり、結果的に意地の張りあいになるでしょう。 

この監督は相当なフェミニストなのでしょうが、結果的に「男なんかクソよ!」的な方向に話が進んでいきます。最後は「女性最大の敗北」という位置付けであろう厳しい出産シーンで終わります。 わたしなんぞは、そんな闘争心むき出しにせんでも..と途中で諌めたくなること多々ありましたが、大変興味深い点もありました。それは女性の妄想を受け止めて甘えさせてくれる唯一の存在としての緊縛老人(浮気相手の一人)です。おじいちゃんは彼女の個性や「本当にしてほしいこと」にゆっくり耳を傾けつつ、丁寧に縛り上げては「きれいだねえ」とほめてあげるのでした。 

しかしお互いがお互いの妄想を胸に「奉仕しろや」と言い合っていては1ミリも前に進まないではないかー。とおもいます。 セックスはクリエーティブなお楽しみだ!くらいにとらえて、もう、こうあんま深刻にならず、さらっとこう、笑いながらやっていこうや!バーン。と、誰かの肩を叩きたくなる。そんな作品でしたわ。

2012/03/30

7th JWDA WEB DESIGN AWARD

2012年3月29日、デジタルハリウッドお茶の水校にてJWDA WEB DESIGN AWARD受賞式がおこなわれました。
私は2次審査の審査員として参加。式の第二部では一緒に審査を担当したCI戦略コンサルタントでPAOSグループ代表の中西さんジャパン ライフ デザイン システムズ代表の谷口正和さん、アドエビスでおなじみロックオン代表の岩田進さんオールアバウト代表取締役社長兼CEO 江幡哲也さんとパネルディスカッションをして締めくくりました。
ディスカッションでは受賞作の講評や、審査員それぞれが持つウェブというメディアに求められる今後などを話しました。
皆さんそれぞれ責任ある立場でデザインの世界に長く身を置かれていらっしゃるかたならではのご意見を共有してくださいました。なかでも印象深かったのは谷口さんの「瞬間のプロセスの重要性」と「個人の力」です。情報を提供する側の理論で「さあ情報を仕分けて選びやすくしてあげてるんだからおいで」とやるのではなく、お客さんが欲しいとか、知りたいと感じたその瞬間をいかにすぐに把握してそれに答えるかが今も昔もかわらないサービスの基本で「できません、ありません、知りません」が一番いけないことなんだ。という当たり前のことをどうやってシステムに取り入れて行くか。そのやり取りの瞬間のプロセスを突き詰めるのがサービスなんだよー。という話ですが、UXがどうこうという長い説明よりもずっと腑に落ちる話でした。
また、自信をもって個人の力を出す、表現することこそ、なにかをいちいち計画だてるよりもずっと速く世界とつながる方法になることを忘れるなともおっしゃっていました。わたしもそう思います。

わたしはこれまでなんとなく、年をとったとき必要な態度というのは、何か変化を起こす場所から離れて若い人の邪魔をしないように振る舞うことだと思っていました。
しかしそれはちょっと違っていたようです。日々知識を蓄えて、それをつねにいろんな立場の人と共有、交換しながら年を経ることで、何か変化を起こそうとしている場を支援することができるようになるんだなあ。先輩たちのようになるのは簡単ではないですが、そうなりたいと思いました。
昨日はそういうふうに、いろんなことを考えられる、素晴らしい場でした。

そして、やっぱり面白い、すごいと思えるメディアというのはやはりコンテンツが面白いことに尽きるものだとも感じました。
グランプリの「BRASIL・GIFU
は私がすごく好きなサイトです。グラフィックをはじめ、制作部隊は地元岐阜のクリエーターを起用し、ブラジル人スタッフも居るチームだそうで、とにかくチームが楽しんで作っていることがよくわかります。言語レクチャーのコンテンツや、レジャーガイドの紹介文など随所に楽しさが読み取れます。こうしたチームプレイが光るサイトというのは稀少です。というのも制作はいつでも締め切りや予算といった「制限」に縛られるばかりか、わかるはずもない「結果の予測」と「最悪の結果を見たときの処理」まで求められるからです。想像ですが多分このチームのマネジメント担当さん(というか制作会社の株式会社うぶすな のリーダーさん)は「なんかあったときは俺がどうにかするぜ!」といった侠気のある人なんだろうなあ。ということまで0.5秒くらいサイトを見たとき頭を駆け巡ってしまうくらいノリの良い仕上がりなのが感動したのでした(実際お会いしたうぶすなのみなさんはホントにノリノリで素晴らしい大人でした)。ノリノリ運営大変だと想像しますが、これからも、楽しみながら続けていかれることを願っています。

システムを含め、できあがった仕組みは必ず腐ります。
できあがった仕組みをまわすのはたぶん一番労力がかからないことでしょう。でも、腐り始めたシステムの上で結局人は楽しめないのです。だってそれに関わる人はみんな「壊しちゃダメよ」っていつも叱られてばかりいるのですから。

毎日ぶっこわれたところをなおしなおし、それがたのしく、努力しがいがあって、そのなかでいろんなことを思いついちゃったり、昨日の計画をやっぱり変更して、日本再建の責任なんか負わず、それでもみんなが楽しめるからやっていく。そうやっていきいきと仕事ができればかならず結果は付いてくる。そう確信した夜でもありましたね。
おつかれさまでしたー!

2012/02/26

Webデザイントレンド with ワークショップ

ご参加くださったみなさん、運営の皆さん、おつかれさまでした!
本セッションは矢野が参加したものは通算3回め。にもかかわらず常に新しい発見があってなかなか面白かったです。
セッションの基本的な内容は、原さんが独自システムで世界のウェブサイトのキャプチャーをとりまくる、ウェブページの表現の傾向が似通ってるものをクラスタリングして「流行りの表現」を割り出す。などという作業を経てトレンドを資料化。それを持って仕上げに登壇者らが資料をチェック、分析。という作業を経てセッションに組み立てる。といった内容です。
サンプル数が万を超えているためか、トレンド分析向け資料としての精度はけっこう高いです。
で、今回セッションで原さんが「つかみネタ」としてGumroadのページデザインが2010年に流行ったなつかしの「カラーバー」をもろに使っていて面白いね。という話をしていました。
「カラーバー」は2010年の年末のデザイントレンドで「あったねー(笑)」というくらい結構流行りました。その表現に2012年再会して意外な気がするね。という話だったのですが、私はこのネタからこういうことを想像しました。
あ、テンプレート買って作ったんだな、と。
ネットにはウェブページのテンプレを販売しているサイトがけっこうあって、そういうサイトで売っているページのデザインは、いわゆる「流行った」感じのスタイルを取り入れてることがよくあります。
さらにGumroadはアイコンもGlyphishのを採用しているし、logoは
Danubeあたりをちょっとアレンジしたか、このフォントの派生フォントをそのまんまつかっているかなんかかなー。と思います。
こうした例を上げて「デザイナー冬の時代」を論じよういうわけではないのですが、トレンド、という切り口で情報収集をしていると、流行のウェブサービスを見てもデザイン的な切り口でネタが増えるから面白いね。ということが言いたかったのであります。
にしても、スピード重視のウェブサービスのジャンルに至っては、デザインだとしても、もうフルスクラッチで作る必要はないのかもしれませんねー。