2006/04/27

なぜブロガーにしたのか

昨夜のこと。早速筆者のブログを主人が冷笑しながら閲覧している。
何がおかしいのかと問いただしたところ、
「Bloggerか。米国人きどりか。スカしたブロガーだな。なぜBloggerにしたのか、理由をきいてみたいものだ。」という。
主人は筆者より数年先にブログを初めている。そのために何か私のような入門者では知り得ない情報を持っているうえで、私の選択をあざ笑っているのかもしれない。と、咄嗟に仮定しつつ、なにかもっともらしい理由を述べようと試みたがだめであった。

「エントランスページのデザインがかわいらしかったから。」

実はこれが主な理由だ。
正直にそう告げると案の定主人はうすた京介漫画の登場人物風にプフーッと笑った。
非常に悔しい。今朝も友人になぜBloggerにしたの?と、聞かれた。なにか昨夜の一件で気分的にブロガーに対するイメージは一般に(?)のつきやすい、もっと言うと(阿呆か?)という印象がつきまとうものではあるまいかと、すっかり疑心暗鬼に陥っている。この気分を打開するためにも、ここは本腰を入れて後付けのもっともらしい理由を考えるしかあるまい。

以下理由

1.投稿のインターフェースがすっきりしていて使いやすい
これは間抜けな勘違いであることが後に判明した。筆者の環境はMacOSXで、普段はサイトの閲覧をSafariでやっている。BloggerはいまのところSafariに完全対応しておらず、Safariで見ると単に対応していない機能が剥げていただけの話だった。

2.余計な広告ツールがない
他のブログサービスでも不要なものは無論はずすことは可能だ。しかしながら、主体的におまけ機能を導入しないと実にあっさりした構成になっている点はBloggerのよいところといえる。

3.ブログのエントランスに競争心をあおるような仕掛けがない
自意識過剰な性格上、ブログランキングなどを大々的にやられると「自分もいつかは」などと心中穏やかではなくなり、おそらくそのうちブログ運営自体が重荷になる可能性もある。Bloggerは純粋にツールっぽいところが好きだ。まあ、それを欲するのなら自分でサーバーでもたててMTでも入れろ。あるいは、見なきゃ良い。ということでもある。

4.テンプレートがすっきりしている
おいおい自作の皮に変更する予定ではあるが、ありものの皮がシンプルで好ましかった。しかしフィードへのリンクさえ自分でつけなきゃ出ないうえに、AdSenceの位置も初期設定では変な位置にくるので、ソースに手をつけることは避けられない。

以上。
たいした理由でも無い上に、自分で打ち消している部分もある。
ひとことでいうとBloggerはレゴ感覚のブログとでも言おうか。初期状態ではトラックバックの機能さえなく、RSSを作ったり(Bloggerはatomだ)アクセス解析ツールも外のものを使わねばならぬ。この点が、私としてはおもしろく映るのだが、どうだろうか。ブログを生成する技術に興味はあるが、自前で立ち上げるほど腕に自信はない。という人、あるいは好奇心旺盛なデザイナーなどには結構おすすめだ。ただし、簡単に豊富な機能を取り込んで楽しくとはいかないようだし、テンプレートのXHTML宣言箇所などはlang="en"のままだったりして細かい部分で日本語に冷たいのは腹立たしい。

いろいろありすぎて精査するのが面倒なのでみてくれで選んだ私でも、なんとかやっていけそうである。
主人の冷笑を胸に、臥薪嘗胆、短期での乗り換えは絶対にすまいと心に誓っている。

2006/04/26

高級ブランドについて その2

危うし。しかし負けるわけにはいかぬのだ。腹をくくり振り返ると、身長174cmはあろうかという細身の女史が笑っている。御茶漬海苔・・・。差し障りない会話に発展する前に堅く両腕を組みながら、私は衣類の用途を伝え、身長が低く肩幅も狭い身体的な特徴をあげたうえで適当なものを選択してほしいことと、自身にファッションの知識が皆無であることを一気に伝えた。女史は質問に答える前に「お客様はお小さいけど細くていらっしゃるから、うちので合うのはけっこうありますよ」と所見を語りながら「しかしうちって入りにくいですよね。商品のほとんどが地下だし、暗いし。」と言って笑った。これは意外だ。高級店の店員とは服装からステイタス感の感じられない客に対しては例外なく冷たいものだと勝手に想像していたのだが、実にあっさりと、しかし背筋はしゃんと伸ばしたままの状態でこちらの発話を促進する。少なからずデザイナー、クリエーターという職業の方と会話した経験のある筆者は、この時点で女史の職業意識を推察した。しかしそれは憶測に過ぎない。1日の来店者数や顧客の年齢層など、目下の買い物に全然関係ない話などをしつつ、候補の商品の選択を進めた。

選択にあたり、女史に提供した情報はおおまかな予算、パーティの会場、自身の年齢、職業、当日は幼児を伴っていく予定、仕事の際の服装の傾向など。応えて女史は1)スパンコールなど装飾要素が無くても華やかさがあるもの 2)幼児の相手をする際、しゃがみ込んでも伸びがよく、しわにならない素材 3)洗濯しやすいもの 4)予算内 5)体格に合うもの 6)着回しが効く、という6つのポイントを満たす洋服をピンポイントで推薦した。

筆者は唸った。高額で。というのもあるが、先に感じた女史の職業意識が本物であったことに対してだ。デザイナーの場合、クライアントに絵心が無くても、適切な絵(機能)をクライアントが描いたものとして提供するのが仕事である。しかしその世界には貴賤があり、デザイナーと名乗っていても「いくら払わすか」「どう買わすか」だけを考える人もいる。だがクライアントの利益を真剣に考えたサービス、あるいはサポートの提供を貫徹することにしか、現実的に高い値付けは付いてこないのではないだろうか。筆者は女史の対応で、なぜ高級ブランドの製品は高いのかがわかったような気がしたのだ。

女史は試着時、サイズ調整の必要性を指摘しながら、裁断した端切れでチョーカーを作成するので当日はそれにアクセサリーをつけること、靴はシンプルなヒールにすることなどを指南した。また会場で気が散らないよう、下着が完全に見えなくなるような細工を部分的に加えることを提案した。あまりにも親身になってくれるので、母さん呼ばわりしたくなるほどだ。
立場が人を作るのか、人が立場を作るのか知らないが、実直に仕事をする彼女のことを見習いたいと思った。

かくして帰宅後主人にこの経験をぜひ伝えようと思ってさわりだけ話したら、そんな高い服買いやがって驕ったな。と叱られ、友人には馬鹿野郎そんなのブランドじゃあたりまえだ。と一蹴されてしまった。

高級ブランドについて その1

先日、とある出版社に属する記者のかたの披露宴2次会に参加するに先立ち、洋服を購入した。
日頃ファッションにはたいして興味もないのだが、今度ばかりは比較的まともな格好をしようと思いついた。ファッションといえば表参道だろうか?とぼんやりあたりをつけ、表参道といえば最近話題の表参道ヒルズに物見遊山も兼ねていくことに決めた。うっかり違う建物に入ってしまうなど、入り口を見つけるのに苦労しつつも到着。敷居が高い。途中すれ違った外人は「丘はどこだ。」と怒っていた。ところでショップだがいかんせん多くの店の店員が若く、しかも人が多くてゆっくり拝見できそうもない。どうも若すぎる相手にはがつがつしたところがあって、何を言っても「お似合いですよ」としか言われない気がしてしまうのだ。それ以前に、比較的空いた店舗では商品を陳列するゲージにケツをひっかけてぼんやりしている店員もおり、なにかを相談する気分になれなかった。洋服の知識はおろか、パーティーのマナーも知らぬ私には、誰か相談にのってくれる相手が不可欠だ。肩を落として地下鉄の駅に向かう道すがら、ショーウィンドーに知的だが華やかな洋服を配置している店が目に付いた。店内は薄暗く、「入れるものなら入ってみろ」という威厳が感じられる。思わず「やんのかコラ」と一人ケンカごしになり、地下にまで突入してしまった。そしてもっとも奥に陳列している洋服をおもむろに手にとりじろじろと眺め、ちらっとタグを見て驚く。タンクトップ(?)1枚6万円。ダナキャランと書いてある。ここで負けるわけにはいかぬ。ためつすがめつ、次々と商品を見て回った。
「そちらは人気があるんですよ・・。」
さっきまで店の奥で直立していた店員女史が、風のように背後から話しかけてきたのだった。つづく

いまさら

いまさらだが、ブログを開設することにした。
最近人前に出していただく機会が増え、微々たるものではあるが「矢野さんのブログがあったらみてみたい」という声があるためだ。
そのたびに「無いです」と答えてきたのだが、毎夜布団の中で「物ぐさな性格だと思われたら」あるいは「やりたくてもよくわかっていないのでできないのではなどと受け取られてはしないだろうか・・・。」と悩むこともしばしばだった。しかし本音を申せば満を持して実名をさらし、ブログを立ち上げたあげく誰もみてないでは恥ずかしい、とか、自分の日常をおもしろおかしく記述して喜んでいる人は阿呆だなどと公言してきた以上、ブログに手を出す訳にはいかないといった、少々自意識の過剰な考えがあったことは否定すまい。
まあ、見てみたいとおっしゃってくださる方がいるうちに、やってみよう。つうか、ほんとはちょっとやってみたかったし。ということも、否定すまい。