2006/07/24

iMac G5が壊れた

子供に夏休みを与えるべくド田舎の実家に仕事場を移してすごしている。
と、こちらでの仕事用に買ったiMac G5 がファンの轟音とともに消沈。PRAMクリアしても、SMUリセットしても動かず。おーい。もしや初期不良かと思ったがシリアルが微妙に違う。10番ちがいくらいでもれている。それにしても、ロジックボードの交換が必要なレベルのようだ。つい最近買った気がしたので保証期間内だろうと保証書確認したら、保証開始は去年の7月7日。故障したのは20日であった。なんとかサポート窓口の人にお願いして、1年数日経過しているものの、一応無償修理をしてもらえることになった。それはありがたいのだが、たった1年普通に使っただけで壊れる製品を売るなよ。という感想はある。そんなものを仕事で使うには勇気がいるだろう。iMacは趣味で使うものでは?という意見もあるだろうが、リテラシーの高い若い人じゃないと、今回のような事態に対応するのは難しいともおもう。うちのは主に両親が使用していて、写真閲覧やネットをやっている。たまたま私が滞在している間の出来事だったので、アップルのサイトを検索して対応策を確認したり、背面カバーはがしてLEDチェックしたりできたが、うちの親には無理であろう。そもそも1年で壊れるものといえばおもちゃであり、おもちゃの修理に一律4万円は高い。2年ならどこかの部分の経年劣化を疑う余地は出てくるかもしれないが、1年ちょっとではなあ。しかも今回のようなことはわりとMacユーザーの中では「よくあること」のように受け取られているフシもあるし。初期型って壊れやすいよねー。といったぐあいに。確かに私も過去に買った初期ロットのPowerbook G4、半年で壊れたっけなあ。壊れるなよ!!!ただ、こんな北海道の奥地に修理お願いした次の日取りに来てくれるのはすごいと思うよ。微妙に保証期間が過ぎてる点も、まあ今回はお題はいいです。と迅速に判断してくれたし。でも、やっぱし、壊れないでほしいなあ。

2006/07/07

おや?

前の投稿で、

勝手に腐ってしまうのはかまわないのだが、そのせいでたくさんの人に利益をもたらしたかもしれない「説」の成長も止まって結局夢やぶれてサンガリア

と自分でいったが、それはもともと「企業が考えた独自方式」の功罪だよな。
企業がつぶれたり身売りがあって戦略が変わると方式もかわっちゃって利用者が困るという流れで。
そういうことが起こらないようにするためにアカデミックな流れがあるんだろうけど、利害がからまなさすぎると停滞が生じたり、結局考えることだけが仕事になっちゃったりして閉鎖的になっちゃったりバランスの問題か。
望ましい変革とその継続って、組織単位で考えるモノじゃなくて、個人の心のありようなのかな。難しいな。

益子(r)evolution

サイバーガーデン益子貴寛氏は2006年7月6日、アップルストア銀座(3F Theater)でXHTML+CSS (r)evolutionを開催した。矢野も某媒体向け取材のため潜入させていただいた。
最大収容人数180人いったんじゃないだろうか。まず入りの凄さにびっくりした。内容もとてもおもしろかった。世の中いろいろ進化してるのにHTMLって6年前からかわってないよね〜。という問題提起が柱なのだが、いわれてみればそのとおりだ。矢野はHTML4.01に比べて すっきしたコードでかっこいいサイトの作れるXHTML+CSSに結構満足してしまっていたので寝耳に水。というほうが正しい。益子氏の流れるような弁舌に影響され、終わる頃には「そうよ!なによW3Cなんてちゃらぽこよ!おいてかれちゃうわよ!時代に・・」と熱くなっていた気がする。や、置いていかれそうなのは私のほうなのだが。

しかし、HTMLのような電子文書を構成する技術の話って、ISOだのW3Cだのといった国際標準化団体の動向チェックに終始しがちだったと思う。昔はそれが「アカデミック方面の人」の仕事だったのではないだろうか。ここでいうアカデミックというのは、高度な学問に対する探求心が旺盛で教育欲もある人という良い意味もあるが、えてして排他的で既得権益に敏感、かつ最終的に自らが築き上げた「説」の正当性を守るためなら近くの村は焼きます。という方向に魅せられていく人は国内にやたら多い。そうなってしまうと自分が属するコミュニティ外の人の言うことは耳に入れないわ、知り得たことも外に出さないわということになる。つまり、現場で使える知識を求めているうちは健全だが、頭でしかモノを考えなくなったとたん、目的が「いつも良いことを言う人になること」にシフトしてしまって、そうあり続けるための変な努力をするようになり、最後に腐る。という仕組みになっている気がする。勝手に腐ってしまうのはかまわないのだが、そのせいでたくさんの人に利益をもたらしたかもしれない「説」の成長も止まって結局夢やぶれてサンガリアになってしまうのは惜しい。

何が言いたいのかというと、益子氏は、あれだけ本を書いて講演してW3Cなど団体の動向にも精通して・・という「アカデミック」な仕事もしながらも、同時に現場の状況を改善する知識の探求に燃えっぱなし。だからいつも情報は外に発信し続けるし、意見交換する相手は選ばない。きっと常に心身共にフレッシュな状態でWebの未来を見据え続ける益子氏は、「説」の育つ土壌を作れる人に違いない。こう説明するとクールでナイスなガイだが、dl要素の応用例などを嬉々として語る顔はちょっといっちゃってるかもしれん。貴重な人である。見習いたい。

2006/07/05

歯科医師

先ほど、前歯のインプラント手術を受けてきた。
仕事中の歯を食いしばるクセがたたって、過去折れてから差し歯にしていたのだがそれもだめになったのだ。
術前、歯肉の一部を切開して骨を削り、そこにチタンの棒を入れます。と説明されていたので、とても緊張していた。
できることなら眠ってしまいたい・・
上あごの前歯は、脳に近いので、何か命に棒が肉薄する気がするし。
で、手術開始直後、お口いっぱいに広がる生暖かい塩水の味。バキュームが追いつかず、一瞬ノドから舌の付け根まで到達する。
怖い。
程なく聞こえる、ゴズッゴズッという音。後に訊けば肉を削る音だという。
そして聞こえる、ゴリゴリゴリゴリという鈍く響く音。骨を削る音だという。
あ〜脳みそに向かって杭打たれてるわたし。なんども「中味」が飛び出る想像をした。
術後、かたっぽの目を隠すと見えないモノが見えてくるかも・・。ホムンクルスだね。
しかし、歯科医もラクではない。
細分化は進んでおり、歯医者などという大きなジャンルではくくりきれない世界かもしれない。
私の先生はインプラントをはじめとした審美系技術にに特化した歯科医師であるし。手先が狂わないようにジム通いして体調管理するし、酒もタバコもやらないし、睡眠時間は確保するわ、最新技術情報は収集するわで生活これすべて技術のため。
また、これらの話は私が根掘り葉掘りインタビューして知り得たことで、自分から自慢げに語ったわけでもない。
基本的には楽しくこうした生活を続けているのだと思うが、時には「こんなことをして何になるんだろう」と苦しむこともあるのではないだろうか。そういうことのくりかえしから、答えのようなものを見つけて前に進んでいらっしゃるに違いない。
そうしてあれだけ白昼堂々、素早く骨を削って杭を打てるようになったのだろう。
てしごと。職人だなあ〜。おかげさまでチタンは顔の真ん中に無事刺さりました。

さるかに

子供に「新さるかに合戦」を読んでやったら子供の頃思わなかったいくつかの点が気になる。
まずサルがおにぎりを持って歩いているカニに対し、「おにぎりは食べれば無くなるが、カキの種なら育てて長いこと食いつなぐことができる」というようなことを説明して交換に成功する。サルはすぐにおにぎりを食べてしまい、カニはカキの生育に成功。ご存じの通り問題はそのあとだが、カニは身体能力の問題でカキの実を採ることができない。そこへ件のサルが「とってあげよう」と嘘をついてカキを独り占めするあたりから事が動く。人に機会を与えたフリをして、成果を独り占めする、大人の世界ではありがちな頭脳プレーをサルがやってのけたわけだ。子供的には「カニかわいそう」であるが、大人のわたしからすると「カニ!だめじゃないか!」と思う。後先考えろよ!この身の程知らずめ〜。カキって高いとこになるんだよ。採れねえじゃん。しかも、「サルさん、採ってくださいな」って人任せか!と。
こういう取引上の問題を切り口にするとどっちもどっちなのだが、その後問題は暴力にシフトする。サルが「ひとりじめするなんてあなたはずるい」と糾弾されたことに腹を立て、カニの母に渋柿をぶつけてけがをさせるのだ(旧さるかにでは母は即死)。そこでやっと私は子供に「暴力はイカンよね〜」と合いの手を入れるわけだが、それもつかの間。こんどはカニ側の義憤に駆られた有志たちがサルを成敗する。目には目を。おいおいそれはいかんぜよ。ママの「暴力はイカン」というつぶやきもチャラである。旧さるかにの場合、サルは臼の一撃で即死するが、新さるかにの最後のページでは「心をいれかえたサルはみんなにカキをとってあげました」で終わる。しかも有志たちもご相伴にあずかってるし。食いたかっただけじゃないのか!?「まあ、そもそもカキを育てろって発想をくれたのはサルなわけだし、お前なかなかやるな」とかいってだれか少しはサルを認めてやってくれ。
だめだ。こんなややこしい中途半端な話は。子供本ラインナップからはずします。

2006/07/01

脱退と再結成

常に1つくらい「好きなバンドは?」に対する答えを用意しているわたしであるが、その1つが青天のへきれきで消滅したので悲しい。そのバンドはSillyFoolsというタイ国のオルタナロックバンドなのだが、訊くところによるとリードボーカルのトー君が脱退したことに端を発する。脱退ならバンドは存続するともいえるが、まあ、ボーカルの脱退=バンド(の価値、ほぼ)消滅と結論づけることに異論はあるまい。あっても知らん。宗教上の葛藤など、日本国内のバンドでは生まれにくい軋轢などもあるようだ。イスラームであるトー君は、酒の席で曲を披露するのも苦痛だったとか。タイ国はどんなに有名なバンドであっても、演奏する場所が居酒屋みたいなとこだったりするのは当たり前で、大衆音楽とはこれにぎやかし哉。酔った客がステージに上がって「いっしょに写真とってえ〜」と迫っても笑顔で応じるほど、エンターテイナーが聴衆のお祭り気分を曇らせることはない。でもなあ。酒入って喜んでる人をさらに喜ばすことは苦痛だったろうなあ。申し訳ない。かくいう私も、タイ国在住の折、アルコールをきこしめしたうえでSillyFoolsライブに足を運びました。ほろ酔い気分で大騒ぎしました。トー君心痛いかばかりか。本当に申し訳ない。もう飲まないから、脱退するなんて言わないで。考え直して。と、タイ語で言えたら伝えたいくらいなのである。
しかしそんな私にも、捨てる神あれば拾う神あり。1999年に解散し、大いに私をがっかりさせたKulaShakerが再結成した。Crispian Millsよおかえりなさい(や、The Jeevasっちうバンドでは日本で10万枚も売れたわけだが)。でもなあ。SillyFoolsいかないで。タイ語になじみがないと聴きにくいかもしれないが、オルタナロック好きな人はふつう以上に聴けるから。悲しい。