2011/06/19

プロジェクトほにゃらら!

wcan 2011 summer ぶじ終了しました。
オール女性キャストでお送りしたこの会、全セッションとても勉強になったし新しい発見もあって楽しかったです。オーガナイザの山本さんほんとにありがとうございました。
今回同行した息子が同伴史上最も大人しかった(単に成長した)おかげで大好きな林千晶さんのセッションをじっくり聴講できたのはうれしかった。
林さんのお話は、プロジェクトマネジメントじゃなくてこれからはもっとクリエーティブにプロジェクトデザインで行こうぜ!という内容。Web制作は以前から関わる人が増えたり要件が複雑になってきたりという都合から、作業の進行をどう管理するかという視点がけっこう重要になってきています。昔からソフトウエアもシステムもマネジメントありきで作られていますし、Webにもそうしたプロマネの動きは取り入れられてきてはいましたが、現場の感覚として「なんか違う」という思いを持つ人はいるはずです。
まず、発注側の意見としてよく耳にするのは

「進行管理のしっかりしている制作会社ほど、頼んだこと以上のことはせずアイデアもださないので期限通りになんらか納品されてもその成果物が本当の成果を出すことはない」

キャー。

そのような制作会社は「工場」と呼ばれます。
とはいえ「業務 must go on」なので工場は発注者にとって心強い存在であることは間違いない。ただ、失敗はしないが成功もしていない。そして担当のうちの誰かがちょっと気持的に病気になって1つの物語が終わります。

では、本当に望まれる進行とはなんなんだあー。
それは関わっている人間たちが型通りの動きをすることでなく、型は理解しつつも相手の都合や思いをくんで「ここぞ」という動きに変化を付けて行くこと。
乱暴な言い方ですが「あっちの都合」と「こっちの都合」をあえて分けない仕事の仕方が必要になるのです。
実は、こうした進行ではオーガナイズする側がなにがしか損をします。損というと語弊があるけどプロジェクトの範囲では「与える側」になります。より具体的にいうと、忙しさと収入は反比例するということです。

でも私は考えを改めました。与える側に立つことは損なことだろうか。
千晶さんは「人間にとっての喜びは自分自身の行為が人間関係の改善につながったとき、はじめて得られるもの」と説明します。
そこを考えると今までの進行は改善の余地があるんじゃないかな?と。
自分は何のために働いているのか、とまじめに考えた場合、なにかちょっと得したいとかお金欲しいとかでなく、やはり誰かにほめてもらったり、あなたにお願いしてよかったといわれたり、なんらか、人とのやりとりで交わした会話や表情しか、残ってません。いままで考えるのが面倒だったり、きれいごとを言うのが嫌だという理由で「金のために働いてる」とか言うこともありましたが、他者との関係のために。というのは腑に落ちます。
こないだ友人に「give and given(与える側であればこそ与えられる何かもあるんじゃね?)の法則」を教えてもらったばっかりなのですが、そのことも合わせて考えると、今、矢野のなかでは
「もっとファンキーに仕事しよう」という結論に至りました。
プロジェクトデザインについては今後林千晶さん率いるロフトワークさんがなんらかメソッドを共有してくれるはずですが、わたしもこのことについては積極的に考えるつもりです。


ファンク大魔王ジョージ・クリントン率いるパーラメント(P-funkプロジェクト)の”give up the funk”(意訳:ファンク中毒)通称 Bring the funk(直訳:ファンク持ってこいや)。
ジョージ魔王はファンキーなプロジェクトをオーガナイズしていたファンキープロジェクトデザイナー。
今見てもなんで羽?なんでオムツ?なにそのふさふさ?地毛?とかもう過剰なほどの楽しさ。多くの人々をハッピーの渦に叩き込んだその姿勢にこれらのデザイン業界が目指す方向性が示されています。

2011/06/03

トトは結局しあわせだったの?

息子とジュゼッペ・トルナトーレ「ニューシネマパラダイス」鑑賞。漫画映画以外8歳で初めて見るふつーの映画だが内容はほぼ完璧に伝わったようでさすが名画。
映画狂のトト少年が映画技師アルフレッドから映画や人生について教わるという内容でございます。
映画館「ニューシネマパラダイス」を中心に古き良き田舎の風景が淡々と映し出される訳ですが、恋人が去って行った青年トトは後半、アルフレッドの「街を出ろ。お前の本当の仕事に就け。お前に会えなくなってもかまわない、お前の噂が訊きたい。二度と戻るな」の教えにしたがって、30年帰らない。そして都会で立派な映画監督となって、アルフレッドの葬式に帰ってきて感動のラストです。
アルフレッドが望んだように、トトは映画監督という立派な仕事に就き、尊敬を得て、生活も豊かになりますが、トトはどうやら青年の頃に愛したように女性を愛することはできなくなっていますし、まず、ラストまで表情が全くないという設定です。心が世界の外にほうりだされているからこそ世界を描く映画監督になれるのだということかもしれないですが。
面白かったのは、そういうことについては8歳でも気になるのだということです。
最後まで見終わった息子がしつっこく「トトは結局幸せだったの?」と訊くのですね。
村を捨てちゃいけなかったんじゃない?大切な友達は死ぬし、誰からも愛されてはいないし、家族ともはなればなれで、仕事だけでしょ?そんなの不幸せじゃない?アルフレッドはどうして出て行けなんて言ったんだろうー。と悩んでいました。
○○だから幸せだ。ということはないのだ。という話はまだ先のばしにしてもいいヤ。とおもうので、最後は幸せそうだったからいーじゃーん。と言っておきましたが、おそらく、幸せとか成功とかは、自分がいちど望んだような理想の自分に近づいて行く過程で、たまーに笑ったり、感謝したりできることなのだ。つまり、すごく粒度のちっこいことなんだねー。息子よ。とおもいました。だからずーっと幸せってことでなくても、それはぜんぜんアリなんだよー。むしろ大切なのは、理想の自分に近づくことなんじゃないのかな。