2009/11/23

良いときの出会いと悪いときの出会い

出先などで突然不便なことが発生し、コンビニや近くの店で「おおこれでなんとか」とソリューションとなる製品をみつけて購入したとしましょう。それがたとえばお裁縫セットだったとして、下着だったとして。私はその製品を半年後にも使っているのだろうか。と考えると、使ってません。

最近よく考えることですが、何かを選択するシーンに直面したとき「これでいいや」と思ってした選択は、たいがい何か突発的な困難に直面しているタイミングにおいて発生し、また、困難が終わってしまったら手に入れた何かは「不要」になってしまう。ということです。

ああ、せつなくも、もったいない。

100円のノリとかならまだしも、このことは多くの「選択」という行為に通じていると思います。たとえ不動産であろうが、職場選びであろうが、人間関係であろうがです。

また、補足するとこの場合、関係が長続きしないという「継続時間」が問題なのではなく、その対象と充実した関係を築くことに失敗しやすいということが問題なのです。

では、充実した関係を、できるだけ長く維持するにはどうすればいいのか。
それは恐らく、何ひとつ困っていないとき、いや、それどころか満ち足りてるなー。と感じているときにでさえ「これでなければだめなんだ」という選択が、できるかどうかにかかっているのではないだろうかと。

よく歌謡曲などで「困っているときいつも側にいてくれたねー」とかいう歌詞がありますが、私はあれは、今は理解できません。なぜなら本当に困ったときはひとりでしかどうにも解決できないし、困ってないとき一緒にいて楽しいのが友達なり恋人だろうが。と思うからです。

何が言いたいのかというと、モノを欠いて困っている時はとにかく新規購入しようとせず代用品でコトが済むか検討すること、本当に大切な物事の選択は、欠落によって生じた欲でなくむしろ充実の維持を目的としなければできないこと。これがまあ、エコロジーとかになるんじゃねーの?ということでしたよ。